月刊漫画ガロとは、1964年~1997年に青林堂から刊行されていた漫画雑誌である。
1998年以降より断続的に復刊と休刊を繰り返しつつ別体制で刊行が続いたものの、2002年を最後に紙媒体では廃刊状態となった。
1964年、貸本漫画の編集者・出版者として知られていた長井勝一が新たに起こした出版社「青林堂」より創刊。
創刊当初は白土三平の代表作「カムイ伝」の連載の場として用意された雑誌であり、他に水木しげるやつげ義春ら貸本漫画で活躍していた漫画家に作品の発表の場を与えていた。
しかし、「カムイ伝」の連載終了後以降は急速に発行部数が落ち込み、青林堂は経営難に陥る。
同誌に掲載される漫画には編集者の作品の干渉を極力行わない代わりに、掲載されても原稿料は支払われないという、一般の商業誌ではありえない条件がつきつけられた。
それでもなお、他誌の編集者から「うちでは載せられないけどガロにでも持込すれば?」と言われるのが常套句となるほどの個性的な漫画家を数多く発掘。
池上遼一、林静一、蛭子能収、みうらじゅん、久住昌之、内田春菊、 しりあがり寿、ねこぢる、古屋兎丸、福満しげゆきらがガロより輩出された。
1990年、コンピューターソフト開発会社のツァイトが青林堂を買収し、同社の傘下に入る。それまで編集者が配送・倉庫業務や営業業務を兼務していたが、配送倉庫業務は委託され、編集と営業が分離されるようになった。
買収後、長井はツァイトの社長の山中潤に社長職を譲って会長に就任し、その後しばらくしてガロの編集長職もを山中潤に委譲する。
ガロに連載された「南くんの恋人」がテレビドラマ化されヒットし単行本も売れるなど、1990年代前半に経営が盛り返し、原稿料が支払われるようになり余裕が出来るようになった。しかし実質的親会社のツァイトがWindowsへのプラットフォーム移行に乗り遅れ徐々に経営が悪化していく。
1996年には創刊以来関わっていた長井勝一が逝去。さらにCD-ROMで発行した新事業「デジタルガロ」が商業的に大失敗し、大赤字を抱えることとなった。(ただし、デジタルガロはツァイトの資金で賄われており青林堂の経営には影響がないようにしていたと当時の社長兼編集長である山中は述べている。)
この頃社内には路線対立があり、デジタルや効率化、メディアミックスを推進する山中編集長&白取副編集長側と、それ以外の編集部員という派閥に分かれており、白取は自著でイジメられていた状況に陥っていたことを告白している。利益を出し続けていたもののデジタルガロや新事業に非協力な態度をとられていたという。
1997年、ツァイトの経営危機による心身の健康悪化に伴い当時の社長兼編集長だった山中はツァイトの経営悪化に備えたのか、山中自身の資産管理会社にツァイトと青林堂の株式を保有しており、ツァイトと親子会社にはなっておらず、青林堂は資本的には分離していた。
しかし、心身に不安を抱えていた山中の友人で経営者だった人物に、山中はツァイトの経営を委任し、社長代行としていたが、ツァイトと同じビルにあった青林堂の経営にも関与し始めてしまう。山中はこの動きを察知して青林堂やツァイトにのビルに近づかないようにしていたが、騙し討ちにあり、ツァイトと青林堂の株式を持っていた資産管理会社の代表印を渡してしまった。その席にガロの編集部員も同席していたという。(一部を除く)
乗っ取られることに危機感を持ったガロ編集部の編集者が漫画原稿を持ちだして一斉に退社するという事件が発生。この際に元編集部側が「ガロは乗っ取られた」等と各メディアに発表したことから、青林堂とツァイトは風評被害に見舞われた。結局、ガロは休刊せざるをえなくなり、ツァイトはこの事件をきっかけに手形の不渡りを出し倒産に追い込まれた。
ガロ原稿持ち去り騒動に関しては、クーデター側、山中社長側、社長代行側、ツァイトに移籍していた白取副編側など様々な立場からの視点や見解が存在するが、この際に漫画家の原稿はクーデター側より返却されたものの、雑誌原稿が行方不明になるなどの損害が発生しているという。
1997年の突然の休刊後、青林堂側は社長代行の責任のもと、ツァイトに在籍しつつ編集部に残留していたため、クーデターは関わりがなかった白取副編集長が外部の編集長を招聘し編集者を募集して「ガロ」を復刊させ漫画主体の紙面への回帰を行ったものの、連載作家の流失や休刊による卸との取引条件の悪化により上手く行かず休刊してしまう。
その後株は保持していた山中は自身の財政状況の悪化から青林堂を大和堂を経営する蟹江に株式を売却し再度復刊したが(その際山中は編集長として再復刊1号の台割をし、特集のため取材旅行から帰った直後編集長の任を解かれた)、その後隔月刊や季刊と刊行ペースが落ち2002年で紙媒体での発行を止め実質的に廃刊となる。
クーデターを起こした元編集部は新会社「青林工藝舎」を設立し、1998年に新雑誌「アックス」を創刊して現在も隔月刊で刊行している。その雑誌の気風はガロ時代のものを引き継いでいるとされる。(確執があった元副編の白取は後継誌とは認めなかったが)
「アックス」でも青林工藝舎の経営難のため雑誌掲載時の原稿料は支払われておらず、その引き替えとして編集者側からの漫画への干渉は極力行われないという往年の「ガロ」のスタイルを貫いている。
掲示板
5 ななしのよっしん
2017/03/09(木) 22:45:32 ID: QfrH+FGFvC
あとアックスは安いけど払ってるよ こっちは噂にすらなってねーぞ
6 ななしのよっしん
2017/03/09(木) 23:08:51 ID: gFOxY9zDbx
『アックス』は確か応募要項に原稿料は出せないからそこのところをよく考えて持込みしてくださいとか書いてたよ。あと、原稿料出ない代わりに本誌掲載のストック溜まったら必ず単行本は出してくれるとか聞いた事ある。
7 ななしのよっしん
2021/12/07(火) 23:53:49 ID: pnBZ9q7s7t
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最終更新:2025/05/21(水) 13:00
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