| OB | |
|---|---|
| 木下富雄 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 埼玉県北葛飾郡 |
| 生年月日 | 1951年5月7日 |
| 身長 体重 |
181cm 78kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 内野手、外野手 |
| プロ入り | 1973年 ドラフト1位 |
| 引退 | 1987年 |
| 経歴 | |
| 選手歴 監督・コーチ歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
卒業後、駒澤大学に進学。同期には栗橋茂がいた。チームの中心選手として活躍し、在学中2度のリーグ優勝を経験しベストナインにも1度選ばれた。4年時には明治神宮野球大会優勝も経験し、ドラフト候補にも名を連ねた。
1973年、ドラフト会議にて広島東洋カープから1位指名を受け入団。
1974年、開幕直後から出場機会を得るが、打撃面で苦戦しレギュラー定着とはいかなかった。同年は89試合に出場し、打率.164、2本塁打、6打点を記録。
1975年は二軍暮らしが中心であったが、1976年は主に守備固めとして89試合に出場。
1977年、控えの内野手としてプレー起用され、106試合に出場して、打率.242、4本塁打、21打点を記録。
1978年、シーズン中盤からセカンドのレギュラーに定着し、規定打席には届かなかったが、打率.283、3本塁打、27打点を記録。
1979年には走塁面でも成長を見せ25盗塁を記録。以降、同年から1983年にかけて5年連続で二桁盗塁を達成している。
1980年、シーズン打率.219と振るわなかったが、日本シリーズでは第7戦目に勝ち越しタイムリーを放つ活躍を見せ、日本シリーズ優秀選手賞を受賞。
1982年、自己最多の10本塁打を放ち、打率も.268好成績を残した。
引退後は広島のコーチや二軍監督を務め、新井貴浩や東出輝裕らを育成。コーチを務めていない時期は解説者として活動していた。
投手と捕手以外の全てのポジションを高いレベルで守れるユーティリティプレイヤー。打撃面でもバントやエンドラン、右打ちなどの小技を着実にこなしチームに貢献したいぶし銀。
愛称は「パンチョ」。トレードマークであった口ひげ姿から、衣笠祥雄が当時人気のあった音楽グループ『ロス・パンチョス』に似ているということで名付けられた。
| 通算:14年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 1364 | 2780 | 2430 | 323 | 583 | 48 | 221 | 106 | 138 | 6 | 191 | 15 | 321 | 66 | .240 | .299 |
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最終更新:2025/12/09(火) 22:00
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