曹舵世(721?~810)は、陰武帝に仕えた唐の武将。智将で猛将として知られ、また拳法迫真拳の達人だったという。
年の近かった陰武帝の小姓として若くして仕えた為、帝に寵愛されていたという。(意味深)やがて成人してからは武将として仕え、他の武将の攻撃に便乗して敵に追い討ちをかける戦法を得意とした智将として知られた。死地に生を求める猛将でもあった。妻は朝鮮族から娶ったというが、ヒョ・ミヨムという名以外は詳細不明。
武将でなければ、何になっていたかと聞かれた際は「僧だよ」と答えたほど便乗仏教にも精通していたという。
809年、唐に侵攻してきたブチィーパ・タドコロフⅠ世率いるモスクワ騎士団と東豆市(現在の内モンゴル自治区か?)で戦い敗北。敵の騎士に臀部を突かれ、翌年その傷が元で陣中で没した。
陰武帝はかつて、「お前は朕よりも智将だと聞くが、朕の寝首をかいて皇帝になろうと思わぬか」と曹に問いた。曹は、「そうだよ(肯定)。確かに私は帝よりも智将でございましょう。しかし、私には国を治める帝としての才能はありません。帝はそれがございます。ですから私は帝に一生仕えるつもりでございます。」と答えたという。帝は「賢なるかな曹は。これほどの智将は中原は勿論、北荻西戎の地まで探せども得がたし」と感服したという。
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最終更新:2024/04/19(金) 17:00
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