朱異とは、三国志に登場する人物である。
字は季文。呉の猛将である朱桓の子。幼い頃からその聡明さを同族の朱拠に評価されていた。
父の死後に騎都尉として父の軍勢を預かるようになる。樊城攻撃で功績を上げ、魏の文欽が国境付近で略奪を働いている時はこれを打ち破ったり、文欽が偽降伏しようとした時その計を見破っている。
孫権は朱異と話した時の応対が気に入り、朱拠に「噂通りの肝が座った男だ」と言っていた。
孫権死後の252年(建興元年)、鎮南将軍となる。孫権の喪中に魏が攻めてくると(東興の戦い)、水軍を指揮して魏軍の架けた浮橋を破壊し数万の損害を与えて呉の勝利に貢献した。
しかし翌年に諸葛恪が魏を攻め、合肥新城を包囲したがなかなか攻め落とせない。朱異は軍を豫章に転戦させるよう諸葛恪に献策したが聞き入れられず、怒りの余り暴言を吐いたため兵を取り上げられ首都建業に送還された。
諸葛恪の横死後は孫峻及び孫綝に従い、呂拠の討伐にあたっている。
257年(太平2年)魏で諸葛誕が謀反を起こすと、孫綝の命を受け寿春に援軍に向かう。先行した文欽(この時呉に降伏していた)や全端らは寿春に入ったが、朱異の軍は寿春の包囲軍に阻まれてしまう。包囲網の突破を図ったが州泰に撃退され、丁奉と共に再び攻めたが州泰・胡烈・石苞らに再び敗れる。
孫綝は再三出撃を命ずるが朱異はこれを拒否したため怒った孫綝に殺された。朱異は陸抗の諌めを聞かず孫綝の元に赴き、猛抗議も虚しく絞め殺されたという。
陳寿は呂範の子呂拠と共に「彼らは父の名を汚さぬ名将で欠点は無かったのに非業の死を免れなかった。彼らの生きた時代が変化したからだ」と記している。
諸葛誕の反乱時のへっぽこぶりばかりクローズアップされるかわいそうな人。
唐咨と先鋒を務めるも、魏将の王基と三合も交わさず撃退される。その後再び魏軍を攻撃するが鍾会の計に嵌りまたしても敗れる。激怒した孫綝に「今度負けて帰ってきたら斬り捨てる」と脅され、再三出撃するも王基に行動を見破られ大敗に終わり、哀れ刑場の露と消える。合掌。
三国志大戦トレーディングカードゲームのカードで登場する。
掲示板
8 ななしのよっしん
2020/01/29(水) 21:51:01 ID: 1RusIJHauB
出撃しないことに理はあったんだろうが何度も命令を拒絶したなりの緊張感は必要だったね。
「子通殿は身内だから心配ない」
というのでは気骨よりも馴れ合いを恃んでの気の緩みしか受け取れない。
9 ななし
2022/02/05(土) 16:19:43 ID: 1HYw5Olz3d
三國無双で司馬昭が「軍の力量差を見極め撤退させることが出来る…良い将だ」と評価していたのに、その後孫綝が処刑したと聞いて孫綝に呆れながら「凡愚が…孫呉ももう終わりだな」と吐き捨てるあたりがね…
10 ななしのよっしん
2022/05/14(土) 15:44:23 ID: f0hzU37lAH
そもそも26万とか兵が囲んだ上に防衛陣地もしっかりしてる状況で5万で敗れってのが無理があるんよ。
陸抗が偏将軍や牙門将軍を打ち破ったり丁奉が積極的に戦って手柄を上げたって記述があるから、完全に負けてばっかではなかったとは思うけどね。
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最終更新:2024/04/25(木) 09:00
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