誰もが一度は聞いた事があるであろう松阪牛の産地。松阪牛は松阪で一から育てられた牛の事ではなく、全国各地から子牛を買い取って3年間育成した牛の事を指す。言うなれば牛のトレーニングジム。市名の由来は、かつて同地にあった松ヶ島城の松と、大阪から阪の文字を貰って組み合わせたもの。江戸時代から「まつさか/まつざか」と二通りの呼び名があったが、2005年1月1日の市町村合併の際に「まつさか」に統一された。漢字表記も松阪と松坂の二通りあったものの1889年の町制移行時に松阪に統一。
東西50km、南北37km、総面積623.58平方kmを有し、県土全体の約10.8%が松阪市にあたる。その広大な面積は県庁所在地の津市に次いで三重県内2位。吸収合併を繰り返した結果、東端は伊勢湾に、西端は奈良県吉野郡に接しており、三重県中部を横断する横に長い面積となっている。南は多気郡、北は津市に面する。
伊勢平野が広がる北東部に人口が集中し、西部一帯は紀伊山地、高見山地、台高山地が連なる大自然の世界。人口は約16万ほどでこれは県の9%に相当、更に官公庁が集まる津市のベッドタウンとして人口は増加傾向にある。駅前は少しずつ開発が進んでいるが、ショッピングモールのような商業施設は全く無いため、観光目的で来た場合は暇を潰せる場所が無い。背の高い建物も殆ど無いのでいわゆる寂れた田舎町である。隣の松ヶ崎駅まで行くとヤマダ電機や上新電機、ブックオフなどがある。
隣町の明和町や多気町は松阪市に属していないが、同地に警察署やハローワーク等が無い都合上、行政的には松阪市の所管となっている。
松阪駅周辺が市の中心地。津家庭裁判所松阪支部、市役所、警察署、ハローワーク、ビジネスホテル等がある。松阪駅にはJRと近鉄が同居しており、近鉄大阪線、近鉄山田線、名松線、紀勢本線が交わる。いずれも快速及び特急が止まるため交通の要衝。松阪駅から名古屋、京都、大阪、和歌山、奈良、賢島、大台方面に向かう事が出来る。更に近鉄では1日に数本、松阪・名古屋間で急行が運行されているので特に四日市、津、桑名、名古屋へのアクセスが容易。かつては三重電気鉄道の駅もあったが現在は廃線となっている。
商人の町として栄えた古き良き街並み、自然豊かな風景、松阪城跡地、江戸時代の古典学者・本居宣長の生家などがあり、観光都市の一つに数えられる。伊勢湾に面している関係で新鮮な魚が採れ、松阪牛も堪能できるなどグルメも充実している。
余談だが、『東方project』の登場人物こと本居小鈴の聖地になっており、毎年同人誌即売会が行われている。四日市以南には同人ショップの類が無いため貴重な同人誌購入の場となっている。また稀代の奇ゲー『シーマン』では、シーマンに関する論文と解剖図が松阪市の増田邸の蔵から発見されたという設定がある。
松阪市からは最古の土偶が発掘されたり、国指定史跡の天白遺跡が存在する事から、縄文時代から同地に人が住んでいたと考えられる。
奈良及び平安時代に入ると都と伊勢をつなぐ拠点として交通網が整備され、伊勢神宮を訪れる人々が必ず松阪の地を通るようになったため経済的発展を遂げた。原料の綿が伝来すると綿の栽培に適していた松阪の地は一気に紡織技術が向上。海岸線で綿の栽培が行われた他、農家には必ず機織り機があったとされ、「伊勢の綿が一番」と言われるほどの評価を獲得。農閑期に女性が木綿を織っていた。ゆえに木綿は現在でも松阪市の特産品となっている。
南北朝時代から約230年間は北畠家の支配下となり九代に渡って統治。戦国時代に入っても戦火に焼かれる事は無く、農村一帯は平和だった。しかし1569年に織田信長率いる軍勢が伊勢に侵攻、北畠軍は籠城を選択して戦火が及びかけたが、直前で和睦したおかげで血は流れなかった。
今の松阪市の基礎を作ったのは戦国武将の蒲生氏郷(がもううじさと)であった。1584年、松ヶ崎城の城主となった氏郷は城から約4km南にある森に新たな城を建築しようと考えた。築城を急ぐため松ヶ崎城から瓦を剥ぎ取ってこれを資材とし、1587年に完成。翌年氏郷が入城した。松ヶ崎の松と上司の豊臣秀吉が築いた大阪から阪の文字を取って松阪城と命名。さっそく氏郷は城下町の整備にかかり、城の周りに武家を配置、その外周に松ヶ島城から移してきた神社を置いた。更にかつての主・織田信長がやっていた楽市楽座を真似て氏郷は日野や伊勢から有力な商人を誘致、海岸線にあった参宮伊勢街道を城下に引き入れ、道に沿う形で商人を配置。これにより城下町に多くの人が集まるようになった。また敵への備えも怠っておらず、道路をギザギザの形にして見通しを悪くし、要所要所に防御拠点となる神社や寺院を置いて侵攻しづらいように整備している。
その後、氏郷は東北の奥羽地方に飛ばされてしまい1590年に松阪の地を離れた。1595年に秀吉配下の服部一忠が城主となるが、悪名高い秀次事件の連座で改易され、続いて近江日野から来た古田重勝が城主となる。
1600年、石田三成が挙兵すると重勝は東軍に参加。松阪城で鍋島勝茂率いる西軍を撃退する戦果を挙げた。それから9年後に重勝が病没すると弟の古田重治が後を引き継ぐ。そこから10年間は重治が統治していたが、1619年に石見国へ転出し、入れ替わる形で徳川家康の十男頼宣が紀州藩主となるも、松阪城に城主は置かれなかった。
徳川の治世、江戸時代では徳川紀州藩伊勢領の本拠地になる。松阪は大阪商人、近江商人と並ぶ伊勢商人輩出の地となり、三井家(のちの三井グループ)、長谷川家、小津家といった豪商が誕生。1644年から1681年にかけて大江戸に進出して木綿を売って稼ぎまくった。先述のとおり伊勢神宮を訪れる人は必ず松阪を通るため、様々な情報が自然と集まり、それを伊勢商人同士が独自のネットワークで共有。時勢を的確に見抜いて莫大な金を儲けていたという。一方、伊勢商人は金持ちだった割には倹約家で質素な生活を好んだ。商売上手な近江商人と伊勢商人に嫉妬した江戸っ子は「近江泥棒、伊勢乞食」と呼んでいたという。成功者が多いので、武士の身分を捨てて商人に転向したケースもあったらしい。
1750年頃には、江戸に店を持つ豪商は50を超えた。伊勢商人と交友関係を結んだ江戸の文化人が伊勢神宮を参拝し、松阪で句会や歌会を行った結果、他にはない独特な文化が築かれていった。また開発によって伊勢街道と和歌山街道が合流する地点となり宿場町として発展。隆盛を極める。
1889年4月1日、町村制への移行で松阪城下にあった大小の村が合併し、飯高郡松阪町が誕生した(その後も飯南郡の村を合併して大きくなり、1933年2月1日には松阪町は市への昇格を果たす)。しかし明治期の1893年3月26日に大火によって町屋1318棟が焼失。当時を偲ぶ姿は殆ど残っていない。松阪城も火事や台風の影響で破壊され、石垣のみが残っている有り様である。
1909年、松阪公園で但馬地方から取り寄せた50頭の雌牛の品評会が開かれた。これが松阪における畜産の始まりで松阪牛ブランドの第一歩だった。但馬地方などから買い取った子牛は自由に放牧させず牛舎内で育成、穀物類を与えて肥えさせ、肉質を良くするマッサージやビールを飲ませるなど、徹底した管理と環境下で子牛は育てられた。その甲斐あって1923年、連合畜産共進会に出場した松阪牛が入賞している。1935年、全国肉用畜産博覧会で松阪牛は最高の名誉賞を獲得し、全国に最高級ブランド松阪牛が知れ渡った。
時代は下り、大東亜戦争の戦況が悪化の一途を辿る1944年、松阪市の学生や教師は明野飛行場や四日市の造兵廠などに派遣され、様々な形で軍に協力。官民一体となって働いた。市内の中島飛行機にも大勢の一般人や学生が徴用されている。同年12月7日、東南海地震が発生。震源に近かった松阪市は地面が波打つほどの大地震に見舞われ、かろうじて建物や電柱の倒壊は無かったものの、地下水を汲み上げるポンプが破壊されてしまい井戸から人力で水を汲み上げる羽目になった。その後も絶え間なく続く余震が人々の不安を煽る。
帝國海軍の燃料廠がある四日市や、国家神道の象徴的存在たる伊勢神宮が近隣にあったため、松阪もついでと言わんばかりに空襲を受け、1945年2月4日14時頃にB-29爆撃機16機が襲来。目標は市内の中島飛行機工場で、焼夷弾数千発が投下されて3分の2が焼き払われた。このうちの一部が西風に流されて高田、久保、上川周辺に着弾。8人が犠牲となっている。この空襲で中島飛行機工場は一時機能を喪失したが2月21日から作業再開。以降は松阪市を狙った空襲は無かったものの空襲警報は何度も発令され、サイレンが鳴り響くたびに工員は1km先の神社へ避難していた。市内に軍は駐留していなかったようで、我が物顔で飛び回る敵機を迎撃した様子は無かった。7月16日、松阪市上空で明野飛行場から出撃した五式戦闘機24機と、硫黄島から出撃したP-51戦闘機96機が30分に渡って交戦している。
1951年12月16日、二度目の大火で約700戸が焼失。さらに1953年9月20日、台風13号が発生。26日に潮岬に上陸し、三重県に甚大な被害を及ぼした(伊勢湾台風)。松阪市にも暴風と大雨が襲い、道路は冠水。道と畑の区別が付かないほどだった。戦後も吸収合併を繰り返し、ついには三重県下2位の広大な面積を持つようになった。2005年1月1日、嬉野町・三雲町・飯南町・飯高町を合併して改めて松阪市が発足した。12月22日には非核平和都市を宣言し、核兵器の廃絶と恒久的な平和を訴えている。これを機に毎年8月1日から15日にかけて、市役所や松阪公民館などで「戦争と平和を考えるパネル展」を行っている。
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最終更新:2024/12/02(月) 02:00
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