木下達生(きのした たつお、1987年11月28日-)とは、北海道日本ハムファイターズ、中日ドラゴンズ、東京ヤクルトスワローズに所属した元プロ野球選手(投手)。
OB | |
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木下達生 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 愛知県名古屋市 |
生年月日 | 1987年11月28日 |
身長 体重 |
183cm 87kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2005年高校生ドラフト3巡目 |
引退 | 2012年 |
経歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
東邦高校では3年次にエースとしてセンバツベスト8。本人は幼い頃から熱烈な中日ドラゴンズファンで、中日入団を希望していたが、2005年の高校生ドラフト3巡目で北海道日本ハムファイターズに半ば強攻指名される。一時入団交渉が難航したが、最終的に入団。
ルーキーイヤーから一軍で2試合に登板。亀田興毅似の風貌から亀田ネタで一時売りだそうとしたが、小笠原道大に諫められて封印した。
2年目の2007年、5月の福岡ソフトバンクホークス戦でプロ初勝利を完封で飾る(ここから球団記録の14連勝がスタートした)。この年5試合に登板して2勝1敗、防御率2.40という結果を残したが、6月に故障して二軍落ち、そのままシーズンを終える。
以降、故障に加えて投球イップスを発症、二軍でもほとんど投げられないシーズンが続き、2010年オフに戦力外通告を受ける。トライアウトを経て、中日ドラゴンズに拾われ育成選手として入団。6年越しに憧れの球団入りを果たすことになった。
中日では二軍で結果を残し、7月に支配下選手登録を勝ち取ると、4年ぶりの一軍登板も果たした。しかし結局一軍での出番はその1試合に終わり、オフにまさかの2年連続戦力外通告を受ける。再びトライアウトを受け、東京ヤクルトスワローズに拾われ入団。このときの経緯はこの年の「プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達」で放映された。
しかしヤクルトでの2012年は一軍登板無しに終わり、3年連続の戦力外通告を受け、現役を引退。
引退後は高校野球の指導者を目指して愛知東邦大学に進学し、2014年から資格を得て母校・東邦高校のコーチに就任。2018年から東邦高校の保健体育の教諭となり、野球部のコーチも続けている。
憧れの選手は川上憲伸。交流戦で対面した際に感激のあまり泣き出してしまったというエピソードがある。
年度 | 球団 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006年 | 日本ハム | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 8.1 | 5 | 7 | 7 | 7 | 7.56 |
2007年 | 5 | 5 | 1 | 1 | 2 | 1 | 0 | 0 | .667 | 30.0 | 7 | 11 | 8 | 8 | 2.40 | |
2011年 | 中日 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | 1.0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0.00 |
NPB:3年 | 8 | 7 | 1 | 1 | 2 | 2 | 0 | 0 | .500 | 39.1 | 14 | 19 | 15 | 15 | 3.43 |
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最終更新:2024/04/20(土) 22:00
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