日産・ラングレー 単語

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ラングレー

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日産・ラングレーとは、日産自動車1980年から1990年まで生産していた小である。

概要

パルサー姉妹で、こちらはスカイライン販売会社(プリンス店)で販売されていた。
1990年にはパルサーと統合され、ブランド止された。

歴代の共通点としては、同じプリンス店扱いのスカイライン分としてのポジションとなり、キャッチコピースカイラインを意識をしたものとなった。実際にスカイライングロリアユーザーセカンドカーとしてのポジションでもあった。

歴史

初代(N10系、1980年~1982年)

1980年発売。
パルサー姉妹として販売され、ボディタイプは3ドアのみだった。

1981年にはマイナーチェンジを実施。

1982年にはモデルチェンジした。

キャッチコピー本家スカイラインのように「ラングレー」となっていた。

2代目(N12系、1982年~1986年)

1982年発売。
3ドアと5ドアのみが設定されており、4ドアセダンは用意されていなかった。

1984年にはマイナーチェンジを実施。

1986年にはモデルチェンジした。

この代もスカイラインを意識をしたキャッチコピーで「ポールポーラの新ラングレー」となっていた。

3代目(N13系、1986年~1990年)

1986年発売。
このモデルからはスカイラインとの関連性を強く押し出しており、セダンのテールランプデザインは当時新で販売されていたR31スカイラインを模した物となっていた。また、キャッチコピーは「スカイラインズ・ミニ」であった。
ボディタイプは3ドアハッチバックと4ドアセダンを設定。
エンジン1500cc/1600ccインカム/1700ccディーゼルを設定。

1988年にはマイナーチェンジを実施。
内外装の一部が変更された。

1989年には一部良を実施。
インカムエンジン搭載グレードの「GTシリーズ止され、お買い得仕様タイプFセレクト」、「タイプXセレクト」が追加された。
この「セレクトシリーズにはエアコンタイプFはマニュアルタイプXはオート)が標準搭載されていた。

1990年には生産を終了。

イメージキャラクターには当時現役レーサーであった鈴木亜久里を起用をしていた。

1989年発生の東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件犯人宮崎勤だったということで当車両が犯行に使われたことがモデル止の理由とされるが、もともと販売台数は芳しくなく、モデル統合によって1990年に販売を中止したというのが相のようだ。

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最終更新:2024/04/25(木) 18:00

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