李厳とは、三国志に登場する人物である。
はじめ劉表に仕え、県令を務めた。
その後荊州の騒乱で益州へと逃れ、劉璋配下時には成都県令などの官職をこなした。
劉備の侵攻に対し、劉璋は蜀の生命線ともいえる綿竹の守備に李厳を送らせた。
しかし李厳は少し抵抗した後、劉備に降る。
蜀の統治者が劉璋から劉備に代わり、李厳は文武の重鎮として前将軍、驃騎将軍と着々と地位を上げていく。
文では、諸葛亮、法正、劉巴、伊籍らと法律『蜀科』を定めた。
武では、劉備の漢中攻略中、成都南に防御を張り、数万の賊軍や高定の挙兵を追い払った。
劉備の崩御前では、諸葛亮や劉一族とともに立ち会い、劉備は李厳に「諸葛亮と共に劉禅を補佐して欲しい」と伝えた。
以降、諸葛亮の南蛮制圧戦や北伐時の留守を守る。
その働きぶりから諸葛亮は彼を「陸遜に匹敵する」と評価するほどであった。
しかし231年、諸葛亮の北伐中、李厳は兵糧支援を遅らせた事を隠し、「呉が攻めてきた」と報告した。
これがデタラメである事が発覚すると諸葛亮は激怒した。
本来なら斬首されてもおかしくない命令違反だったが、これまでの貢献や周辺の豪族と結びついているほど支援者が多かったため、諸葛亮は李厳を罷免し平民に落とした。
234年に諸葛亮が亡くなると、自らの復権が絶望的になり、「国家の柱を失った蜀に未来はない」と落胆。後を追うように病死した。
「荊州の諸葛亮・益州の李厳」と称される。
これは、もともと劉備に付き従った荊州組と旧蜀の益州組の二つが蜀を形成するようになり、彼らがそれぞれの代表とされている(李厳はもともと荊州出身なので矛盾?李厳は死亡した法正の代わり?)。
劉備が諸葛亮に後事を託す事で無理やり荊州組を主体としようという流れにした。
こう考えると蜀は武将間でもドロドロした関係を築いていたことになる。
もっとも、こんな派閥自体が存在しているかどうかを疑問視する者はいる。
劉備と戦った時は、降伏した挙句に道案内までやるところから忠義よりも利害優先と見受けられ、諸葛亮に王を名乗るように薦めたり、思想的に過激な点が見え隠れする。
李厳の子孫については、正史三国志及びその注釈によると、李豊という子がいる。父の李厳の力によって、江州都督督軍に任命され、父の失脚後は、中郎参軍にとどまったが、最終的には朱提太守までなっている。
マイナーながら隠れ人気のある武将で、それなりに適正があり、またどのように成長させても楽しめる点から引き抜いてでも育てたいという者がいるほど。
『2』では戦器のおかげで注目されていた。『3』ではVer3.59で満を持して登場。計略は前作と同じ「憤激大車輪」。計略使用で兵力が回復するので、似た名前のリゲインと呼ばれる事も。蜀2コス槍枠は魏延や趙雲、姜維と激戦区だがスペックは決して悪くないので選択肢の一つに成り得る頼もしいカード。
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58 ななしのよっしん
2021/02/24(水) 10:08:40 ID: k0+6iGsfsA
李厳を嵌めてどうする
荊・益の間に派閥争いなんてあったら引きずり降ろさなきゃならんのは諸葛亮だろう
59 ななしのよっしん
2022/09/29(木) 18:00:48 ID: c9KElhGk1W
関羽と張飛が性格上かなり問題のある奴だったのは有名で、そんなふたりを使いこなして結果を出したから劉備は劉邦を一回り小さくしたような奴と言われるわけだが、そんなわけでその後に集まってきたやつも大概が性格や精神面に何かしら問題がある
一回り小さくなったとはいえ劉邦の役回りの人物を失った蜀はどうしても人格上ろくな奴がいない
60 ななしのよっしん
2023/05/15(月) 12:11:25 ID: ABj02U8015
そんな元半グレを東大法卒元ニートの孔明さんが他のインテリと一緒に使おうとしてたのが後期の蜀
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最終更新:2024/04/25(木) 20:00
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