柳生宗厳(やぎゅう・むねよし/むねとし 1527 ~ 1606)とは、戦国時代の剣豪である。柳生石舟斎(せきしゅうさい)の名でも有名。
武将としては主に松永久秀に仕えたのち、新陰流を極め、剣術家として著名となり、徳川家康より招かれる。「無刀取り」の名技で有名。剣術師範としては息子柳生宗矩を推し、柳生藩立藩のきっかけを作った。
柳生氏は山城との国境付近を領する柳生庄を領する大和国人。父・柳生家厳の頃には初め木沢長政に属し、その後筒井順昭に屈した。
若き宗厳は剣術に興味を示し、新当流や中条流を学んだと言われ、「五畿内一の兵法者」として名をあげていた。
1559年、三好長慶の重臣・ボンバーマンこと松永久秀が大和への侵攻を開始した。大和は松永軍と筒井軍の戦いの舞台となるが、ここで筒井家に見切りをつけ、宗厳は久秀に臣従する。以降、久秀より非常に重用され長きに渡る側近となった。
1563年。宗厳34歳のとき、新陰流の流祖として名高い上泉信綱(伊勢守)が上洛してくる。その途上、奈良興福寺にて宗厳は信綱に立ち合い勝負を挑むが、弟子にすら敗北を喫し、その場で新陰流への入門を決意する。
宗厳は信綱を柳生庄に招き剣術を学んだ。そこで未完成の秘技「無刀取り」を託し、信綱は去った。翌年、再び信綱が柳生を訪れると、完成させた無刀取りを披露。信綱より認められ一国一人の印可状を授かる。その翌年には新陰流目録を与えられた。
なお無刀取りというと真剣白刃取りを想像する方が多いと思われるが、実際には白刃取りに限らず徒手空拳で刀を持った相手を無力化する技全てを指す。
宗厳が剣術修行に勤しんでいる頃、三好長慶が病死。畿内は三好三人衆と松永久秀の争いの場と化していた。この状況下でも宗厳は久秀の重臣として仕え、織田信長陣営とのやり取りなども行っている。
だが1571年の辰市城の戦いで大敗を喫し、嫡男・柳生厳勝は生涯四肢不随の大怪我を負う事となった。
このあと久秀は信長への反抗と臣従、そして再度の謀叛と爆死を遂げていく訳だが、武将としての宗厳の動きはよく分からなくなっていく。主を失った後は柳生に隠棲し、剣術家としての研鑽にひたすら傾いていく。
1585年。この年大和の支配者は筒井順慶から豊臣秀長へと代わった。そこで太閤検地が行われ、柳生庄に隠し田があることが発覚、柳生氏は先祖代々の柳生庄を没収されてしまう。1593年、64歳で出家して石舟斎と称し、いよいよ剣術家としての道のみを歩んでいくことになる。
1594年、徳川家康に招かれ、息子・柳生宗矩(但馬守)と共に剣術を披露する。家康も自ら木刀を持ち、無刀取りの奥義を味わったという。これに感じ入った家康は即座に石舟斎への入門を決断。と同時に徳川家に仕えるよう求められるが、既に老齢のため、24歳と若い息子・宗矩を推挙した。他に毛利輝元も弟子入りしている。
以降、柳生氏と新陰流は徳川幕府の剣術指南役として柳生藩1万石を領して重きをなすことになる。
関ヶ原の戦いでは大和国人を東軍方にまとめ、西軍を牽制した。この功績で失っていた旧領柳生を得る。
その後は柳生庄にて、厳勝の子・柳生利厳(兵庫助)を新陰流三世として育成した。利厳は後に加藤清正に仕えるが出奔、最終的に尾張徳川家の剣術指南役となる。利厳には上泉信綱から与えられた印可状や目録も託しており、可愛がっていたようである。
1606年、死去。享年78。最期まで兵法三昧の日々を送り剣術の完成を目指していたと言われる。
「信長の野望」(PC)シリーズにおける柳生宗厳(柳生石舟斎)の能力一覧。
天翔記ではイベントキャラとして登場するため、プレイヤーキャラとしては皆勤賞ではない。残念。剣豪のお手本のような能力値が並んでいる。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||||
戦国群雄伝(S2) | 戦闘 | 72 | 政治 | 50 | 魅力 | 70 | 野望 | 64 | ||||||||
武将風雲録(S2) | 戦闘 | 78 | 政治 | 27 | 魅力 | 65 | 野望 | 62 | 教養 | 65 | ||||||
覇王伝 | 采配 | 70 | 戦闘 | 83 | 智謀 | 35 | 政治 | 27 | 野望 | 62 | ||||||
天翔記 | 戦才 | - | 智才 | - | 政才 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||
将星録 | 戦闘 | 93 | 智謀 | 79 | 政治 | 28 | ||||||||||
烈風伝 | 采配 | 41 | 戦闘 | 92 | 智謀 | 67 | 政治 | 20 | ||||||||
嵐世記 | 采配 | 83 | 智謀 | 56 | 政治 | 9 | 野望 | 3 | ||||||||
蒼天録 | 統率 | 83 | 知略 | 54 | 政治 | 9 | ||||||||||
天下創世 | 統率 | 84 | 知略 | 56 | 政治 | 18 | 教養 | 63 | ||||||||
革新 | 統率 | 62 | 武勇 | 105 | 知略 | 35 | 政治 | 20 | ||||||||
天道 | 統率 | 62 | 武勇 | 105 | 知略 | 35 | 政治 | 20 | ||||||||
創造 | 統率 | 59 | 武勇 | 81 | 知略 | 41 | 政治 | 32 | ||||||||
大志 | 統率 | 58 | 武勇 | 80 | 知略 | 62 | 内政 | 34 | 外政 | 34 |
上泉信綱との出会いから無刀取りを開眼し柳生新陰流創設…といった流れのものが、剣豪のおすすめプレイシナリオとして用意されている。
他主人公プレイでは奈良の町で柳生新陰流の道場を開いている。(架空シナリオの夢幻の章は不明)
個人戦では時折、無刀取りで攻撃を無効にするのが厄介。
掲示板
1 ななしのよっしん
2021/07/02(金) 22:47:44 ID: Y3EJa2g1aA
記事作成乙
上泉信綱の弟子に負けた話は寄生獣の作者の短編集?で知った
まあその弟子が主人公だったけど
2 ななしのよっしん
2021/10/20(水) 19:15:37 ID: bCRh6L/Yx2
所領没収の原因となった隠田って詳細分かる資料あったっけ?パターンとしてあるとすれば
・農民が隠田を作ったのを放置してました
・豊臣政権に申告する田畑を隠してました
どっちだろう?どっちにしても領地管理の不備は秀長から怒られそうだけど…
3 名無し募集中。。。
2022/04/19(火) 12:29:47 ID: ReZcPBA3By
>>2
全く無い。藩翰譜には載ってるけど、柳生家の家譜の「玉栄拾遺」にもないから果たして本当に会ったかどうか。
大和の支配が松永から宿敵筒井に移った時点で本領は安堵されなかったと考える方が自然だと思う。
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最終更新:2024/04/18(木) 19:00
最終更新:2024/04/18(木) 19:00
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