林家こん平 単語


ニコニコ動画で林家こん平の動画を見に行く

ハヤシヤコンペイ

1.4千文字の記事

郷土の皆様方、お懐かしゅうございます。ニコニコ大百科で生まれて新潟で育ったこんが、
久方ぶりに地元へ帰ってまいりました
そんな意味も込めてまいります!

1!

2!

3!

チャラーン!!

こんでーす!!!!

林家こん平とは、日本落語家である。

概要

1943年新潟県チャーザー村生まれ。本名は笠井男(かさい みつお)。しょっちゅう故郷の場所が変わる事でお染み。昭和中期までは落語家江戸・上方以外出身を売りにするのはまだ異例だったため、越後出身を前面に出すのは新しい試みであったという。

1958年に初代林家三平の自宅を訪れ子入りを志願し、当時三はまだ公式には子を取れない二つだったのに入門。この時実家から一俵をかついで持ってきたという逸話がある[1]
初代三が死去すると三子はそのままこん子となり、昭和爆笑王を失って崩壊しかけた三一門をまとめあげた。初代三の二人の息子であるこぶ(現・九代林家正蔵、初代三門下から移籍)・いっ(現・二代林家三平)も彼の子である。

1962年に二つ昇進。二つ時代の1966年から「笑点」に出演。五代目三遊亭圓楽桂歌丸と同じく放送第1回から出演していたメンバーである。一時期降した時期もあったが、1972年真打昇進と同時に番組に復帰。長きにわたりレギュラーとして活躍する。 

笑点では「田舎っぺキャラ」としての役割を果たす。落語の定番キャラでいうところの「権助」である。特に隣がインテリ腹黒なので彼が長く難しい挨拶や答えを話した後、「私には難しくて何の事かよく分かりませんが」という返しをするのが恒例。そして座布団運びの山田隆夫をこき下ろすネタを言っては後ろから突き飛ばされて座布団を掻っ攫われる事もよくある光景(この山田おろしネタ子のたい、同じ席に座る桂宮治らが受け継いでいる)。
また笑点地方ロケを行った際の挨拶は「私の帰りの鞄の中にはまだ若干の余裕があります」と、観客に土産をくれアピールをするのもお染み。 記事冒頭の「チャラーン!!」の挨拶も有名。ちなみに「チャラーン!!」とは自身の出囃子である「佐渡おけさ」のイントロなんだそうだ。最初は自分一人で行なっていたが、のちに「視聴者参加挨拶」として、会場の観客と共にチャラーン!!」と言うようになった。

2004年帯を患い笑点を一時降し、落語家を休業。後に帯自体が悪いのではなく神経の難病「多発性硬化症」と診断される。この病気の患者は20~40代、特に女性が多く、高齢男性るのはしいので病名判明までに時間がかかった。笑点の代役には師匠を盛った子の林家たい平が抜され、そのままレギュラー出演者となる。

その後はの場に出る機会は減ったものの、落語家復帰に向けてリハビリを続ける。笑点にも五代目三遊亭圓楽追悼特番や、番組内で行われた子の真打披露口上の場など随所で出演。2016年での24時間テレビではたいチャリティーマラソンスタートに立ち会い、「チャラーン」とともに送り出した。

趣味卓球を長く続けており、三遊亭小遊三と共にらくご卓球クラブに所属している。

2020年12月17日誤嚥性肺炎のため死去。77歳であった。

関連動画

関連項目

脚注

  1. *正確ではないが事実根でもなく、相については著書「チャランポラン闘病記」参照
この記事を編集する
関連記事

親記事

子記事

  • なし

兄弟記事

掲示板

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
高森藍子[単語]

提供: Aquavit

もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2025/12/09(火) 15:00

ほめられた記事

最終更新:2025/12/09(火) 15:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP