曹騰 単語

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ソウトウ

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曹騰(ソウトウ)字は季後漢中期後期の宦官曹操の義理の祖として有名な人物。生年不明。

出身

譙県の出身。前漢の功臣である曹参の子孫という説があるが、明確な系図では立されてはいない。曹騰自身も曹参の子孫と自称しておらず、曹騰のである曹節は善良な人物という逸話があるが、詳しい素性は不明である。 

四帝に仕える

曹騰は幼少の頃から宦官に進み、120年頃には宮中に入っている。やがて選抜されて皇太子(後の順)の学友にまでになった。順は曹騰をいたく気に入り、他の者とは違う優遇を与えたという。順が即位すると重用されて、官は中常えて大長にまでに至り、宦官としては最高の位を極めた。

から質までの四代の皇帝に仕える事30余年間、一度も落ち度がかった。また有能な人材を引き立て、今を時めきながらも驕ることもなく慎ましい態度を崩さなかった。ある時、誤解から弾劾を受ける事があったが、皇帝の信頼は揺らがず不問にされた。かえって曹騰は弾劾した者の正さを称賛したという。

の時代には骸を乞うていたようであり、146年の桓の即位時に旧臣としての功績を褒められて費亭に封じられている。生年は不明。曹操の祖としてでなく、後漢の人物としても有名で『後漢書』にも列伝が記載されている。

後継者

後継ぎとして侯氏から曹嵩を養子に迎えており、費亭を継いでいる。後に曹嵩は一億の銭で太尉(防衛大臣)の位を買い、曹嵩の息子曹操董卓打倒の起兵時に財を散じて兵士を集めた。おそらくは曹騰の大な遺産と思われるが明確な記述はない。

曹操袁紹との戦いで陳琳により作成された文は「贅閹の遺醜にして」の下りから始まり、宦官の孫である曹操を痛に皮っている。後に陳琳を引見した曹操は、「祖の事を書くことはなかろう」と苦言している。
 
229年の養曾孫の曹丕の時、高皇帝と諡された。追号ながら宦官皇帝扱いされているしい人物となる。

一族

曹仁曹洪といった曹氏の将軍は曹騰の血縁者であり、曹操とは血の繋がりはないが、血の繋がりがある侯氏と共にの創業に参画して並び称された。陳寿によれば曹氏と侯氏は代々婚姻関係があったといい、ある程度の血縁関係は近いようである。
 
曹仁、曹純-曹騰のの曹褒の孫。
曹洪-甥。
曹休-曹騰の兄弟の曹息子?。
曹真戚?曹操友人息子が曹姓を下賜されたもので、血縁関係はいという説がある。

三国志演義

未登場。

蒼天航路

霊帝の時代まで生きており、曹操青年時代に亡くなっている。孫である曹操を可がる好々爺だが、譲と対決する古強者としての顔も見せている。本当は曹操のような人物に仕えたかったらしい。

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