板東英二とは、ほぼゆでたまごである。
オフィスメイ・ワーク→よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属だったが、2018年3月に契約解除後、無所属。
※『坂東英二』は誤字のため注意!
1940年4月5日に、兵役で両親が身を置いていた当時の満州国(現在の中国東北部)虎林市に生まれる。
5歳の頃本土に戻り、徳島県に移り住んだため、出身は徳島としている。現在は愛知県名古屋市在住。
中学校2年生から野球を始めた。
高校球児として名を馳せ、1958年に夏の甲子園大会の1大会通算奪三振記録保持者(83奪三振。その後江川卓でも松坂大輔でも斎藤佑樹でも更新できなかった)となる。その年「延長18回引き分け再試合」が初めて適用されたが、このルールが導入されるきっかけを作ったのも板東である。
現役のプロ野球選手時代は中日ドラゴンズに11年間所属。右投げ右打ちの投手で背番号は30や14をつけていた。セ・パ両リーグで40人しか達成していない一球勝利(詳細)をした選手のひとり(NPB史上2人目、日本人投手としては初)でもある。決め球はフォークボールだった。
現役時代の通算成績は、435試合77勝65敗、防御率2.89。
入団当初は先発だったが故障に悩まされ、5年目以降は先発と中継ぎを兼務していた。
最晩年の1969年には星野仙一と同僚になっているが、星野はその当時の坂東を「当時まだ正しい治療法が確立していなかった遊離軟骨(ねずみ)の除去手術をして、右の肘に大きな刀傷のついた腕でヘロヘロなボールを投げていたので、"これが中日のエースの坂東か?"と驚いた」という。但し「でもコントロールは良かったわ」とも語っている。
この右肘の故障の後遺症は相当悪く、引退後現在に至るまで真っ直ぐ伸ばすことができない。テレビ番組で腕相撲企画への参加を勧められた際も右肘の故障を理由に断っていたという。
その一方で、現役時代プライベートでもっとも熱心だったのがサイドビジネスだった。サウナや牛乳屋の経営、ジュークボックスの販売に力を入れていたが、どれも失敗して多額の借金を抱えたという。
1974年版の「燃えよドラゴンズ」第1作で歌手を務めたことがある。もともとは板東がメインパーソナリティを務めていた中部日本放送のラジオ番組に、作者である山本正之(当時大学生)がこの曲を投稿し、大きな評判を得たことを機に、パーソナリティの板東の歌声でレコード化された経緯がある。
引退後は当初指導者としてのオファーがあったが、当時の中日首脳陣の人事異動の煽りを受け頓挫。野球界から芸能界に転向し、タレント・俳優・野球解説者として活躍する。
当初は中日の地盤である名古屋で活動していたが、1980年代に関西へ進出し、ローカル番組で数多くのレギュラーを持つようになり、やがて、東京での活動を開始。バラエティの司会も数多くこなしており、司会を務めた日テレ系「マジカル頭脳パワー!!」(1990-1999)では、日テレゴールデンタイム・バラエティ番組としては歴代最高視聴率31.6%(1996/5/2)を記録しており、日テレ黄金期を支えた司会者であった。
俳優としても、高倉健と共演、元プロ野球選手初の日本アカデミー賞助演男優賞を獲得している。
タレントとして成功してもなおサイドビジネスに熱心で、大阪にビルを所有して不動産経営を行ったり、株式投資を積極的に行っていた。
現在は、全国ネットでは出演は減ったが依然ローカル番組ではレギュラーは多く、東京・名古屋・大阪でバランスよく仕事をしている。2007年頃から、全国ネットでの出演も増えつつある模様。
コメントはしっかり各地域向けに使い分けて、共演者に「あんた、東京で言ってたことと全然違うやないか」と突っ込まれることも。
2012年12月27日に、板東の個人事務所「オフィスメイ・ワーク」(名古屋市名東区)が、名古屋国税局の税務調査を受け、7年間で約8千万円の申告漏れを指摘されたことが分かったことを各マスコミが報じた。国税局は、うち約5千万円は取引先への架空外注費などによる所得隠しと判断。重加算税を含め約3千万円を追徴課税したとみられる。
この問題で、年末年始特番をはじめ板東が出演予定であった東京、名古屋、大阪の各民放は特番の差し替え、レギュラー番組の出演の見合わせなどの対応に追われている。
個人事務所でのタレント活動が困難となってしまったこともあり、2014年からはよしもとクリエイティブ・エージェンシー所属となった。
ゆで卵が大好きで、売ってあるとついつい買ってしまうらしい。地下鉄に乗車しているときでも食べてしまい、注意された事も。
好きな理由は小さいころ貧乏で、ゆで卵がすごくごちそうだったから(ガッツ石松がバナナを食べるのと同じ理由)。
また、5歳児のころに日本の敗戦を満州で迎え、母に連れられて一年半かけて命からがら日本へ引き上げた経験を持つ。飢えにさいなまれたその道中、数回手に入った卵が命を救ってくれた記憶も、ゆで卵が好きなことに関係しているらしい。TOKYO FMのラジオ番組「ゆうちょ LETTER for LINKS」において、亡き母との絆エピソードとして話している。
母は亡くなる寸前まで、「ちゃんと食べてる?」と僕を気遣った。
「ひもじい思いさせて、すまなかったねえ。ごめんね」
それが口癖だった。
一生懸命、働いてくれた。
愚痴ひとつこぼさずに、僕たちきょうだいを育て上げてくれた。
「大学、いかしてあげるからね」
そんなふうに言ってくれたけれど、僕はプロ野球の道にすすんだ。
僕がどんなに稼いでも、母の口癖は変わらない。
「ちゃんと、食べてる?」
甲子園、プロ野球。勝負の世界で戦う僕に、母はお守りをくれた。
あるとき、そのお守りをあけると、中に、大豆の豆が三粒。
母ちゃん、どれだけ食べること気にしとるんや。
実家に帰れば、オコワとゆで卵。
母ちゃん、大丈夫、もうちゃんと食べてるから。
なお、引き上げ中に手に入った卵とは空腹のあまりに農家から夜中に盗んだものだったので、火を焚けず生卵をすすりこむしかなかった。その苦い記憶のためか、半熟よりも固ゆで派である。しかし生卵系の食事が嫌いと言うわけではないらしく、卵かけご飯も好きらしい。
2009年9月25日のとりあえず生中(仮)にゆで卵と塩をもって登場した。しかし、運営コメントは終始本のタイトル以外名前を坂東英二と書いていた。
不祥事により現在はレギュラーをすべて降板。下記は直前まで出演していた番組の一部である。
掲示板
227 ななしのよっしん
2023/08/30(水) 00:19:15 ID: soLL4infID
板東英二、実姉が「死んでいるかも」と語る衝撃…“寂しき晩年” に寄せられる驚きと悲しみ
https://
228 ななしのよっしん
2024/05/23(木) 20:47:51 ID: RoHlY7VsvX
板東英二のテレビ復帰は絶望的か、家族と疎遠になった行方不明の83歳に残された道(週刊女性PRIME) - Yahoo!ニュース
https://
>板東本人に関しては、2020年頃よりその所在が不明となっている。
ええ!?
229 ななしのよっしん
2024/05/23(木) 20:56:03 ID: hMMiUrHKcn
他の記事でもだけどすぐ消えるYahoo!ニュースじゃなくて配信元記事のリンク貼れよ
https://
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最終更新:2025/03/27(木) 08:00
最終更新:2025/03/27(木) 07:00
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