日産・フェアレディZとは、日産自動車が販売するスポーツカーである。
スカイラインやシルビアと並び、日産を代表するスポーツカーの一つ。日産の前身、ダットサンが生産していたフェアレディの流れをくむ。ただし、ダットサン・フェアレディはオープンカーだったのに対して初代フェアレディZはクーペだった。
代々駆動方式はFR。エンジンは初代~3代目(Z31型)まで直列6気筒、3代目~現行までV型6気筒を積む。Z31型のみグレードによって直6とV6を使い分けた。6気筒以外のエンジンが搭載されたことはない(競技車両を除く)。
国産のスポーツカーが次々生産中止になっていく中、いまだに現行車種が生産されており、貴重な存在であると言えよう。
1969年デビュー。欧州の高級GTカーの代表作ともいえる、ジャガーEタイプクーペのような車を目指して開発された。その結果、ロングノーズ・ショートデッキのスタイリングになった。この手の形のスポーツカーは、先に挙げたジャガーもそうだが往々にして非常に高額なものが多かった。しかしフェアレディZは比較的安価であり、手軽に買えるスポーツカーとして52万台以上の大ヒットを記録する。特に北米での人気は高く現在でもS30をカスタムする人は多い。北米では「Z(ズィー)カー」なる愛称が定着している。
エンジンはコストの関係からコンサバな実用エンジン、L20型直列6気筒(130ps)を基本とした。国内向けのみレース用エンジンを源流に持つS20型(160ps)を搭載した432というグレードがある(432とは、4バルブ・3キャブ・2カムシャフトの意)。海外向けには排気量の大きいL24型が設定されていた。このL24型というエンジンがパワーもそれなりにあって頑丈で安いということで北米で大ヒットを飛ばした一因である。サスペンションはコンパクトにまとめつつ優れたハンドリングを実現するため、4輪ともストラット形式となっている。
1971年のマイナーチェンジで、これまで海外のみだった2.4リットルのL24型エンジンが国内でも販売されることとなる(240Z)。L20型では少々非力だしS20型はいろんな意味で手を出しにくかったこともあって、国内でも好意的に迎えられた。特に最上級グレードである「240ZG」にはアクリル製ヘッドライトカバー、オーバーフェンダー、FRP製エアロが装備されており(Gノーズと呼ばれる)若者の羨望の的になった。
しかしながら、1973年のマイナーチェンジで240ZとZ432はラインナップから外されてしまう。オイルショックによる石油価格高騰と公害問題が原因と言われる。以降国内向けモデルはL20型エンジンのみとなってしまう。海外向けモデルは2.4Lのまま継続。その後海外向けモデルは1974年に2.6L、1975年に2.8Lと排気量が拡大されていった。1975年、国内で昭和50年度排出ガス規制が施行されるとついにL20型も引っかかってしまい、対応策としてキャブレターからインジェクションに変更になった。また、触媒も搭載された。海外向けのL28も同時にインジェクション化されているが触媒は無い。
また、1974年には完全2シーターだった同モデルに対して、エマージェンシーとしての後席が欲しいとの要望に答える形で、ホイールベースとボディを延ばして狭いながらも4人乗り可とした2by2が追加されている。この2by2はZ32型に至るまでラインナップされ続けた。
余談だが、漫画「湾岸ミッドナイト」の悪魔のZはこのS30型である。L28をボアアップし3.1リッター化したものをツインターボ化したという設定で、最高出力600馬力、最大トルクは80kgを発揮する。Vシネマ化された際、同等の仕様の実車が製作されたが80kgものトルクを出すことは出来なかったようだ。
S30型Zのなかでも特に伝説的存在とされるのが「Z432」である。前述の通り432とは搭載されているS20型エンジンの4バルブ、3キャブレター、2カムシャフトを意味する。S20型エンジンはかつてプリンス自動車のレースカー、「R380」直系のエンジンで、アルミ鋳造のヘッド、DOHCなど当時の最先端技術が盛り込まれ、フルチューン状態で250馬力を発揮するモンスターマシンであった。しかし、ノーマル状態ではストリートユースを考慮しかなりデチューンされたため160馬力となっており、また日産系のフェアレディの車体と、プリンス系のS20エンジンは余り相性が良くなかったらしく、無改造では240Zのほうが速かった、という話もある。
生産台数は約400台とされておりS30型Zの中でも特にレアなモデルとされている。中でも、公道走行不可なレース専用車として「432R」も作られたが、下記のようなモータースポーツ活動で主に用いられたのは240Zであり、レース用としてはほとんど売れなかった。結果、50台ほどの生産のうち20台あまりがナンバーを付けて公道仕様として売られた。それ以外の余った物はノーマルの432仕様に戻されたという。
S30はモータースポーツ活動にも使われたが、当初活躍の主戦場は、意外にもラリーであった。日産(ダットサン)はそれまでブルーバードでラリーに挑戦していた。1970年の510ブルーバードのサファリラリー優勝を機に、次のラリー用車両として輸出向けフェアレディZを抜擢した。ラリーカーらしくないスタイリングとは裏腹にZは非常に頑丈で、それなりに速かった。
最初に活躍したのは、1971年のサファリラリーである。前年のチャンピオンとして臨んだこの年、S30Zは3位のプジョーを5時間以上引き離す大差で1-2フィニッシュを決め、2連覇を達成した。S30として初めての勝利である。72年は優勝を逃すが73年は再び優勝、73年はWRC(世界ラリー選手権)の一戦として行われたので、これがWRCにおける日本車の初勝利である。
サーキットでもZは活躍する。1971年の鈴鹿300km優勝を皮切りに富士グランチャンピオンレース(通称グラチャン)GCクラスで若手の柳田春人(のちに「Zの柳田」の異名をとる)が優勝。その後も何度か優勝を飾っている。
1978年にZはフルモデルチェンジを果たした。各部の雰囲気はそのままに、空力特性を改善するため全長が300mmほど延ばされた。幅も拡大されている(S30のGノーズモデルとほぼ同じ全長・全幅)。エンジンは引き続きL20/L28型だが、S30と違いL28も国内販売が行われた。サスペンションはリアがセミトレーリングアーム方式に改められている。
1980年には国産初のTバールーフを用意。フェアレディにZが付いてから初めてオープンにできるモデルである。この形態はZ32まで継続される(Z32のみコンバーチブルと併売)。
1982年にはターボ黎明の折、S130Zにもターボモデルが用意されることとなった。国内向けには2.0Lターボモデルが追加され、海外向けには2.8Lターボモデルが追加された。この2.8Lターボモデルは「280ZX」のグレード名で売られ、大ヒットとなった。ちなみに、2.0Lターボモデルに搭載されたL20ETは国産初の乗用車用ターボエンジンとして1979年に開発されたものである。NAのL20Eは130psなのに対して、L20ETは145psを発生した。
41万台売れたものの、これといって画期的な新機軸を盛り込んだわけではない正常進化型だったため、歴代モデルの中では影が薄いと思われる。
とは言うものの、このモデルはドラマ「西部警察」において、スーパーZ(マシンZ)としてガルウィングドアに改造されて渡哲也演じる主人公の大門部長刑事の担当車両として登場。このマシンの存在が本作品においておおいに華を添えたのは言うまでもない。
主に北米のIMSAで活躍した。1979年にはエレクトラモーティブチームからS130が出場、IMSA-GTUクラスでチャンピオンを獲得する。1982年には格上のIMSA-GTOクラスにターボモデルで参戦し、チャンピオンとなった。
前回のフルモデルチェンジから5年後、3代目Z31型がデビュー。外観上大きく変わった点として、これまでの丸型ヘッドライトから、当時流行となっていたリトラクタブルヘッドライトに変更となった。ただし、他のリトラのように回転しながら出てくるのではなく、上に平行移動して出てくる方式だった。リトラを閉じている間は空力特性が非常によかったという。全長は先代よりさらに延びた。このモデルから海外の販売ブランドをダットサンから日産に変更した。
この型の一番のトピックはエンジンである。旧態依然のL型から、新開発のV型6気筒エンジンであるVG型を搭載することになった。国内向けには2.0Lターボモデルと3.0Lターボモデル、海外向けにはこれに加えて3.0LNAモデルが設定された。2.0LターボのVG20ETで170ps、3.0LターボのVG30ETで230psとL型から比べて格段の進歩を遂げた。3.0Lターボモデルは300ZXの名で知られ、先代同様アメリカで人気となった(英語版Wikipediaで300ZXと検索するとやたら気合の入ったページが見つかる)。
1985年には国内向けに、スカイラインのエンジンとして名を馳せる直列6気筒のRB20DETを搭載したモデルが追加設定された。このRB20DETは世界初のセラミックターボであった。出力は180psを発生。なお、出力表示はこれまでのエンジン単体でのベンチテストによって測られるグロス値から、車体への積載状態を考慮して算出するネット値になっている。
1986年のマイナーチェンジで2.0LターボモデルがRB20DETに一本化され、新開発のDOHC化された3.0LNAのVG30DE(かのMID4のエンジンだという)を搭載したモデル(300ZR)が追加された。また、このときエクステリアデザインを大きく変更し、このモデルから後期型と呼ばれる。
累計生産台数は33万台。
先代に引き続き、アメリカでレース活動を行う。1986年にはポール・ニューマンの手によりTransAmで1勝を挙げる。一方で国内ラリーにも挑戦し、1985年には全日本ラリー選手権でチャンピオンとなった。
フェアレディZC?タカキューZ?何を言っているのか分かりませんよ?
シリーズの中でも特に高い人気を誇ると思われるのがこのZ32である。3代目までのロングノーズ・ショートデッキを捨て去り、新たにワイド・ローなスポーツカー然としたスタイリングに変更された。リトラクタブルヘッドライトも廃止、四角形型の固定ランプとなった。全長は大きく変わらないものの、幅が100mm近く増やされ、迫力のあるフォルムと相まって「ワル」な感じを演出していた。
エンジンは先代の300ZRを改良したVG30DE(230ps)と、それにツインターボを搭載したVG30DETT(280ps)が用意された。2.0Lモデルは廃止。低い車体に短いフロント、そこに3.0LのV6にツインターボとくれば、整備性はお察しください。3.0Lツインターボモデルが発揮した280psは当時国内最強で、際限のないパワー競争を恐れた当時の運輸省(現・国土交通省)の指示によりメーカー間で280ps自主規制の取り決めが生まれる原因となった。
Z32がすごいのはエンジンだけではない。当時日産は901運動(1990年代までに技術の世界一を目指す)を実施しており、サスペンション技術を徹底的に研究していた。Z32には四輪マルチリンクサスペンションが奢られ、車体は重くなったにもかかわらず高次元なハンドリングを実現していた。さらにツインターボモデルには4WSが装備されていた(Super-HICAS)。ブレーキも四輪ベンチレーテッドディスクにアルミ対抗4ポットキャリパーを採用し、日産の気合の入れようが分かる。
デビュー時点でかなり完成されたパッケージングだった&バブルの崩壊からモデルチェンジする体力が無かったため、大きな仕様変更を行うことなく長らく販売された。1998年にボディ剛性を向上、バンパーや灯火類の意匠を変更した後期型となる。よく知られているトリビアだが、Z32のヘッドライトはランボルギーニ・ディアブロと日産のGT1マシン・R390に流用された。
Z32は結局16万台生産された。日産は90年代後半に業績が悪化、企業再編を余儀なくされる。フェアレディZもZ32型が生産終了してから次世代まで2年の空白を挟むことになる。
1990年からIMSAにフル参戦。ロッド・ミレンの弟、スティーブ・ミレンが1992年と1994年にチャンピオンを獲得した。1994年は他にもデイトナ24時間とセブリング12時間で優勝し、ル・マン24時間レースでもクラス優勝を果たした。1994年から1997年まで、プライベーターの手によってIMSA仕様のZ32が全日本GT選手権(JGTC)で走った。
倒産寸前の日産をカルロス・ゴーンが立て直してから初めて登場したZである。
企業自体の方針が変わったこと、先代から13年も経過したこともあって、Z33型はZ32から大きくイメチェンしていた。ワイルドでワルっぽかったZは、すっきりとまとまって優等生的な雰囲気になった。低かったボディも時代の流れに合わせて高くなり、塊感のあるフォルムとなっている。空力性能は非常に良く、Cd値は驚異の0.30である。
これにより一部のZ32のファン達は困惑し、物議をかもした。曰く、こんなのはZではない、と。しかしながらデザインの完成度は高く、概ね好評を得た。デビューした2002年にはグッドデザイン賞を受賞している。車体のいたるところにあしらわれた3つのドットは、■Newness(新しさ)、■Z-ness(Zらしさ)、■High Quality(高品質)を意味する。当初はクーペのみだったが、2003年7月(北米、日本は同年10月)からZ32までのTバールーフの代替となるオープンモデル「ロードスター」が追加された。
また、Z32型までは一貫して子会社の日産車体で30年間にわたって生産されてきたが、Z33型から日産本社に生産が移行し、フェアレディZは名実ともに日産の生産車種となった。また、V35スカイラインと共通プラットフォームを採用したため伝統の2by2モデルは消滅し、V35スカイラインクーペが2by2の代替車種となった。
搭載されるエンジンは3.5LNAのVQ35DEのみで出力は自主規制枠いっぱいの280ps、自主規制枠が撤廃されてからマイナーチェンジして294psまで向上した。2007年にはエンジン本体の変更を受け、VQ35HRとなり313psまで向上した。MTはZ32までの5速から、6速になった。
足回りは先代に引き続いて四輪マルチリンク。ボディの変更に合わせて、当然ながら新規に設計しなおされた。フレームはV35スカイラインと基本的に共通だが、Z33にはトランクルームにぶっとい補強フレームがある。写真で見てもわかるが、どうみても使い勝手を損なっている。
Z33は販売台数のうち半分以上が北米である。大きな代がわりだったが、やはりZはアメリカとは切り離せない関係にある。なおZ33には数多くの限定車が存在するが、多すぎてここに書くのもアレなので気になる方はWikipediaを参照してもらいたい。
2007年には専用のエアロとヤマハ製のパフォーマンスダンパーをはじめとするチューニングパーツを装備した「versionNISMO」がデビューした。通称バーニスと呼ばれ、次世代のZ34にも設定された。versionNISMOにはさらに特別なスーパー耐久ホモロゲ用のType 380RS-コンペティションとその公道向け版であるType 380RSが用意されていた。名が示す通り3.8Lまで排気量アップが図られ、350psを発生した(決して380psではない)。380RSは300台限定。
IMSAはZ32の代の途中ですでに消滅しており、主戦場は国内に移った。JGTCで日産は2003年までGT500クラスでスカイラインGT-Rを使用していたが2004年からZ33に変更、2003年と合わせてシーズン2連覇を達成する。JGTCからSUPER GTと名称を変更した初年度の2005年にはチームタイトルは獲得するがドライバーズタイトルは逃す。その後2007年までZ33が使用されたが、2008年にGT-Rにバトンタッチした。
2003年からGT300クラスにもZ33は参戦し、この年のドライバーズタイトルを獲得した。2010年もZ33は出場しており、シリーズチャンピオンとなった。
JGTC(SUPER GT)以外にもスーパー耐久シリーズ、D1グランプリなどにも出場した。また、Z33を改造して最高速チャレンジをする者もいた。
これまた余談だが、上記の最高速チャレンジを行った稲田大二郎は、約320km/hで大クラッシュをしたが、奇跡的に打撲だけで済んだという。ちなみにクラッシュをした後、すぐ車を降り仁王立ちでスタッフを待っていたらしい。そしてこの大破したZ33は、超高速域からのクラッシュでもドライバーを護ったマシンとして、岐阜県にある「走り乃神社」に御神体としてコンテナの中に安置されている。
ぱっと見の雰囲気はZ33の正常進化型のようだが、横から見ると初代S30系を髣髴とさせる雰囲気が満載であり、味付けは結構変わっている。まず大きなトピックとしてあげられるのが、ホイールベースの短縮である。先代のZ33よりも100mm短縮され、それに合わせて全長も短くなっている。純正サスペンションも煮詰められており、これによってZ33よりもクイックなハンドリングを実現し、よりスポーツ志向の高い性格となっている。さらに空力も磨きこまれ、全長が短縮されながらCd値は先代同様0.30である。
エンジンは先代の後期モデルに搭載されたVQ35HRを排気量アップして3.7Lとし、VVEL(バルブ作動角・リフト量連動可変システム)を搭載したNAのVQ37VHRにZ34独自のセットアップを施されており、336ps(versionNISMOは355ps)を発生する。トランスミッションは、世界初のシンクロレブコントロール付6速MT(VersionST、VersionSの2種類のみに搭載、ベースグレードはMTも選択可能だがシンクロレブコントロールは搭載されない)か、Z34用に細かく調整されたマニュアルモード付7速ATである7M-ATx(アダプティブシフトコントロール搭載・シンクロレブコントロール付・2速以降全段ロックアップ機構搭載、VersionSを除く全グレード)と、豪華なものになっている。
ATに搭載されているジヤトコ製JR711E型ミッションはトルクが600N·m (61.2kgf·m)まで対応しており、フルチューニングを施されたエンジンを搭載しても大丈夫なように設計されている。
先代Z33はコストダウンのためV35スカイラインクーペと多くの部品を共用化したが、Z34は日産FR-Lプラットホームの中でもスカイラインベースのZ34専用設計であり、V36スカイラインクーペと共通部品はダッシュロアなどのごく一部に留まる。特にボディ後半はイチからの完全新規製作である。その成果もあって、トランクルームの補強フレームはZ34では撤去されたが、むしろボディの剛性は全体的に約50%上がっており、重量がほぼ据え置かれたことを考えると大きな進化をしていると言えよう。
デビュー翌年の2009年6月には先代にも設定された「versionNISMO」が登場した。先述の通り355psまで強化されたエンジンに、専用のフルエアロ、ボディ強化、サスペンション強化が行われている。
2012年7月にマイナーチェンジ。主にFバンパーのデザインが変更された。同時にversionNISMOにもアップデートが施された。
日産のモータースポーツ活動が縮小しており、ワークスとしてZ34を使った活動はされていないのが現状である。もともと車格が大きくパワーもあるので草レースのチューニングベースとして使われにくく、Z34をサーキットで(特に国内は販売台数がかなり少ないこともあって)見ることは少ない。2010年はスーパー耐久に途中参戦した。
2021年8月18日に、北米日産にて発表された。北米現地での発売は2022年春頃とされ、日本仕様の発表は2021年冬頃の予定。
6気筒ツインターボエンジンであることが明らかになっており、6速マニュアルと9速パドルシフト付きATの組み合わせになるとのこと。
モデル名は「Z34」を踏襲しており、実際にボディはルーフラインなどからして従来のZ34と共通部分が多く見受けられる。いわばフルモデルチェンジに限りなく近いビッグマイナーチェンジと言うべきものであろうか。
掲示板
41 ななしのよっしん
2022/08/07(日) 13:50:04 ID: UGAsaCnosq
あのバカ国沢の記事なんでどこまで本当の話か分からんな、これ。
新型フェアレディZ購入して55万円の内金払ったのに……突如抽選になり落選!!
https://
> 新型フェアレディZの購入契約をして55万円の内金を払ったのに、突如ディーラーから「抽選になりました。ハガキが届きます」
> ということで届いた手紙のバーコードを読み込んでアクセスすると、メールで当落の連絡が来るというモノ。
> 届いた手紙は「坊ちゃんハズレ~!」でございました(泣)。
> こんなイヤな思いをするためディーラーに行って納車が2年先になるようようなクルマの契約をしたんじゃない。
> この話を日産の関係者にしたところ、「同意書にサインしてますよね? 法的にはたぶん何もできない気がします」。
42 ななしのよっしん
2022/11/05(土) 20:32:31 ID: hd4ZSR4UtW
43 ななしのよっしん
2022/11/18(金) 20:37:12 ID: el+s5DAXx7
>>42
Hikakin Maniaという動画シリーズでもひき逃げネタで頻繁に使われてるけど例のアレのトヨタ・センチュリーに比べればまだマシだと思う
急上昇ワード改
最終更新:2024/04/26(金) 01:00
最終更新:2024/04/26(金) 01:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。