松代大本営とは、大東亜戦争末期に長野県長野市松代町に作られる予定だった地下軍事施設群である。
戦局が悪化の一途を辿っていた1944年初旬、日本陸軍の井田中佐は「大本営の安全な場所への移設」を提言。陸軍は既にB-29の存在を察知しており、そう遠くない未来に本土爆撃が行われるのは容易に想像できた。このためさっそく適地探しが始まり、長野県が適当と判断された。長野は海岸線から遠く(空襲を受けにくい)、10トン爆弾にも耐えうる岩盤があり、信州は神州にも通じる事などが抜擢の理由だった。
5月初旬頃より長野の地で移設先を探し始め、松代町に決定。運輸通信省の鉄道関係者の助力を受け、ボーリング調査を実施、7月中旬に松代大本営の建造が閣議決定された。9月に杉山陸相が着工命令を下し、東部軍が土地の買い上げや労働者調達を行った。資材の搬入作業や朝鮮人労働者の確保を行い、11月11日より工事開始。およそ2億円の巨費が投じられた。のべ300万の労働者を動員した突貫工事だった。地下壕内にはトロッコ用のレールが敷かれ、削りだした岩塊をトロッコに乗せて運び出した。内部は檜材と漆喰で補強し、大小様々な部屋や炊事場、浴場、水洗便所といたせりつくせりの内装だった。
象山、舞鶴山、皆神山の三山を中心に、善光寺平一帯に地下軍事施設群を分散配置。地下壕には日本放送協会外局、諸官庁の出先機関、宮城などが移設される予定であり、まさに遷都とも言うべき大規模な移設ものだった。しかしこの工事は極秘とされ、周辺住民はおろか昭和天皇にすら知らされていなかった。天皇の耳に入ったのは1945年6月13日の事で、陸軍の独断に激怒したと言われる。
進捗度75%で終戦を迎え、工事中止。1945年10月26日付の信濃毎日新聞で初めて臣民にその存在が明かされた。残った地下壕は戦後しばらくの間、家を失った臣民たちの住居として機能した。
掲示板
3 ななしのよっしん
2023/06/22(木) 10:03:19 ID: 5qESeLJX97
>>1
「のべ」って言葉が視界に入ってないのかな…?
仮に1万人が300日働いたらのべ300万人なんですよ
4 ななしのよっしん
2023/06/22(木) 10:13:57 ID: rfc5iInRXW
>>3
当時の事うろ覚えだけど、私が指摘したかったのは「のべ300万人」という数字が朝鮮人労働者と日本人労働者を合わせた数字だったということだが
しかし、そのことを指摘するために引用した資料を見直すとこれ全然主張を補強してないな…
5 ななしのよっしん
2023/07/13(木) 07:04:31 ID: 5qESeLJX97
>>4
その引用した部分を読む限り7000人も動員して数年工事してたら、そらのべ300万人いくだろって思ったからこっちも>>3の内容を書いたわけで
当時の記事は知らないけど現在の記事だと朝鮮人だけで300万とも書いてないし、その7000人という人員が実際に一日に何人規模で働いたかも不明だから実際のべ何人働いたのかの話も出来ないし、もうどうしたいのか分からんわ
もうこの話やめた方が良いまである
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最終更新:2025/03/28(金) 15:00
最終更新:2025/03/28(金) 14:00
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