李白とは、次の人物の名前である。
字(あざな)は「太白」。生年は701年で、没年は762年。日本で言えば奈良時代のころに活躍した。
山東の人とも、四川の人だったとも言われる。
幼い頃のことはよく分っていないが、文才には恵まれていたらしい。成長してから多くの人と親交を結んだが、その中には任侠の徒から高位高官まで、様々な人が居た。仙人にあこがれ、峨眉山で修行をしたことも有る。旅をよく行い、様々な土地を巡った。得意の文章で有名になろう、出世してやろうと考え、何時か来るその日のことを夢見ていた。
30歳すこし前ごろ、時の宰相の孫娘と結婚。子供も生まれ、地方官ではあるが出仕することも叶った。次第に評判を得るようになり、40歳を過ぎたころ、ついに時の皇帝、玄宗の直近に勤めることとなった。念願は、まさに叶えられたかに見えた。
しかし李白は、性奔放にして礼節を知らない人だった。玄宗を讃え、楊貴妃にすり寄り、その寵愛をよいことに放言する姿が、他の高官たちを鼻白ませた。世に残る詩をものし、仕事そのものは見事だったが、友人達の忠告を聞くこともなかった。ほどなく、その職を失う。讒言を受けたためだと言う。念願をかけた宮廷に居場所をなくせば、あとは元の野に帰るほかなかった。
野に戻って来た李白は、再び旅に明け暮れた。中国は広く、何処にでも行くべき場所は有った。杜甫と出会って、一緒に旅をした。夫人と死に別れたので、再婚もした。友人が死んだと聞いて、惜しむ気持ちを詩に書いた。再び官職に就くも、賊軍の一味として捉えられた。そして、酒を飲んだ。
捉えられ、貴州の奥地へと流される途中、大赦によって放免された。60歳を過ぎたころに病気で死んだが、本当は、いつものように酔っていて、船の上から水面の月を取ろうとしておぼれたのだと言われている。
酒を愛し、友人を愛し、自然を愛した。残した詩はいずれも繊細にして大胆。ある時には幻想的であり、またある時には勇猛である。技法において優れ、表現においても卓越している。そして何より、その自由な心に打たれた人たちはいつの世にも多く、故に今でも、特別の敬愛を込めて「詩仙」と呼ばれ続けている。
掲示板
21 ななしのよっしん
2020/06/05(金) 10:19:27 ID: yv4ajcpmFr
>>17
ポール・ディアノ好きとか言われたら誰だって憐れむ、俺だってそーする
>>19
杜甫の方が詩の品格が上だし勝手に同格扱いしてやるなw
22 ななしのよっしん
2021/06/24(木) 20:42:19 ID: 5Kfj7hmA0U
日本人の感覚だと格がどうこうとか関心なくて、
ただ李白の詩は面白い。それに尽きる
詩は何よりも面白くなければならない
23 ななしのよっしん
2022/08/04(木) 20:00:28 ID: i8vytz+nHu
wikiにイスラム圏出身のテュルク系説が有力って書かれてるけどどうなん?
急上昇ワード改
最終更新:2024/09/13(金) 22:00
最終更新:2024/09/13(金) 21:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。