日根野弘就 (1518~1602)とは、戦国時代きっての自作武具マニアであり、刃傷沙汰等の血生臭い逸話に定評のある切腹後の生存記録保持者である。
ちなみに嫡男の日根野高吉は伏見城、諏訪高島城を手がけたカリスマ建築デザイナーであり、またその嫡男の日根野吉明も日光東照宮造営に関わり加増されるほどの腕を持つ。
和泉国・細川氏の家臣として仕えていたが、主家が滅びると共に美濃へとやってきた日根野氏で、美濃の大名・斎藤道三に仕え、弟の日根野重之と共に斎藤家を代表する豪の者として戦功を上げて斎藤六宿老の一人となった。
斎藤道三が息子の斎藤義龍との仲が険悪となり廃嫡を考えると、斎藤義龍に従って斎藤義龍の弟達を襲撃し、
長井隼人正巧みを廻し、異見申す処に、同心にて、則二人の弟共新九郎所へ罷来るなり。
奥の間へ入れ、態と盃をと候て振舞を出し、日根野備中、名誉の物切れのふど刀、作手棒兼常抜き持ち、上座に候つる孫四郎を切臥せ、又、右兵衛太輔を切殺し、年来の愁眉を開き、則、山下にこれある山城道三かたへ右趣申遣す処、仰天を致し、肝を消すこと限りなし。
とだまし討ちによって惨殺した。
斎藤義龍の死後は、息子の斎藤龍興に仕えて、攻撃してきた織田家臣・柴田勝家を撃退した。
美濃三人衆(安藤守就・稲葉一鉄・氏家卜全)が織田信長に通じて斎藤家が滅びると、今川氏真の家臣となり、没落後は近江の浅井長政の家臣となったが刃傷事件を起こして出奔し、伊勢長島の一向一揆にて元主君の斎藤龍興と合流して織田信長を苦しめたが、衆寡敵せず敗れると織田信長の家臣となった。
織田信長が本能寺の変で死亡すると羽柴秀吉に仕えるが、ここでも刃傷事件を起こしたり、秀吉の勘気に触れる等して出奔→復帰を3度繰り返し、小田原攻めで先陣を務めた功から信濃諏訪に所領を得て大名となった。
豊臣秀吉の臨終の際には、秀吉に招かれて豊臣秀頼に忠誠を誓い、遺品の国俊刀を受領して家督を息子・日根野高吉に譲って高野山にて出家し、85歳で没したといわれている。
※その他「日根野弘就」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照の事。
日根野弘就の最後については壮絶なパターンのものがある。
関ヶ原の戦いで日根野氏は東軍として参加したものの、出家していた日根野弘就は石田三成と通じていた事が徳川家康に露見しそうになり、日根野氏を守る為に切腹する事を決意したという。
いざ切腹の段になって腹掻っ捌いた後は腸を引きずりだして狂死をよそおうとしたのか、庭の木に引きずり出した腸を引っ掛けた。
しかしそのまま正気を保ち続けた日根野弘就は、切腹前日にやっておくべき秘密文書の整理をしていない事を思い出し、腹かっさばいたまま書状等の機密書類を縄で入念に縛り上げた後、火中に投じて灰にしたが、ここまで来てもまだ正気を保っていた。
書類整理中に日が暮れて、そのまま日が昇るまでの間も正気を保ち続け、近侍の者に
「まだ死にそうにない」
と呟いていたが、その日の晩になってやっと苦しみだし、自ら首を刎ねて息絶えたという。
ギロチンにかけられた科学者が研究の為にと首を落とされた後意識のある間中まばたきし続けたという話があるが、日根野弘就の切腹はまさに人外の所業といわざるをえない。
日根野弘就が愛用した冑は、非常に実践的な冑と定評があり、その形状は冑の鉢を中央と左右打ち延べ、矧合せとした三枚張としたもので、高眉庇に真向を打ち止めにして腰巻の板をめぐらせたものだったと言われている。
が、しかし日根野形については実際のところ確証は無いらしく、斎藤家でも豪の者だった日根野弘就・日根野重之兄弟の武勇にあやかった可能性もある。
▼武具の自作マニアの「ヒロ」として登場するiM@S架空戦記シリーズ「燃えよ双星」
「信長の野望」(PC)シリーズにおける日根野弘就の能力一覧。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||
覇王伝 | 采配 | 79 | 戦闘 | 81 | 智謀 | 61 | 政治 | 20 | 野望 | 50 | ||||
天翔記 | 戦才 | 146(A) | 智才 | 122(B) | 政才 | 82(C) | 魅力 | 64 | 野望 | 51 | ||||
将星録 | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||||
烈風伝 | 采配 | 30 | 戦闘 | 69 | 智謀 | 46 | 政治 | 22 | ||||||
嵐世記 | 采配 | 55 | 智謀 | 42 | 政治 | 16 | 野望 | 69 | ||||||
蒼天録 | 統率 | 43 | 知略 | 44 | 政治 | 36 | ||||||||
天下創世 | 統率 | 47 | 知略 | 47 | 政治 | 37 | 教養 | 46 | ||||||
革新 | 統率 | 49 | 武勇 | 76 | 知略 | 49 | 政治 | 39 |
掲示板
12 ななしのよっしん
2017/01/26(木) 11:06:07 ID: 4XUU8GYcSX
活躍はしてるが、大した武勇伝がないのも事実なのよね
遺した業績の大きさで能力値を査定する傾向にあるKOEI基準でいえば、平均値そこらの武将じゃないのかね
まあ、それでも近作のヒロは弱くされすぎだが
13 ななしのよっしん
2018/10/13(土) 22:38:45 ID: kbvKZ7dVlz
騙まし討ちや辻斬りが得意でも、大合戦で活躍してるとは言い難いからな…。
強いて言えば統率が低く戦闘が高いような、少人数戦に定評ある小笠原長時タイプだったのかも。
しかし、騙まし討ちにした道三の息子たちの生き残った弟が信長に仕えてたのに、同じ陣営に途中参加してトラブルはなかったんだろうか?
14 ななしのよっしん
2022/02/23(水) 17:08:43 ID: pV7b/3W6yo
織田家臣だった時代もあるが流浪の時代が長すぎてノブヤボでは大抵織田家とは相性が悪いことが多い人
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最終更新:2025/04/04(金) 16:00
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