春雨(艦これ) 単語

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ハルサメ

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越後屋の駄菓子について語るスレ#2029

白露型駆逐艦五番艦の春雨です、はい。
輸送作戦はお任せください……です。」

春雨(はるさめ)とは、大日本帝国海軍所属の白露型駆逐艦5番艦「春雨」をモデルとした、ブラウザゲーム艦隊これくしょん~艦これ~」に登場する艦娘(かんむす)である。

CV:金元寿子キャラクターデザイン玖条イチソ 図鑑No.205

春雨の・・・概要なのですか?

めさるは

初期からいた白露型6人(「白露」「時雨」「村雨」「夕立」「五月雨」「涼風」)に、2014年イベントAL/MI作戦」から先行実装という形で新たに加わった、白露型姉妹の五女。「村雨」「夕立」の2人についてはセリフにて明確にと呼んでいる一方、「五月雨」からは既に春雨実装前から「~春雨とは第2駆逐隊でお友達でした。」と言われており、絵師の異なる「春雨」以降の2隻との姉妹関係はなさそうな描写となっている。
2014年イベントでのE-1突破報酬であったが、このマップの高い難易度により彼女を得ることさえ諦めた提督が続出したとか。 そしてAL/MI作戦の終了に伴い「春雨」の確実な入手は不可能となり、その後も建造や通常域でのドロップ(それぞれ大型艦建造・X-5以降のEO域含む)では一切登場せず、入手可な機会はイベント域限定でのドロップに限られ、文字通りのレア艦娘状態が未だに続いていたが、2015年6月29日アップデートで、この日実装された6-3のボスドロップとして、ようやく通常域への実装となった。[1]なお、その6-3ボスマスには、何かとよく似てると言われるわるさめちゃん駆逐棲姫が、こちらも通常デビューしている。また、その後実装された6-5ボスマスでもドロップが確認されている。

以下の記事をご覧頂いてもわかるように、なにかと輸送・護衛任務に縁のある艦娘である。それに加え容姿やセリフ等(後述)により、一部提督諸氏からは「給食係」のあだ名で呼ばれることも。

装は、「白露」から「夕立」までの白露型と共通の、のある襟にラインの入った濃セーラー服リボンタイサイドテールにまとめたピンクの上に、給食ベレー帽ちょこんと乗せている。なお、サイドテールの先っぽの髪色ピンクではなく、潜水艦娘のようなグラデーションによって水色に変化している。瞳は真紅だが、どこぞの姉のように覚醒している様子はない。
右手には物資を満載しているドラム缶を模したものであろう給食バケツ[2]が握られている。一方、登場時の初期装備は給食バケツドラム缶ではなく、駆逐艦にはおなじみの連装に加え、レア装備として大鯨同様の毘式40mm連装機を持参する[3]

性格は素直で、人見知りではないものの非常に大人しめ。丁寧な口調(いわゆる「ですます調」)でしゃべり、語尾に「はい」を付けるがあるようだ。

装すると時報ボイスをしゃべるようになる。
朝ごはんの和定食おやつを用意してくれたり、おには提督と一緒に洋食屋さんへ外食に出かけたり、お夕飯には少しっ気を出しながら、自分の名前にちなんだかなり本格的な麻婆春雨を作ってくれた上、洗い物片付けまでしてくれたりと、食についてなにかと具体的な描写が多い。これは彼女給食バケツを持った給食係だからだ輸送任務から連想される補給にちなんだものだろうか。
さらにイチで「今日も輸送作戦、頑りましょう」と言い出し、遅くにも輸送作戦の打ち合わせを所望するなど、彼女の任務に対する生さがえる。

とにかく生で謙虚で素直な、性格のいい可愛いなのである。
この性格は、史実でも前線に出て赫赫たる戦果を挙げたわけではなく、輸送任務や護衛任務といった裏方役に腐心してきた事によるものだろう。

中破すると頭を抱えてうずくまってしまう可愛いそんな彼女もしっかり鍛え上げれば、「守りきります!」と言いつつル級ヲ級夜戦叩きのめすようになる。
レベル駆逐艦にしては高めの30。装する事により今度こそ給食バケツドラム缶を持ってくる。同時に綾波改二夕立改二の初期装備である12.7cm連装B型も一緒に持ってくる。

2014年12月1日に行われたアップデートにて、春雨立ち絵と中破絵が一新された。事前予告なしであったため、春雨大好き提督諸氏にとっては嬉しいサプライズである。給食バケツを持つのに疲れたのかドラム缶のようなものをリュックサックよろしく背負って鎖で身体に固定させているような格好となっている。おヘソ
中破絵は床にぺたんと座ったいわゆる「アヒル座りポーズとなった上、のひん剥け方がどえらいことになったので度によってはほぼ全裸に見えてしまうかも知れない[4]ピンク色ぱんつ彼女自身にとっては一大事だが、恥ずかしい姿にされてもドラム缶傷で守りきっているところは彼女の頑りを大いに讃えるべきところであろう。
ちなみに、この新規絵では、前色の髪留めを付けている。夕立改二が付けているものに似ており、一説ではソロモンで散ったの形見だとも言われている。

限定グラフィックが…あの…見て下さい。

これまで、同じイチソ艦である白露型達には多くの限定グラフィック実装されていたのだが、追加艦娘のためか春雨にはとんとそういう話はく、前述の通り「」の立ち絵が追加されたのが一の動きであった。

達が大胆な水着姿を披露した2015年シーズンも、春雨にはサプライズ水着実装されるということもなく、情に過ぎていった。しかし、2015年9月25日アップデートで、の訪れと足並みをえ、ついに春雨初となる限定グラフィック(通称「焼きmode」)が、期間限定ボイスと共に実装された。ピンク色の暖かそうなコートを着て、焼き春雨の姿に、春雨大好き提督達もほっこりと和まされたものである。

2016年2月10日アップデートでは、バレンタイン限定グラフィックが登場。何気に白露型では一のバレンタインモードである。今度はメイドさん姿で、手にはハートチョコレートを大事そうに抱えている。生みのく「なるほど春雨イドexit

同年4月22日アップデートでは、三周年記念限定グラフィックの「花束mode」の一人に選ばれた。残念ながら、絵自体は基本的には差分であるが、これまでの限定グラ不遇時代から考えると格段の出世である。ちなみに「春雨」のみの実装であるためご注意。
彼女が抱えている花束ピンクチューリップ言葉は「の芽生え」「実な」である。

2022年ローソンコラボでは春雨春雨スープローソンの一部店舗に並んだ。取り扱い店舗が限られていたためか春雨難民地方を中心に発生したようである。

これなら、史実解説もしっかりできそう・・・

白露型駆逐艦五番艦「春雨」は、1931年に策定された第一次補充計画で建造が決定。一等駆逐艦として1934年10月13日春雨と命名、舞にて起工された。同年9月26日に進1937年8月26日工した。
横須賀鎮守府に籍を置く。

名前春雨は、本人が言うように中国原産の麺から取ったわけではなく(余談だが、あれを「春雨」と呼ぶのは日本だけであり、しかも昭和になってからの命名らしい)、そのネーミングの元になった、に降る細かいから取られている。
のつくお洒落な艦名(村雨談)シリーズの一人であり、同シリーズとしては艦これで最後に実装された艦娘となった。
軍縮条約下では量産に制約のある吹雪型に代わる、白露型として起工しているため中駆逐艦である。

1941年4月石川所に入渠。同年11月5日第四水雷戦隊南方部隊部隊に編入。
そして12月8日運命の開戦を迎える。

さてその「春雨」だが、太平洋戦争開戦時は第2艦隊第4戦隊第二駆逐隊に所属。同駆逐隊は同じ白露型駆逐艦夕立」「村雨」「五月雨」で、彼女実装でようやく第二駆逐隊艦これでも再現出来るようになった。
第二駆逐隊を出撃し、南方方面に派遣東南アジア連合軍と干を交える事となる。
戦後間もない12月10日にルソンビガンにて戦闘機3機と交戦。22日にはリンガエン湾上陸作戦支援し、26日にへ帰投。年内の戦闘を終えた。

1942年1月2日ダバオに寄港したあと団を護衛。12日、タラカン上陸支援を実施。23日にはバリクパパンの上陸支援に従事した。
24日、駆逐艦「ポープ」などからなる第59駆逐隊が泊地に殴りこみを掛けてきたため、春雨団を護衛して離脱。1月27日、東部ジャワ上陸支援中にスラバヤ沖海戦が生起。急遽そちらへ参加。
3月1日村雨とともに泊地へと侵入してきた魚雷艇と交戦。16日、夕立団護衛を担当し、23日にはミンドロ東で潜水艦を発見。対潜攻撃を行っている。
4月1日、マニラ封鎖作戦に従事。続いてセブ攻略支援する。これにて作戦は大方終了、春雨横須賀へと帰投した。その後、蒼龍の護衛を担当。

1942年5月29日、柱を出撃。6月4日ミッドウェー海戦では攻略部隊を乗せた団を護衛したが、機動部隊壊滅により撤退。14日に佐伯湾へ帰還した。春雨はその後、インド洋方面の作戦に投入されるはずだったが、8月米軍ガダルカナルに襲来。ソロモン方面へ派遣される事となり、ガダルカナル島への増援作戦に従事。

8月24日に生起した第二次ソロモン海戦において「春雨」は、速不足で置いていかれた戦艦陸奥」の護衛を担当。
9月1日トラックへ帰投。12日には特設水上機母艦丸」と合流し、索敵を支援する。
10月8日第九駆逐隊とともに水上機母艦日進」を護衛。24日、ガダルカナル島撃に向かう軽巡由良」を護衛していたが、由良中で米軍機による爆撃を受け沈没16時20分、由良の乗組員を収容して退避した。

夕立」が「ソロモンの悪夢、見せてあげる!」と大暴れした、1942年11月13日第三次ソロモン海戦では、最初は彼女と共に2隻で先行しており、敵を発見した後は共に敵に向かって突撃する。
が、敵のすり抜け先制攻撃を浴びせて敵を混乱に陥れた。艦隊は突然の襲撃に対応できず形が崩壊。とりあえず任務了と「春雨」はそのまま味方の方に戻った(実際、これだけでも大した功労である)。しかし、これがとの最後の別れとなり、「夕立」はさらに反転し敵中に突撃、猛攻を浴びせ々しく戦い、そして散っていった。(当時の「夕立」艦長は「大波」艦長として、また「春雨」艦長は「涼波」艦長として「涼波」の最期で関わりを持つがそれは別のお話。)
ちなみに春雨は、重巡ポートランド魚雷を喰らわせて大破させている。また僚艦と共同で巡洋艦1隻を仕留め、敵艦隊にも撃を加えた。
12月7日トラックへ寄港。連戦や過酷な任務により損耗箇所が増大していた春雨は、内地での修理が必要と判断された。そのため軽巡五十鈴を護衛しつつ横須賀に向かった。そして横須賀に入渠し、修理。長距離ですり減った推進装置の軸受けを交換し、前部予備魚雷次発装填装置と40ミリを撤去。代わりに25ミリを装備した。この装により対が向上。整備の間、乗組員たちには休暇が与えられた。

1943年1月5日横須賀を出港。「浅間丸」を護衛してトラック到着。続いてウエワクへ赴き、運んできた隼鷹整備員を揚陸させた。次にカビエンに寄港。
一人少なくなり、3隻体制になった第二駆逐隊は、その後も輸送任務と護衛任務を黙々とこなすが、そんな折の1943年1月24日、ウエワクで敵襲を受ける。からはB-24が飛来し、ウエワクの高射砲地が射撃を始める。偵察が的らしく攻撃はしてこなかったが、本格的な襲の前触れと判断した春雨は抜錨する。動き出した春雨び寄る敵がいた。潜水艦ワフー」である。さっそく撃を受け、放たれた6本の魚雷のうち1本が命中し、艦首を大破。大きな柱が上がり、艦内には負傷者が続出した。かなりの損傷を負うも、二番で反撃。味方の駆潜艇が駆けつけ、爆雷を投射したが、ワフーは既に離脱した後だった。
奇跡的に誘爆は起こらず春雨は一命を取り留めた。救援に来た駆潜艇や大発動艇に守られながら、ゆっくりと後進してウエワクをした。この被害で乗員4名が死亡沈没を防ぐため海岸に乗り上げる一幕もあった。この損傷で春雨はウエワク残留を余儀なくされ、負傷者たちは陸上海軍治療所へ搬送された。ウエワクに留まっている間にも米軍の攻撃は続き、B-17の編隊が襲来。春雨高射砲地とともに対射撃を行った。ガダルカナル島撤退作戦準備のため味方の航空機が一切く、ウエワクは良いように爆撃された。
2月17日、救援に来た「天津風」に航されてウエワクを出港。途上で荒により索が切れたため、今度は「浦風」が航を行った。2月21日、救難「雄」により沈下し始めた艦前部を切断。

2月23日、どうにかトラック泊地に戻り、現地で応急修理を受ける。内地への回航が決まったため、駆逐艦を「村雨」に継承。仮の艦首を付け、「浦風」「天津風」の護衛を受けつ横須賀に戻ろうとしたが、予想以上の破損状況だったため、戻る途中で艦体が二つに折れるという惨事に。
やむなく、一度トラック泊地に舞い戻り、応急修理を受けていた矢先の同年3月の「村雨」がビラ・スタンモー夜戦にて沈められてしまい、第二駆逐隊で動けるのは「五月雨」のみ、という状況になってしまう。こんな状況で駆逐隊をそのまま残しておく余裕はなく、第二駆逐隊は同年7月1日をもって解隊となる。
※後日、第二駆逐隊は44年8月夕雲型駆逐艦で再結成されるが、それはまた別のお話である。

その後の5月21日トラックを出港。7月1日横須賀へ戻り、さっそく本格的な修理を受けた。この時に第二を下ろし、代わりに25mm三連装機を増設している。同時に電探も良された。
傷を癒やした「春雨」は、1943年11月末、「五月雨」と共に第二七駆逐隊に編入される。こちらは、当初は初春型2隻と白露型2隻で編成された駆逐隊だったのだが、その初春型の2隻「有明」「夕暮」を失って、白露型の「白露」「時雨」の2隻だけが残された状態になっていた。
こうして再編成された第二十七駆逐隊だが、中でも、ちょうど同時期に修理をしていた「時雨」と「春雨」は、その後もコンビを組んで行動することが多かった。ちなみに壊滅や解隊などで乗艦の所属が変わる事が頻繁にあったようで、春雨乗員たちは第二十七駆逐隊に編入された事にしばらく気付かなかったという。

12月16日横須賀を出港。年が変わって1944年1月3日から「時雨」とともに給糧艦「間宮」を護衛してトラックへ向かう。その中で潜水艦撃されるも回避。
トラックへ寄港後、「春雨」は東南アジア方面へ向かった。タラカンやバリクパパン、ウルシーに寄港し、2月17日トラックへ帰投。しかし運悪く、機動部隊トラック空襲に巻き込まれてしまう。慌てて機関を始動させるも、なかなか抜錨できない。そうしている間に米軍機の接近を許し、至近弾と機掃射により2名の戦死者を出す。さらに護衛対だった輸送富士山丸」「神国丸」「天城山丸」が犠牲となった。だが春雨も反撃し、後部で1機撃墜する。
ようやく動けるようになった春雨は全速でトラックから脱出を図る。後ろから時雨が追従する。33ノットの高速で出口に差し掛かり、同じく離脱を図っていた練習巡洋艦香取」を追い越した。ところがを出たところで約20機のドーントレス急降下爆撃機に襲われる。ただちに対戦闘が行われ、回避行動を取る春雨時雨。死傷者が増えるもしく抵抗を続けた。春雨は全ての攻撃を回避し、事なきを得た。この戦闘米軍機2機が墜落炎上した。

米軍の猛攻から何とか生き残った「春雨」は「時雨」とともに水上機母艦秋津洲」を護衛してウルシーへ退避。続いてパラオに向かった。パラオに到着した春雨は投錨。ここまで一緒に逃げてきた時雨秋津洲修理のため内地へ向かった。パラオでは艦隊の演習が行われた。春雨は弾測観測艦として重巡高雄」「鳥海」の撃を見つめていた。この演習は、撤退続きの将兵たちの士気を上げるために行われたという。
3月28日パラオ機動部隊が迫ったため「春雨」は重巡愛宕」や団を護衛して脱出、ダバオへ退却する。ダバオには日本人が経営する製材所があったため、上陸した乗員がそこで資材を仕入れた。
4月7日、僚艦の「磯風」とともにダバオ湾に侵入してきた潜水艦スキャンプ」を攻撃。間もなく艦隊とともにリンガへ移動。30隻近い艦隊の一員として単縦を形成し、敵潜水艦を警しながら航行した。4月10日リンガ到着。

リンガ泊地には空母も集結しており、入泊の翌日から訓練が開始された。春雨魚雷戦、戦、対戦闘、対潜戦闘と猛訓練を始めた。春雨の応急要員は、重巡青葉」の後甲集合させられ防訓練の導を受けている。
5月13日、1日だけ上陸の許可が下された。乗員たちはシンガポールへ上陸し、束の間の休息を楽しんだ。

44年5月末から開始された渾作戦(ビアクへの輸送作戦)には、第二十七駆逐隊は4隻全てが参加していた。ちなみに、この時点で残されていた白露型駆逐艦はこの4隻のみで、あとの6隻は全て戦していた……。
作戦参加のためダバオに入港した春雨は現地で第十六戦隊と合流。
6月2日、第一次渾作戦が発春雨は警部隊として重巡妙高」の揮で同日ダバオを出撃した。増援部隊を乗せた団は4日に到着予定だったが、前日の3日11時にワクデ基地より発進したB-24哨戒機2機に発見される。これを受けて上層部は渾作戦を一時中止、輸送隊ソロンへ回航するよう命じた。増援を渇望していた陸軍は、海軍作戦中止に失望し、弱だと暗に非難している。
ソロンへ入港した春雨たちは、遅れて入港してきた軽巡鬼怒」より燃料の補給を受けた。が、その直後に敵機動部隊接近の線が入り、補給中止。慌ただしくソロンを出港し、後方のアンボンまで退却した。
アンボンで補給を受けているとき、春雨の艦内からネズミが一斉に逃げ出し、へ飛び込んでいった。この様子を見て、乗員たちの間に不吉な予感が走った。補給を終えてソロンに戻ったのは6月7日だった。

6月8日、第二次作戦が発される。時雨敷波浦波に陸兵600名を分乗させ、それを護衛する警隊に春雨は組み込まれた。高速の駆逐艦6隻のみで行われ、中には二十三航戦と陸軍機が支援をしてくれた。しかし12時30分に米軍機が襲来。「B-25」17機、「P-38」7機の襲を受け、戦闘が開始される。各艦が対射撃を始める中、不幸なことに春雨の射線に浦波時雨が割り込んで、接近する敵機を迎撃できなかった。どうにか僚艦を射線から外すと、ようやく25ミリで迎撃を始める。撃ち出した弾が敵機の胴体に命中し、火の玉となった敵機が面に墜落した。だが後続の敵機が攻撃を引き継ぎ、ついに爆撃で命中弾を受ける。この一撃が致命傷となり、さかんに火を噴いていたや機は一斉に沈黙。そして体は左へと傾斜していく。

春雨」は沈。吉元機関長以下74名が死亡し、11名が負傷した。富田艦長以下110名の生存者は「時雨」に救助された。8月10日、除籍。

その僅か6日後には「白露」も沈没し、その後8月には「五月雨」も失われ、ただ一隻残された「時雨」は、それでも第二十七駆逐隊の名を掲げながら、西村艦隊に組み込まれてスリガオ戦に臨むことになる。

春雨」の名を持つ艦としては2代目で、初代「春雨」は春雨駆逐艦ネームシップ
また、海上自衛隊にもその名は受け継がれ、3代として対護衛艦の初代むらさめ型護衛艦3番艦DD-109「はるさめ」が、そして4代として、第3世代汎用護衛艦である二代むらさめ型護衛艦2番艦DD-102「はるさめ」が活躍している[5]

動画、突入させていただきます

静画、始めます

関連立体

ぽんぷ長式春雨

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これなら、関連コミュニティもしっかりできそう・・・

作戦完了、関連項目です、はい

2014年イベントAL/MI作戦』 新規実装艦娘
白露型駆逐艦 - 春雨
夕雲型駆逐艦 - 早霜 清霜
雲龍航空母艦 - 雲龍
陽炎型駆逐艦 - 時津風 磯風
大淀軽巡洋艦 - 大淀

 

白露型姉妹 / 白露型駆逐艦
1.白露 - 2.時雨 - 3.村雨 - 4.夕立 - 5.春雨
6.五月雨 - 7.海風 - 8.山風 - 9.江風 - 10.涼風

脚注

  1. *ちなみにイベント以外でも入手可艦娘として実装された場合、背景である事から建造不可となる可性が高いとみられており、実際に6-3ボスドロップ実装された後も建造不可のままである。なお、背景で建造可駆逐艦は「弥生」のみである。
  2. *公式四コマ64話で初登場した際も、この得物については「飯ごうもあるのでごはんも作れます!」と紹介しはしゃいでいた。また同じく119話でもこの飯ごうが活躍している(「おかわり!?」)。いずれにせよ調理・炊事に関連した物品であることは間違いなさそうである。
  3. *しかし、毘式40mm連装機(以下毘式)は、前述の公式四コマ64話にて春雨本人がドヤ顔紹介したものの、その相手の由良さんが沈黙するレベル産廃兵器扱いをされてしまうのであった。
    史実においても、まさに由良さんが戦した襲にて毘式は対効果をまったく発揮できず、その性は推して知るべしなのだが、艦これ内では均的な性の対兵装なのでぜひ活用してあげよう。
  4. *斜め後ろからは全裸が煙突背負ってるように見えると思われる。
  5. *余談ながら、初代むらさめ型護衛艦は「むらさめ」「ゆうだち」「はるさめ」の全3隻、二代むらさめ型護衛艦はその3人に加えて「さみだれ」もいる。(二代の方には、他にも「いかづち」「いなずま」「あけぼの」「ありあけ」とどこかで聞いたような艦名がっている)。また、「護衛艦はるさめ」の艦内には護衛艦装の春雨イラストが飾られている。
  6. *春雨実装前から「春雨とは第2駆逐隊でお友達」と言ってくれている。
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