本多正純 単語

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ホンダマサズミ

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本多正純(ほんだ・まさずみ)は安土桃山時代江戸時代の武将・譜代大名。である本多正信と共に、徳川家康心として重用されたが、徳川秀忠の代に失脚した。生1565~1637年。

家康の側近

1565年に本多正信長男として生まれる。この前後に正信は、三河一向一揆に加担した事で家康と敵対しており、三河を出奔して各地を遍歴していた。正純の幼少時は大久保忠世で匿われた後に、家康の小姓となったと考えられている。 正純は智謀にすぐれた才子ぶりから家康に気にいられて、18才の頃には奉行職にまで引き立てられられ、帰参した正信と共に家康の謀臣となる。

1600年の関ヶ原の戦いでは遅参した秀忠激怒した家康に「若君が遅れたのは、補佐をしていた正信の責任でございます。を処罰して勘気を解かれますように」と取りなしており、秀忠から感謝をうけている。しかし、安藤直次のように「父親に詰めを切らせようとするとは、先が知れている」と予見する者もいた。

1601年に従五位である上野介の官位を受けている。

幕政を牛耳る

1605年に家康征夷大将軍から退いて大御所となると、正純は家康直属の年寄(老中)として付き従い、駿府政権を宰領する事となる。将軍となった江戸秀忠のほうには、大久保忠隣(忠世の息子)があたり、正信が家康秀忠の調整役を務める事となった。1608年に正純は大名として下野小山3万3000石(後に5万3000石に加増)が与えられている。正純は家康の最側近というべき立場となり、家康への取次ぎは正純を介して行われ、権柄は非常に大きなものであった。

1612年に正純の臣である岡本大八が詐欺を働く不祥事が発生する。失脚の危機感を持った正純は正信と謀って、大久保忠隣の排除を画策したという。ちょうどその頃忠隣は家康の不を買っており、忠隣は易されてしまう。

忠隣の失脚の相は不明は点が多く、忠隣の叔父の忠教は三河物語において「正信は忠世に大変世話になっていた。正信が出奔して時に残されたを養ったのも、帰参した時に口利きしたのも忠世である。しかも忠世は正信に、息子の忠隣の事を頼むと言っている。正信が讒言したなどありえないはずである。だが、後に正信が病気にかかって面貌が崩れて死んだのも、正純が易されたのも因果応報だとすれば、本当に讒言はあったのかもしれない」と、大久保側の私見として意味深な事を書き残している。

1614年の大坂冬の陣後の和交渉で行われた大坂城の掘の埋め立ては、正純の策略によるものとされている。また、正純が現場を取り仕切って、豊臣側の抗議をあしらいつつ、速に工事を進めて完成させている。

後ろ盾を失う

1616年に家康が亡くなると、正純は家康が手元に残していた遺品の分配を行う。家康の死から50日後に正信が死去。正純は江戸に入り秀忠直属となる。しかし、幕政は土井利勝たち秀忠系の閥が形成されており、正純は異分子として敬遠されたという。

事件では、幕府に逆らう気配を見せていた坂崎直盛を処分する為、幕府は直盛の臣たちに「坂崎は存続させるから直盛を殺せ」と意を含ませようとしたところ、正純は「不忠をもって不忠を罰するのでは、下の将軍の信義がなりたたぬ。直盛に罪があるなら正々堂々と軍を差し向けて踏み潰すべきではないか」と反対した。この意見は柳生宗矩も感し、新井白石も「下の名言」と賞賛したが、結局正純の意見は他の老中たちからは無視されたので、白石は「正純は他の老中と仲が悪かった」と推察している。

高転びする

1619年に家康の遺言として、大幅加増されて下野宇都宮15万5000石のとなる。譜代大名としては上位の石高であり、武功が少ない者としては異例の扱い(加増を拒否していた正信への家康の配慮ともいわれる)であった。さすがの正純も「3万石以上のは受けるな」という正信の忠告もあってか、最初は受けようとはしなかったが、家康の遺命という事や、自得する事もあってか、結局は拝領する事となる。しかし、この事は敵が多い正純の首を絞める事ともなった。

福島正則易にも正純が関与しているらしく、正則が許可を正純に届け出たにも関わらず修扱いとなった事が易の理由とされている。

1622年での山形最上易では、幕府上使として正純は山形まで出張するが、これは正純を排除する為のであった。手際良く易の手続きをした正純に、今度は幕府からの上使が訪れて尋問される事となる。まず、秀忠宇都宮にて暗殺する宇都宮天井事件を含む11ヵ条の容疑をかけられる。明快に正純は反論したものの、さらに追加された3ヵ条を突きつけられた。『1.幕府直属の根来同心を断で殺した事 2.断で購入した事 3.宇都宮断で修した事』に、正純は申し開きができずに、出羽由利に5万5000石への減転封が言い渡された。しかし、正純はこれを固辞してしまう。正純の不従順に怒った幕府は捨扶持1000石をあてがって正純を易。正純は佐竹義宣の預かりとなって出羽へと流された。

正純が易された原因は、様々な要因があったと見られる。家康以来の宿老として驕り、秀忠と他の老中たちから嫌われていた。家康の長女であり、秀忠である加納御前の恨みを買っていた(彼女の内孫である宇都宮の前であり、外孫の大久保忠職は忠隣の孫でもある)。豊かな宇都宮として高をもらいながらも、幕府中枢に留まって権を手放そうとしなかった。じつのところ追加された3ヶ条は、正純の裁量で内々で処理出来る案件であったが、事を表立てて追求する幕閣の明確な悪意を察知して、詰んだ事を悟った正純が自分で自分の引導を渡したとも。

晩年

配流先での正純は佐竹から厚遇され、時には佐竹義宣自身が正純を饗応をしていた。正純も感謝して「こんなに世話になるのであれば、関ヶ原の戦いで(西軍寄りの)中立となった佐竹殿の減封(家康は54⇒27万石で手を打とうとしたのを、正純の進言で20万石になった)を、大殿に進言せねば良かった」と冗談めかして打ち解けていた。しかし、幕府から手緩さを注意されると、佐竹でも締め付けざるをえず、正純は監禁に近い扱いを受けている。結局、赦免を受ける事も、江戸に帰れる事もく、徳川家光の治世の1637年に、久保田横田にて死去。享年73才。

正純の長男正勝も共に配流され、若くして正純よりも先に亡くなっている。子孫は代官や旗本としての地位に落ち着いたものの、二代続けて老中を輩出した系としては落著しく、大名に復帰する事はなかった。正純のの政重の系統は、加賀前田の筆頭家老として存続。末の忠純は下野榎本に封ぜられるが、逝が続き、1638年に断絶している。

人物

父親の正信にべると官僚的で、苛察に過ぎるところがあったようである。ある時、家康臣から諫言を受ける事があったが、大した事もない内容にもかかわらず家康は喜んで聞いていた。それを不思議に思った正信は家康に問うたところ家康は、「その者の志が嬉しく思ったのだ」と言って、上に立つ者の心構えを説いたので、感銘をうけた正信は美談として正純に聞かせた。正純は「それを言ったものはで、どんな事を言ったのですか」と質問したところ、正信は不機嫌になって「そんな事まで知りたがってどうするのだ」と叱りつけたという。

関ヶ原の戦いの後に捕縛された石田三成を預かり、三成を尋問した時には、三成から「殿は武略を知らない」「大将にはなれない」と言われている。武将としての器量はともかく、正純も暇を見つけては武芸に勤しみ、僧を招くなど質実剛健な面もあった。

宇都宮としては3年間と短いものであったが、短期間の内に宇都宮下町を近代仕様に造り変えており、現代まで名残を留めている。皮にも街づくりに頑りすぎた事で、幕府にをつけられる事ともなった。

家康からの信任は終生変わる事はなかった。後継者選びの議にも宿将たちに混じって、年若い正純が発言を許されている。家康の側室の一人である蓮華院(家康の外祖母の姪)は下賜されて、正純の後妻となっている。

宇都宮天井事件は全くの冤罪であったが、暗殺に釣天井という凝ったギミックを使うところがうけたのか、後世から脚色されて講談としてり継がれ、正純は徳川家光を暗殺して忠長を擁立しようとし、秘密が漏れる事を恐れて、釣天井の工事に関わった大工たちを皆殺しにした悪役にされている。

補足

信長の野望」(PCシリーズにおける本多正純の力一覧。典的なの武将。

註:リメイク版である「DS2」でのオリジナル版には未登場。

軍事 内政
戦国群雄伝 未登場
武将風雲録(註) 戦闘 21 政治 92 89 野望 8 教養 70
覇王 采配 24 戦闘 43 智謀 78 政治 85 野望 80
天翔記 戦才 88(C) 智才 168(A) 政才 166(A) 55 野望 72
将星 戦闘 34 智謀 87 政治 89
烈風 采配 12 戦闘 24 智謀 81 政治 82
世記 采配 9 智謀 79 政治 80 野望 83
蒼天録 統率 11 知略 81 政治 82
下創世 統率 11 知略 86 政治 82 教養 74
革新 統率 25 武勇 13 知略 91 政治 92
統率 25 武勇 13 知略 91 政治 89
創造 統率 31 武勇 32 知略 82 政治 87

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