日産・スカイラインGT-R 単語

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スカイラインGT-Rとは、日産自動車がかつて開発・製造・販売していたスポーツカーである。通称はGT-RまたはR。

概要

そもそものベースとなったスカイラインは、1957年富士精密工業の種として生産を開始。1966年プリンス日産自動車と合併した後も名が引き継がれ、長期に渡って生産されてきた(スカイラインの項を参照のこと)。

GT-Rは、C10から続くスカイラインの中でもサーキットでの使用を眼にして開発(メーカーチューン)された車両である。乗用車ベースでありながらレースで勝つことを使命とし、スカイラインの他のグレードと違った装備やエンジンを搭載し、他のスポーツカーにもを与えるほどのである。また、基本的に内専用であったにもかかわらず、グランツーリスモゲームへの出演、後述するレース参戦歴から、海外から知られているでもある。

第1世代(1969~1977)

初代(PGC10・KPGC10)
通称は「ハコスカ」。三代目スカイラインであるC10スカイラインベース開発されたもので、プリンス自動車技術開発した排気量1989ccの直列6気筒DOHC24バルブで160psを誇るS20エンジンを搭載し、熱線ガラス止、タイヤインチアップが施されたPGC101969年に発売された。デビュー当初は4ドアセダンであったが、後に2ドアハードトップとしたKGCP10が追加されている。レースでは日本グランプリ等を制し、マツダサバンナGTに負けるまで50連勝のを打ち立てた。(日産記録では49連勝ということになっている。)
2代目(KPGC110)
通称は「ケンメリ」。4代スカイラインC110スカイラインベース開発され、専用ラジエータグリル、前後オーバーフェンダーリアスポイラーが与えられている。エンジンも同じS20であったが、この当時排ガス規制が強化された事を受けて、197台で生産が打ち切られた。

第2世代(1989~2002)

3代(BNR32称:R32
1989年に8代スカイラインであるR32ベース開発されたGT-R。当時日産で推し進められていた901運動の最高標として2代目から16年の歳を経て復活した。901運動標が90年代までにエンジン・シャシー等の技術で1番になる事をしただけに、新技術もふんだんに注ぎ込まれた。その中でも代表的なのはRB26DETTDOHCツインターボエンジンである。このエンジンは直列6気筒、2568cc280ps(当時自主規制が敷かれていた・・・が、名だけで実際は300psえている)を発揮し、レースでも全日ツーリングカーレース等で敵しと大いに活躍した。また、同じくアテーサE-TSと呼ばれる4輪駆動システムを備えている。これは、速度センサと横Gセンサーと組み合わせて4輪すべてのトルクを調節するシステムで、例えばドライな路面でコーナリングする際には前輪のトルク配分を少なくする事で操縦性を安定させる。FR(後輪駆動)と4WDのいい所を取った物とよく言われる所以はこの為である。また、このR32確立した物は、現代のチューニング文化である。マフラーやECU(エンジンコンピューター)を取り替えるだけで400を軽くえるポテンシャルから、今尚チューニングベースとして好まれ、GT-R=チューニングカーの雄と印付けるほどまでになっている。因みに日産チューニングワークスであるニスモから限定でタービンをメタル製にし、フロントバンパーブタの様なを開けたニスモダクトを装備したGT-R NISMO1994年にはV-SpecIIと呼ばれるモデルが販売されている。また、ドイツのニュルブルクリングで走行テストを行い始めたのもこのR32からである。
4代(BCNR33称:R33
1995年1月に登場したBNR32GT-Rの後継で、9代スカイラインベース開発されたGT-R。因みにこの代だけ式名にCが付くのは、一般グレードに4WDでありながらHICASを搭載しないパッケージが有った為である。R32では居住間が狭い等の苦情もあった事と剛性を上げるためにボディが大化され、ECUもそれまでの8ビットから16ビットに引き上げられた事により、制御面などで技術向上が実現した。そしてエンジンはそのままRB26であるが、280ps/6800rpmの37.5kgm/4400rpmと若干トルクが上がっている。ただし一部のRファンからはボディが肥大化したと言う事で不評を買い、発表直後にR32を買い戻す人が続出した(当時チューニングの土壌が確立されていた為とも言える)。しかしその理由の一部として当時の日産ドイツニュルブルクリンクサーキットタイムアタックを施した際に広報車ライトチューンした疑惑が濃厚になった事も挙げられる。戦闘力は非常に高く、当時のJGTC(現SUPER GT)等で数多くのタイトルを取っており、ル・マンにも参戦していたりする。後にNISMOから400psにチューニングされた400Rが1200万円で発売され、1998年には日産の特装担当会社であるオーテックジャパンから4ドアGT-Rが発売されている(ちなみにこの4ドア警察車両としても使われていたりする)。
5代目(BNR34)
1999年1月に発表されたGT-Rで、10代R34スカイラインベース開発された。この代を持ってスカイラインを冠したGT-Rの系譜は一旦幕を閉じることとなる。最後のスカイラインGT-Rだけあって、これまでのGT-Rの中でも数多くの技術を投入しており、オートクレーブ工法で形成されたエアロシステム、鍛造ホイール等多岐にわたり、内コンソールでもコンソール中央にマルチファクションディスプレイMFD)が置かれ、体の状況などが見れる様になっており、宛ら戦闘機の様なコクピットとなっている(実は改造範囲が狭められているスーパー耐久レースを視野に入れたものである)。2000年10月にはマイナーチェンジを敢行しVスペックはVスペックIIとなり、ウィンカークリア化、ペダルアルミ化を図っている他、ボンネットNACAダクト付きのカーボン製とする等さらに戦闘力が上がっている。しかし排ガス規制の波に飲まれ生産中止が決定し、2002年には限定であるNür(ニュル:ドイツニュルブルクリンクから)が発売され、即日で売した。例に漏れずチューニングカーの定番である他、中古価格が今尚一向に下がらない(レア価格が付いて最高800万、最低でも300万)として有名である。レースではJGTCスーパー耐久ファルケンGT-Rによるニュルブルクリンク24時耐久レース(2002年には総合5位)等多岐に渡り活躍した。

第3世代(2007~)

R35から体を共有しなくなったため「スカイライン」の名が消え、「GT-R」となった。「日産・GT-R」の記事を参照のこと。

各世代の戦績

PGC10

1969年5月 「'69JAFグランリレース大会」クラブマンレース・特殊ツーリングカークラスGT-R(PGC10)がデビュー1位ゴールしたトヨタ1600GTが走路妨と判定され、1周減算された結果、GT-R優勝となる。これ以降、1971年12月「第6回富士ツーリスト・トロフィーレース」でサバンナに敗れるまで各種レースに勝ち続け、結果49連勝を飾る(通算52勝)。

BNR32

1990年全日ツーリングカー選手権(JTC)第1戦西日本サーキットにてGT-RレースデビューJTCというカテゴリーが終了する1993年まで敗を誇り、最終的に29連勝という偉業を成し遂げる(ちなみにGT-Rがあまりにも速すぎたため、91年以降クラス1はほぼGT-Rワンメイクとなっていた)。またその他、海外レースにも積極的に参戦した。

BCNR33

BNR34

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