明石家さんま 単語

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人物
明石家さんま
基本情報
生年 1955年7月1日
生誕地 日本和歌山県古座町(現:串本町
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出身地 日本奈良県奈良市
日本
本名 杉本 高文(すぎもと たかふみ)
別名 明石家さんま
職業・肩書 タレント俳優
備考・その他
  • 日本放送演芸大賞 大賞
人物テンプレートボックス

明石家さんまとは、日本お笑い芸人タレント俳優会者である。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。

概要

ビートたけしタモリと並ぶ、お笑いBIG3の一

同じよしもとクリエイティブ・エージェンシー所属の後輩芸人である岡村隆史ナインティナイン)より「お笑い怪獣」という称号で呼ばれるほど、そのトーク存在感は他を圧倒する実を持っている。
どんなゲストトークでも理矢理自分をアピールするような展開に持って行き、最終的には自分が最もおいしい話のオチにしてしまうという脅威のスキルを持っており、先輩芸人からも後輩芸人からも恐れられている。

俳優としても活躍しており、代表作は多数。
前妻である女優大竹しのぶとは「男女7人物語」「男女7人物語」で役として共演した際に交際をし、結婚に至った。 

経歴

1955年昭和30年)、和歌山県古座町(現:串本町)生まれ。奈良県奈良市出身。本名、杉本高文。実家ではさんまなど冷凍産物の加工業を営んでおり、それがきっかけでさんまという芸名をつけられた。

芸名から分かるように、元々は落語家として笑福亭松之助一門に入門したものの、落語のできない落語家としてに形態模写などのモノマネ漫談を若手時代に行っていた。古くから交のある春風亭小く「不思議なことに、あんなに喋れるのに落語は壊滅的に下手だった」とのこと。

毎日放送とは古くからの付き合いがあり70年代から『MBSヤングタウン』、『ヤングおー!おー!』にレギュラー出演し、前者については2012年現在土曜日に放送されている。また月曜深夜の『痛快! 明石家電視台』も25年以上続いているテレビ番組で、この番組の収録のために2週間に1回大阪に帰ってきている。

1981年昭和56年)放送開始のオレたちひょうきん族フジテレビ)が彼の運命を変える。メインコントの「THE タケちゃんマン」で当初高田純次が演じたライバルブラックデビルだったが、高田の急病により代役を立てることとなり、高田の体に合わせて作られた衣装を着れたのがさんまだけであったため、ブラックデビルを演じることとなった。しかし、当初代役だったさんまブラックデビルアイディアを積極的にスタッフに提案したことやコーナー人気沸騰したため正式に2代目となる。それにより一気にされることとなる。

フリートークにおいて相手のトークを食ってしまうほどのな話術と自己アピールでも注され、「笑っていいとも!」(フジテレビ)の金曜レギュラーとしてMCタモリとのフリートークコーナー人気を博す。

として注された頃、ちょうどそれまでお笑いBIG3』としてビートたけしタモリとともに評されていた萩本欽一人気低迷。しばらくして自休業をしてレギュラー全番組を降した隙に、たけしタモリと共演し対等以上の実を見せていたさんまがBIG3入り。毎年正月に放送されていた「BIG3・世紀のゴルフマッチフジテレビ)やテレビ夢列島(現:27時間テレビフジテレビ)における活躍でその地位を確固たる物とし、以降日本が誇る「お笑い怪獣」として今でも業界の第一線に立ち続けている。

一方、俳優としても男女7人物語」「男女7人物語(共にTBSテレビ)で役を演じ大ヒットさせる。そこで共演した女優大竹しのぶ1987年昭和62年)に結婚。一女を設ける(現在、IMALUの芸名でモデルタレントとして活躍中)。

一世をした「オレたちひょうきん族」であったが、昭和の終わりと共に1989年平成元年10月に終了、大竹しのぶとも1992年平成4年)に離婚するなど一時的に低迷したものの、さんまのからくりTVTBSテレビ)の成功で再び軌に乗り始め、恋のから騒ぎ踊る!さんま御殿!!(共に日本テレビ)でさんま対複数人』という脅威のフリートークバトル番組を成功させ、大御所として君臨するようになる。番組での様子から、次第に彼は「お笑い怪獣」と呼ばれることにとなる。

さんまファミリーと呼ばれる、彼とつながりの深い芸人タレントが多い。
村上ショージMr.オクレ、ジミー大西中村玉緒浅田美代子などが含まれる。

2008年平成20年)に会を務めたFNS27時間テレビ「みんな笑顔のひょうきん」は非常に高い評価を受け様々な芸能人に絶賛された。 また2012年平成24年7月桂三枝が7代桂文枝の襲名披露をなんばグランド花月で行い、このときにはさんま三枝の共演を40年ぶりに果たしている。

寝ない事で有名(極度のショートスリーパー)であり、「寝顔を見ると口止め料として一封が貰える」「本当はロボットなんじゃないか」「いつ何刻電話しても出て、あのテンションで喋る」「30時間近く一緒に居たが全く寝ていない」「ジミー大西さんまに住まわせてもらった際、丸2日間全く寝かせてもらうことができず3日にとうとう倒れてしまった。さんまはその間一睡もしなかった」等の噂が立っている。一方でひょうきん族時代は寝坊の常習犯だったようで、どうやら人がいない午前中や間に寝ているようである(のIMARUですら寝顔を見た記憶い)。

座右の銘は「生きてるだけで丸け」。この格言を縮めて名前「いまる」にしたという。(後に「IMALU」として芸能デビュー

島田紳助との比較

同期芸人島田紳助がいる。若手時代は一緒に営業に行ったり、お互いので寝泊まりするなど交は深く、その後ひょうきん族で共演し、90年代から10年代にかけて冠番組を多く持つなど共にテレビ界のスターとして君臨していた。そんな関係性のある2人であるため、2人を較する評論がいくつかなされている。

徳光和夫は2人を較し、『努さんま天才の紳助』と評している。2015年平成27年)『ジョブチューン』の会者特集で、「凄いと思った会者」という話題での発言である。さんまはよく若手の番組をチェックしたり、自分の番組を見返して自分で笑っているというエピソードられるが、これは見方を変えれば「常に面い存在であろうとする努」ともみられるのである。一方の紳助は、プライベートではギャンブルなどの趣味や、店の経営などの話しかせず、お笑いに関する努やる気も見られない。しかしいざ番組収録が始まったら、トークの上手さ、作り話の上手さで爆笑を取る、まさに天才だったと振り返っている。

日本航空123便墜落事故とさんまの関係

1985年昭和60年8月12日東京大阪行の日本航空123便群馬県多野郡上野村山中墜落する事故が起こった(日本航空123便墜落事故)。

さんまは当時、大阪MBSラジオMBSヤングタウン月曜担当で、東京フジテレビひょうきん族」の収録後、JAL123便大阪に向かっていた。8月12日123便に搭乗する予定だったがたまたまひょうきん族」の収録がく終わり、1便全日空便に搭乗したため事故を免れた。

そして、「ヤングタウン」の生放送ではあまりのショックで言葉を失い、冒頭数分に番組変更の旨を含めて喋ったのみだった。またこれ以来、東京大阪間の移動には必ず新幹線を利用するようになったという。

また、同便には後にBIG3企画の進行役として共演することとなる逸見政孝も搭乗予定だったが難を逃れており、さんまと逸見が同便に乗っていた場合、その後のお笑い芸能界の勢図が大きく異なっていた可性が高い。

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