木村義雄(将棋棋士)(明治38年(1905年)2月21日-昭和61年11月17日)とは、将棋棋士である。棋士番号は2。十四世名人。初の実力制名人、初の永世名人である。日本将棋連盟会長も経験した。
関根金次郎門下。プロになった弟子に、北楯修哉、金高清吉、清野静男、板谷四郎、花村元司、木村嘉孝がおり、板谷四郎の系譜からはあの藤井聡太が出ている(木村から見て玄孫弟子にあたる)。また三男の木村義徳もプロ棋士である(加藤治郎門下)。
戦前戦中に活躍した棋士であり、若くから活躍した。22歳で八段は当時としては異例である。更に、全ての上位棋士相手に勝利、八段全てに半香の手合いに差し込むなど凄まじい強さを誇り、「常勝将軍」の異名をとった。1937年に始まった名人戦においても5期連続で名人位を獲得しており、この時代を「木村時代」と称する。戦後は、年齢から精彩を欠き、当時台頭していた関西の若手である升田幸三、大山康晴らに活躍を譲ることとなる。特に、大山康晴に名人戦で敗北したのを機に引退しており、大山に対して「よき後継者を得た」との言葉を残している。この言葉通り、大山は数年後、「大山時代」を築くこととなる。
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3 ななしのよっしん
2020/06/12(金) 23:54:31 ID: swS0wwQAmL
実力だけじゃなくて、あの時代に
・段位撤廃
・順位戦創設
・奨励会創設
など、旧来の悪しき風習を打破するためにこれだけの案を出したのも凄い
未来からやって来たと言われても信じてしまうレベル
段位撤廃だけは実現しなかったけど、その目的(段位が高いということに甘んじて努力を辞めてはならない)はしっかり現代において達成されてる
4 ななしのよっしん
2020/11/03(火) 12:06:23 ID: RqzdzQZwy6
「よき後継者を得た」は名人戦の対局直後に
勝利者インタビューで恐縮してコメントできなかった大山から
引き取った形で記者団に話したコメントの中で出てきた言葉
大山はその後木村名人の部屋に挨拶に行こうとしたが
目を真っ赤にして泣き腫らした後援者と
青ざめた表情で天井を見つめる木村を見て
「見てはいけないものを見てしまった」と引き返したという
5 ななしのよっしん
2022/02/09(水) 11:07:54 ID: jL02Nc719v
木村14世名人(や大山15世名人や中原16世名人)みたいにどの時代にも凄い人物はいたんだよな。
だから羽生九段や藤井竜王に対して「天才」「将棋星人」「チート」みたいな称賛は全然微笑ましいと思うけど、
「歴代最強」「空前絶後」みたいな形容は「先人達の築いてこられた歴史を軽んじてないか?」って考えちゃって、
(気に障るとまではいかないまでも)「ムムム?」って気持ちになるんだよな。
特に藤井竜王なんて実績としてはまだまだこれからなんだし。
ってな事を羽生九段や藤井竜王の項目に書くと気に障りそうな人も出てきそうだから木村名人の所に書く
他分野でもイチローが「史上最高の選手だ。こんな凄い選手は空前絶後だ」ってなくらいに持ち上げられてたけど、大谷が出てきたし。
そもそも王さんノムさんや落合さんがいてイチローや大谷へと繋がってるわけで。
どの時代でも凄い人物はいるもんよな。
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最終更新:2024/04/25(木) 08:00
最終更新:2024/04/25(木) 08:00
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