朱治 単語

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シュチ

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朱治とは、三国志に登場する人物である。西暦156年生まれ、224年に

孫呉の飛翔を支えた宿将

字は君理。揚州丹陽故鄣(浙江省)の人。

県の役人から孝廉に推され、州の従事をしていた時に孫堅の配下となる。荊南の異民族董卓征伐との戦いで功績をあげ、都尉ついで督軍校尉となった。

孫堅の死後、袁術の元に雌していた孫策に対し独立して江東を基盤とするよう進言した。朱治自身も劉繇の勢下にいた孫策呉夫人孫権らを丁重に保護したり、太守許貢を打ち破り会稽まで孫呉の勢を拡大させるなど活躍した。

196年(建安元年)には15歳孫権を孝廉に推挙し、200年(建安5年)には張昭らと共に孫策の後を継いだ孫権を補佐した。朱治は孫権から正式に太守に任命され、同地周辺の異民族巾賊の残党を征伐し同地を安定させたり、気性がしく感情のまま振る舞う孫権孫翊義を説き諌めている。

222年(武元年)に孫呉が名実共に建されると毗陵侯となり、安将軍まで至ったが、太守を兼務のまま故郷の故鄣に赴任が認められた。

大守に就いて31年、224年(武3年)に69歳で

逸話

  • を極めた身分となっても、奢ることなく倹約にした生活を送った。孫権は謹厳実直な朱治に内心で異に思うことはあったが、朱治の働きぶりを最大限に賞賛し、朱治の仕事の一部を他人に支えさせ負担を減らした。朱治の幕府は数千人が働き、孫権と会見する時は数人単位で赴いたという。

家族

孫策時代に、まだ子がかったため、孫策の仲立ちでの子である施然を養子として朱然と名乗らせた。その後実子が生まれたため、朱治の後は実子の朱才が継いだ。

各メディアにおける朱治

三国志演義

袁術の元でくすぶっていた孫策に対し玉璽を預けて兵を借りる方法を呂範と共に進言した。

三国志大戦

絵師のせいで萌えグラなのはご嬌。使うタイミングがやや難なのが…

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