東京ヴェルディ 単語

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トウキョウヴェルディ

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東京ヴェルディとは、東京都全域を本拠地とするJリーグプロサッカークラブである。

2000年までは神奈川県川崎市ホームタウンを置き、「ヴェルディ川崎」というチーム名だった。

概要

日本プロサッカーリーグ
東京ヴェルディ
基本情報
創設 1969年
クラブカラー
創設 J1リーグ
本拠地 味の素スタジアム[東京都調布市]
ホームタウン 東京都
前身クラブ 読売クラブ
プロサッカークラブテンプレート

チームの前身は1969年に創設された読売クラブJリーグ発足時より参加している「オリジナル10」の一つであり、初代のJリーグ王者。

Jリーグ創成期は三浦知良ラモス瑠偉武田修宏北澤豪スター選手を多くえ、人気と実の両面で№1でJリーグを代表するクラブだった。
1998年読売新聞が経営から撤退して以降は経営の縮小を余儀なくされチーム弱体化2009年に2度の降格を経験して以降は10年以上J2リーグに属する程、低迷期が続いている。

』を意味するポルトガル語「VERDE」からの造語ユニフォームホーム、アウェーはホームスタジアムは味の素スタジアム東京スタジアム東京都調布市)。マスコットキャラクターコンドルモチーフにしたヴェルディくんと、始祖鳥モチーフにしたリヴェルン。

近年は何度か存続の危機に直面する程の経営難に陥っており、2020年からはゼビオホールディングス子会社となっている。

クラブの歴史

ヴェルディ川崎(1992年~2000年)

前身は読売クラブ1969年に創設された、企業サッカー部ではない「クラブサッカーチーム」の先駆けである。旧日本リーグJSL)では5度の優勝を誇り、日本を代表するサッカーチームの1つとなった。

1990年Jリーグ加盟が内定。1991年には読売グループ3社の出資により運営会社が設立。当初ホームタウン東京都希望していたが、Jリーグ側が国立競技場の使用を認めず、当時都内にJリーグの基準を満たすスタジアムが存在しなかったことから川崎市ホームタウンとし、等々力陸上競技場ホームスタジアムにすることになる。
また、「地域密着」の理念を掲げたJリーグに対し、読売新聞社長渡邉恒雄が反発。Jリーグの方針に反し、Jリーグ発足前後の1992年から1993年にかけて読売系のメディア読売新聞日本テレビスポーツ報知)を中心として「読売ヴェルディ」という呼称を用いていた。

紆余曲折してJリーグオリジナル10となったヴェルディ川崎だが、1992年Jリーグヤマザキナビスコカップでは決勝で清水エスパルスを下し、初代王者に

1993年5月15日、記念すべきJリーグ開幕試合で横浜マリノスと対戦。マイヤーがJリーグ一号ゴールを決めたものの、逆転負けを喫している。1stステージではヨーロッパスタイルへの転換を図る松木安太郎監督選手の間に轢が生まれたこともあって優勝を逃す。2ndステージでは元ブラジル代表のビスマルクが加入したことで三浦知良前線仕事に専念できるようになり、圧倒的な強さを発揮し優勝チャンピオンシップでは鹿島アントラーズを下し、栄えある初代のJリーグ年間王者となるラモス瑠偉三浦知良北澤豪武田修宏、柱哲二らをはじめとした個性的なスター選手に恵まれ、当時のJリーグバブル徴するチームとなった。三浦知良は初代のJリーグMVPを受賞。
また、ナビスコカップではワールドカップ最終予選のため代表を欠きながらも永井秀樹ら控え組の活躍で決勝まで進み、決勝では再び清水を下し、2連覇を果たす

1994年ネルシーニョをヘッドコーチに招聘し、松木監督との二頭体制となる。1stステージ終了後に三浦知良イタリアへ移籍したものの、2ndステージはそのを見事に埋めて制覇。チャンピオンシップでは怪を抱えながら強行出場したラモスの活躍でサンフレッチェ広島を下し、2年連続でJリーグ年間王者となる。守備の要であるペレイラがJリーグMVPを受賞。
ナビスコカップでもジュビロ磐田を決勝で破り、3連覇を達成

1995年より松木が退任し、ネルシーニョが監督に昇格。1stステージはあと一歩のところで優勝を逃したが、2ndステージではイタリアから帰って来た三浦知良が驚異的なペースゴールを量産し制覇。しかし、チャンピオンシップではJSL時代からの宿敵である横浜マリノスに敗れ、リーグ3連覇を果たせず。

1996年は開幕から躓き、4月途中にネルシーニョ監督が解任となる。後任にエメルソン・レオンが就任するも、レオンと確執のあったラモス京都パープルサンガへ移籍してしまう。結局リーグ戦では7位、ナビスコカップも決勝で敗れ準優勝となり、黄金時代に陰りが見え始めたシーズンとなった。
一方、この年の天皇杯では決勝でサンフレッチェ広島を3-0で下し、Jリーグ発足後初優勝Jリーグで最初に内三大タイトルを制覇したチームとなる

1997年クラブOBの加藤久が監督に就任。しかし、鳴り物入りで移籍してきた前園真聖が全くの期待外れで退団したビスマルクを埋められず、チームは低迷。8月ラモスが復帰するが、カンフル剤とはならず。1stステージ16位、2ndステージ12位と大きく低迷し、栄の時代はこの年で終焉となった。

1998年は開幕当初こそ好調だったが、その後失速。シーズン終了後に読売新聞社とよみうりランドが経営から撤退。以降は日本テレビ全額出資という形になるが、経費削減のため高額年俸の三浦知良や柱哲二は事実上のリストラとなる。また、この年を最後に読売クラブ時代の1977年からチームを牽引してきたラモス瑠偉が現役を引退

1999年中澤佑二が大ブレイクを果たし、ベストイレブンと最優秀新人賞を獲得。1stステージ2位久々優勝争いに絡んだが、2ndステージは10位に終わる。

2000年2月15日に翌年からの東京移転が承認される。ヴェルディ川崎としての最後のシーズンは年間10位というパッとしない成績に終わる。

東京ヴェルディ1969(2001年~2007年)

2001年よりホームタウン東京都に移転し、チーム名も「東京ヴェルディ1969」に称。ホームスタジアムは完成したばかりの東京スタジアムに決定する。
東京移転最初の年に松木安太郎監督に復帰。小倉隆史三浦を補強するも、松木監督は成績不振とフロントとの確執によって1stステージ限りで解任。小見幸監督に就任した2ndステージブラジル代表のエジムンドが加入。エジムンドとマルキーニョスのブラジルコンビが活躍。J2リーグ降格の危機に直面していたが、最終節で辛うじて残留を決める。

2002年中澤の移籍によって守備が安定せず、開幕5連敗という最悪のスタートを切り、小見監督事実上解任となる。その後、合流が遅れていたエジムンドの活躍もあって成績は持ち直し、2ndステージは4位と躍進する。この年を最後に黄金期で最後の一人となっていた北澤豪が現役を引退

2003年シーズン途中からオズワルドアルディレス監督に就任。リーグ戦では1年で8位、2年となった2004年は9位と2年続けて二桁順位で終える。さらに、2004年天皇杯では1996年以来となる決勝進出を果たすと、決勝ではクラブ生え抜き本一と飯尾一慶のゴールジュビロ磐田勝利し、8年ぶり及び東京移転後初となるタイトルを獲得する。

2005年ブラジル選手権得点王のワシントンを獲得し、名門復活に期待が集まる。開幕前のゼロックススーパーカップを制覇するが、シーズンに入ると低迷。7月には3試合連続で大量失点を喫したことでアルディレス監督が解任となる。後任にバドンが就任するも、チームの総得点の半数以上を稼いでいたワシントンが不調に陥ると13試合連続未勝利という深刻な状態に陥り、11月26日柏レイソル戦で1-5と大敗したことでとうとうJ2降格が決定。Jリーグを代表する名門の降格は当時のサッカーファン衝撃を与えた。将の山田卓也、ワシントン米山篤志、健太郎といったの大半が退団する。なお、天皇杯優勝によって獲得したAFCチャンピオンズリーグ2006の出場権がJ2降格によって剥奪されるのではないかと心配されていたが、AFCから出場が認められた。

J2リーグを戦うことになった2006年レジェンドラモス瑠偉監督に就任。就任1年ACL出場による過密日程に加え、前年からの課題であった守備面での不安を解消することができず、J2初年度は7位で終了する。2007年元日本代表の服部名波浩に加え、フッキ、ディエゴと大補強を敢行。第7節から13節までに7連敗を喫し一時はラモス解任騒動に発展するが、3バックに変更したことで守備の問題が解決すると、その後は一度も連敗することなく安定して勝ち点を積み重ね、2位の成績でJ1復帰を果たす。この年フッキが37ゴールという驚異的な得点を発揮し、J2得点王となった。

東京ヴェルディ(2008年~)

J1復帰となった2008年チームの呼称を「東京ヴェルディ」に変更。ラモス監督を退任して、エグゼクティディレクターになり、柱哲二が監督に就任。7月にフッキが退団して以降は思うように勝てなくなり、シーズン終盤には攻撃の核であるディエゴが4試合出場停止を食らったことがダメ押しとなってわずか1年でJ2へ降格することになる。
この2度の降格を最後にチームは長いJ2生活を送ることになる。

2009年には強化費用が大幅に削減されることになり、胸スポンサーだったサイバーエージェントも撤退。この年、監督に就任した高木也だったがシーズン途中で解任となり、1度も昇格争いに絡むことなく7位に終わる。
9月には日本テレビが経営から撤退。これによって読売グループは40年続けたサッカークラブ経営から全に手を引く形になる。チームはいよいよ存続の危機に立たされることになり、一時はJリーグが介入するほどの綱渡りの運営が続く。

2010年川勝良一が3度監督に就任。厳しい台所事情の中でユース出身の若手を積極的に起用し、彼らがチームの中心となる。2010年2011年と2年連続で5位と昇格争いに絡みながらもJ1復帰を逃している。何とかクラブの存続にこぎつけた2012年は19歳の小林希が将を務め、半年間の期間限定で移籍してきた杉本健勇の活躍もあって前半戦を2位で折り返す。しかし小林杉本が移籍した以降は得点不足に苦しみ、勝てない試合が続く。9月には川勝監督が退任。結局プレーオフ進出を逃し、最終順位は7位に終わる。

2013年三浦泰年が監督に就任するが、2月カマタマーレ讃岐との練習試合でペ・デウォンが悪質なファウルによって相手選手に大怪を負わせる事件が勃発。このとき審判乱闘を起こすなどした三浦泰年の言動が問題視される。シーズンに入っても、開幕から5試合勝ちしなどスタートダッシュに失敗すると、その後も浮上のきっかけをつかめないまま終始下位に低迷し、過去最低の13位という成績に終わる。

2014年ベテラン、若手も含め多くのが退団することになる。前年以上に開幕から低迷したチームJ3降格の危機に直面するほどだった。クラブはようやくピッチ内外で問題視されていた三浦泰年を9月に解任。ユースの監督だった冨樫剛一が後任監督となり最悪の結果は避けたものの、前年を下回る過去ワーストの20位という結果となった。

2015年竹本GMに就任。標を「9位以上」と下方修正しつつ、生え抜きの選手を中心としたチーム作りに原点回帰する。すると、チーム予想外の快進撃を見せ、シーズン中盤には破の5連勝によって自動昇格圏に薄。終盤戦以降は失速したものの、最後までプレーオフ進出の可性を残しての8位と前年の大不振を考えればポジティブシーズンとなった。しかし、2016年佐藤優也、三竿健斗という二人が移籍したを埋めきれず、再び18位と低迷する。

2017年ラ・リーガでの監督経験が豊富なミゲルアンヘル・ロティーナが監督に就任。ロティーナは細かいポジショニングにこだわった組織的な守備を選手に植え付け、脆弱だった守備を劇的に善。安定した戦いぶりで上位勢に絡み続け、シーズンを5位でフィニッシュ。初のJ1昇格プレーオフ進出を果たす。プレーオフでは準決勝でアビスパ福岡に敗れ、J1昇格を逃す。

ティーナ2年2018年は開幕から10試合敗と好スタートを切り、一時は4連敗を喫したものの調子を取り戻すと再び上位勢に食い込んでいく。この年の昇格争いは大混戦となったが、最終的に6位に入り込み、2年連続でプレーオフに進出。
J1参入プレーオフでは、1回戦、2回戦をいずれもウノゼロで勝ち抜き、あと1勝で11シーズンぶりのJ1復帰というところまで辿りつく。しかしJ1・16位のジュビロ磐田との決定戦では0-2で敗れ、あと一歩で悲願のJ1昇格を逃す。翌日、チーム躍進の立役者であるロティーナの退任が発表される。

クラブ創設50周年となった2019年チームの総合スポーツクラブ化を的として、エンブレムロゴデザインを変更する。
監督に前香港代表監督ギャリージョンホワイトが就任するが、成績不振により7月で解任。後任には2016年までプレーしていた永井秀樹が就任。しかし一度も昇格争いに絡むことなく13位でシーズンを終える。

2020年新型コロナウイルス感染拡大ので大幅な減収となり、再び経営問題が取り沙汰される。リーグでは36節から7試合未勝利(3分4敗)で終了という後味の悪さを残して12位に終わる。
12月25日、ゼビオホールディングス連結子会社となる。

2021年でとうとう、オリジナル10チームとして初めてJ2リーグでの在籍年数がJ1の在籍年数を上回ってしまう。5連勝を記録するなど6月までは好調だったが、7月8月と続けて未勝利に終わると選手に対するパワハラ問題が表面化していた永井監督9月に辞任。コーチ孝史が暫定監督に就任するも失点数がリーグワースト3位を記録し、前年と同じく12位に終わる。シーズン終了後、永井監督パワハラJリーグに認知され、クラブにも罰と譴責処分が科せられる。

2022年シーズン序盤は好調だったものの、その後13試合でわずか1勝と成績不振に陥り14位にまで低迷。6月に続投していた監督が退任。後任にはJ1での監督経験が豊富な福浩が就任。その後もしばらくは勝てない試合が続き、パリ五輪代表補の山本理仁がガンバ大阪に引き抜かれるが、終盤戦に入ると首位の新潟や3位の岡山を破るなど最終節まで6連勝。一度は絶望的となっていたプレーオフ進出の可性がわずかながら残るなど最終的に9位にまで浮上した。

2023年監督が続投。開幕から好スタートを切ると、上位を維持し昇格争いに加わる。7月に攻撃の中心だったバスケス・バイロンが昇格争いのライバルである町田電撃移籍(しかも直接対決の3日前)するが、染野中原レンタル加入によって戦の低下を抑える。後半戦も持ち前のパスワークに加えてJ2最少失点の安定した守備で勝ち点を積み上げ、終盤は清水、磐田としい2位争いを繰り広げながらもリーグ戦を3位で終了、プレーオフ出場権を獲得する。
昇格プレーオフ準決勝で6位千葉に2-1で勝利、決勝では4位清水に先制を許す厳しい試合展開だったが、試合終了直前の後半アディショナルタイムに染野がPKを決めて同点に追いつき、そのまま試合終了。規定により年間順位が上のヴェルディ16年ぶりのJ1昇格を決めた。

ホームタウン移転問題

Jリーグ開始当初は神奈川県川崎市ホームとして参戦したが、元が東京チームのため東京志向が強く、2001年東京スタジアム(現・味の素スタジアム)の完成を機に東京へと移転しチーム名を「東京ヴェルディ1969」とする。Jリーグ発足以後、ホームタウンを移転したのは現在までこのヴェルディのみである。[1][2]
ちなみに、川崎フロンターレの前身である富士通サッカー部が、川崎を本拠地とした活動を始めたのは1996年のことである(Jリーグ参入は1999年より)。2000年にはこの年限りで「川崎ダービー」も実現した(ヴェルディの1勝1分)。

一方、それまでJリーグ理念である地域に根ざす活動にを入れておらず、ホームタウンである川崎市事前の相談も東京移転を決めていた。この移転強行に対して川崎市側は激怒し、移転後は等々力競技場でのホームゲーム開催を一切認めないという明を出している。

経営問題

Jリーグ創成期に活躍していたスター選手たちの年俸が高騰したことで赤字経営が続き、チームの成績が落ちてきた1998年読売新聞社とよみうりランドが経営から撤退。高額年俸の三浦知良らは切られ、以降は日本テレビによる全額出資となる。

2009年シーズン中に前年度のリーマンショックによって経営不振に陥っていた日本テレビが経営から撤退。これにより読売グループサッカー運営から全に手を引いた。
このにより2010年に経営危機が明るみに出る。
一時はシーズン途中での倒産も噂されたものの、Jリーグが直接経営に乗り出してこの危機を回避。
スポンサーを確保し、なんとかチームは存続を決め、その後しばらくの間は厳しいながらも落ち着くようになる。

2020年新型コロナウィルス世界規模での感染拡大によって大幅な減収を余儀なくされると、経営状況が悪化。10億円近い赤字が予想され、再びクラブ存続の危機に直面する。
経営増資によって経営難を乗り切ることを画策するが、のゼビオがこれに難色を示す。
12月25日、ゼビオが新株予約権を行使し株式の過半数を所有。これによってクラブはゼビオの子会社となり、ゼビオが特別損失として処理したことで経営難を乗り切る。しかし、これまで苦しい時期を乗り切ってきた旧経営をいわば乗っ取る形となったゼビオに対し、サポーターからは不信感のが挙がった。

観客動員は2013年こそ持ち直して均6000人台に回復したものの、最盛期(J初年度)の1/4にとどまる。
50000人収容の味の素スタジアムも経費節減のためにバックスタンドを閉鎖することがほとんどである。
歴史と伝統のあるクラブだけに、を据えた経営と戦略復活を期してもらいたいところではある。

おもなタイトル

国内タイトル

個人タイトル

現在の所属選手

背番号 Pos. 選手名 生年 加入年 前所属 備考
- 監督 福浩 1961.3.21 2022 サンフレッチェ広島 監督
1 GK マテウス 1993.4.10 2020 フィゲイレンFC
2 DF 深澤 1998.8.21 2021 中央大学 【H】
3 DF 谷口栄斗 1999.9.30 2022 国士舘大学 【H】
4 DF 1998.6.9 2023 鹿島アントラーズ 【レ】
5 DF 智広 1990.5.10 2015 FC町田ゼルビア 【H】
6 DF 宮原和也 1996.3.27 2022 名古屋グランパス
7 MF 森田(C) 2000.8.8 2019 東京ヴェルディユー 【H】
8 MF 齋藤 1997.6.16 2023 横浜FC
9 FW 染野 2001.9.12 2023 鹿島アントラーズ 【レ】
10 MF 見木友哉 1998.3.28 2024 ジェフユナイテッド千葉
11 MF 山見大登 1999.8.16 2024 ガンバ大阪 【レ】
13 DF 山越康 1993.5.4 2022 大宮アルディージャ
14 MF アゴ・アウベス 1996.6.19 2024 タフォゴFC
15 DF 千田海人 1994.10.17 2023 ブラウブリッツ秋田
16 DF 河村 1994.10.17 2023 ブラウブリッツ秋田
17 MF 稲見哲行 1999.4.15 2022 明治大学
18 MF 山田 2001.7.10 2024 京都サンガF.C. 【レ】
19 FW 河村慶人 1999.9.11 2022 日本体育大学
20 FW 木村勇大 2001.2.18 2024 京都サンガF.C. 【レ】
21 GK 長沢 1996.7.1 2021 アスルクラロ沼津
22 MF 翁長 1995.2.23 2024 FC町田ゼルビア
23 MF 2000.8.15 2023 国士舘大学 【H】
24 MF 永井颯太 1999.8.15 2024 いわきFC
25 DF 山田裕将 2001.7.19 2024 国士舘大学 【卒】
26 DF 裕太 1996.6.24 2024 大宮アルディージャ
27 FW 山田剛綺 2000.5.19 2023 関西学院大学
28 MF 食野壮磨 2001.5.29 2023 京都産業大学 【卒】
29 MF 古川真人 2001.11.14 2023 国士舘大学 【卒】
30 FW 白井 2005.5.17 2023 東京ヴェルディユー 【昇】
31 GK 佐藤久弥 1998.4.4 2021 アスルクラロ沼津 【H】
32 MF 山本丈偉 2006.5.18 2023 東京ヴェルディユー 【昇】【H】
33 MF 松橋優安 2001.10.27 2020 レノファ山口FC 【復】【H】
34 FW 川村楽人 2005.5.17 2023 東京ヴェルディジュニアユー 【2】
40 MF 新井悠太 2003.3.24 2023 東洋大学(在学中) 【特】
41 GK 中村 2005.4.27 2024 静岡学園高校 【卒】

※備考欄は【】=全移籍での加入、【レ】=レンタル移籍での加入、【復】=レンタル先からの復帰、【新】=新任の監督、【昇】=トップチーム昇格、【卒】=新卒での加入、【特】=特別定選手、【2】=2種登録、【H】=ホームグロウン選手

過去に所属したおもな選手

歴代監督

監督 在任期間 備考
ペペ 1992年 ナビスコカップ優勝(1992年)
松木安太郎 1993年1994年 Jリーグ優勝(1993年1994年)
ナビスコカップ優勝(1993年1994年)
ネルシーニョ 1995年1996年4月 Jリーグ2ndステージ優勝(1995年)
野靖行 1996年4月 監督代行
エメルソン・レオン 1996年5月1997年1月 天皇杯優勝(1996年)
加藤 1997年1月6月
バウディール 1997年6月12月
川勝良一 1997年12月
カノール 1998年1998年9月
川勝良一 1998年9月12月
松永英機 1999年 実質的な揮は総監督
2000年
松木安太郎 2001年2001年7月
小見幸 2001年7月2002年4月
ロリサンド 2002年4月2003年5月
レアンドロ 2003年5月 監督代行
オズワルドアルディレス 2003年5月2005年7月 天皇杯優勝(2004年)
2005年7月 監督代行
ドン 2005年8月12月 J2降格(2005年)
ラモス瑠偉 2006年2007年 J1昇格(2007年)
哲二 2008年 J2降格(2008年)
高木 2009年2009年10月
松田岳人 2009年10月12月
川勝良一 2010年2012年9月
高橋一郎 2012年9月12月
三浦泰年 2013年2014年9月
冨樫剛一 2014年9月2016年
ミゲルアンヘル・ロティー 2017年2018年
ギャリージョンホワイト 2019年2019年7月
永井秀樹 2019年7月2021年9月
孝史 2021年9月2022年6月
福浩 2022年6月 J1昇格(2023年)

その他

関連動画

関連リンク

関連項目

脚注

  1. *ジェフユナイテッド市原・千葉(旧・ジェフユナイテッド市原)や湘南ベルマーレ(旧・ベルマーレ平塚)も名前は変わっているが当初からのホームタウンの地域を拡大したものである。
  2. *Jリーグ参入前であれば、福岡ブルックス(現・アビスパ福岡)が静岡県藤枝市から福岡市に移転したという経緯はある。
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