柳田殖生 単語

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柳田殖生やなぎしげお1982年3月31日-)とは、兵庫県西脇市出身の元プロ野球選手内野手)である。現在横浜DeNAベイスターズコーチ

ネット上では「しょくお」、「ギーダ」、帝王などの称で呼ばれている。

概要

1999年福知山商業高等学校(現・福知山成美高等学校)が全国高等学校野球選手権大会に初出場した際の4番・遊撃手。同大会では2回戦で敗退。

その後、デュプロ、NOMO Baseball Clubを経て、2005年大学生社会人ドラフト中日ドラゴンズから5巡名される。NOMO Baseball Club 出身選手としては初めてのプロ野球選手になった。

2007年6月20日オリックス・バファローズ戦で代走として一軍初出場を果たす。6月23日福岡ソフトバンクホークス戦にて8番・三塁手で初のスタメン出場。第1打席でプロ安打を、第2打席ではプロ本塁打をそれぞれ杉内俊哉から放った。

しかしその後、二軍ではほぼ4番で出場し毎年首位打者争いをするものの一軍では結果が出せないという状況が続き、「二軍の帝王」という不名誉なレッテルを貼られてしまう。

2013年中日ドラゴンズから戦力外通告を受けてしまったが、横浜DeNAベイスターズが獲得を発表。背番号は36。

2014年キャンプオープン戦で好成績を残し、開幕を一軍で迎えたものの、開幕してからは18打席ノーヒットと苦しみ、二軍落ちも経験。

そんな中、首の負傷により欠場となった石川雄洋に代わり5月29日ソフトバンク戦に2番・二塁手でスタメン出場、自身7年ぶりとなる移籍後初アーチプロ入り初の猛打賞を含む5打数4安打2打点1本塁打の大活躍。試合は延長までもつれた後、白崎浩之によるサヨナラ安打での決着という形になったため惜しくもヒーローインタビューは逃したものの、この活躍以降、右の代打内野ユーティリティープレイヤーとしての地位を確立し、一軍メンバーとして定着。石川山崎憲晴といった内野レギュラーが怪・不調といった事態に陥った際にはスタメンとして起用された。

7月26日東京ヤクルトスワローズ戦にて山中浩史よりキャリアハイとなる第2号本塁打を放った際には「中日時代にウエスタン・リーグで対戦経験があるので、その時のことを思い出しながら打席に入りました。」とコメント。前述のソフトバンク戦で大場翔太からホームランを打った際も同様のコメントを残しており、これらの発言が「進研ゼミの宣伝漫画によく出てくるフレーズっぽい」と一部でネタにされた。
また、8月26日の古巣・中日戦で岡田俊哉からホームランを放った際には「(古巣を)見返したい気持ちはずっと持っていたし、今も持っている。」とコメント井端弘和荒木雅博という稀代の名二遊間コンビの存在もあり、なかなか継続的な出場機会を与えられなかったという苦い経験をバネに活躍した。

しかし2015年2016年は若手選手の台頭の前に出場24試合・23試合と出番を勝ち取ることが出来ず、2016年オフ戦力外通告を受け、現役を引退した。

引退後はDeNAの球団職員として引き続きチームに携わり、2018年からは二軍打撃コーチとして現場に復帰。2019年二軍内野守備兼打撃コーチ2020年からは二軍内野守備走塁コーチを務める。

エピソード

二軍の帝王時代の実績(二軍成績)

※左から年度、(打数-安打数)、打率本塁打打点の並び。その他特記事項があれば追記しています。

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