李恢 単語

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リカイ

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馬超むむむ

李恢「なにがむむむだ!

概要

李恢とは、三国志に登場する人物である。字は徳昂。建寧元(雲南省曲靖)の出身。

叔母の夫である爨習(さんしゅう)という人物に違法行為があった時、益州太守の董和は爨習が有力な族であることを理由に罪に問わず李恢も連座を逃れている。董和に推挙されて劉璋の元に赴く途中、劉備が益州を攻めるのに出くわして、劉備勝利を予見して劉備に会見をめた。

劉備は李恢に、当時中の張魯配下となっていた馬超の説得に赴かせ、李恢はこれを降させることに成功。劉備の信頼は厚く、李恢が謀反を企てているという誣告にもを傾けず、221年(章武元年)李恢を交州刺史に任命する。

劉備死後、南方高定雍闓朱褒が反乱を起こすと諸葛亮が討伐に赴く。李恢は別働隊を率いて鎮圧に協力する。
よく七七禽の逸話に知られるように、諸葛亮南方を鎮圧した後は穏になったと思われがちだが、諸葛亮の去った後も南方では反乱が発生している。李恢はこの反乱を鎮圧し、巧みな戦後処理で庫を大いに潤した。

229年(建7年)に建寧太守となり、中に移り住んだ後231年(建9年)に。子の遺が跡を継いだ。
甥の球は263年(炎元年)の滅亡の際、綿諸葛瞻らと共に戦死している。

備考

民間伝承では関羽三女は「関銀屏」という名前で、李恢の子の蔚にいだとされる。

各メディアにおける李恢

横山三国志

やはり冒頭の名シーンむむむ」「なにがむむむだ!」のインパクトが強
李恢=なにがむむむだ!の構図が確立してしまっている。

三国志大戦

Ver3.59では再出撃持ち。
そんなわけでを入れるか迷ったら、むむむと悩まず彼を入れるか。

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最終更新:2025/04/01(火) 15:00

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