松浦盛(まつら・さこう)とは、
以上3名存在する。
1559年、相神浦松浦家が後ろ盾としていた肥前の少弐氏が滅亡する。そこで当主・松浦親(宗金)は新たに有馬氏と関係を結んで、敵対する平戸松浦家と対抗しようと考えた。少弐氏から迎えていた養子の松浦鎮は廃嫡され、新たな養子として迎え入れられたのがこの松浦盛である。
1563年に大友宗麟の援助で少弐政興がお家再興をはかり、実兄・有馬義貞などの西肥前諸将が龍造寺隆信に対し挙兵すると、「今の有馬氏には相神浦の援護をするほどの余裕はない」と考えた平戸の松浦隆信が相神浦領に侵攻してきた。養父の命を受け、有馬氏への援軍要請を頼まれた盛は実家である有馬領へと向かう。しかし、そこで消息を絶った………。
1566年に実父・晴純が病没し、両松浦家も(相神浦家の降伏に近い形で)和睦する。平戸松浦家より松浦隆信の三男・松浦九郎親が、宗金親の新たな養子として迎えられた。ところがこの悪いタイミングで盛が相神浦へと戻ってきた。両松浦からすれば今頃ノコノコ戻ってきてお前何なんだ状態である。が、和睦は有馬側には無断で結ばれており、帰ってきたら廃嫡されていた盛は自分の分の所領を要求し始めた。
落としどころに困った宗金親だったが、九郎親には相神浦を相続させる一方、盛には有田唐船城を与えて、断絶していた松浦党の一家・有田氏の名跡を継がせることにした。相神浦家の領地が分割されたことに不満を持った有田盛は、自然と九郎親を敵視して戦いを挑むようになるが、敗れて没落してしまった。没年に関しては「1572年に相当原合戦で討死」「1576年に居城を龍造寺隆信に攻められている最中に病没」「1594年に病没」と諸説あり、よくわかっていない。
掲示板
掲示板に書き込みがありません。
急上昇ワード改
最終更新:2026/01/15(木) 09:00
最終更新:2026/01/15(木) 08:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。