OB | |
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柳田豊 | |
基本情報 | |
国籍 | ![]() |
出身地 | 宮崎県延岡市 |
生年月日 | 1951年8月31日 |
身長 体重 |
175cm 65kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1969年 ドラフト8位 |
引退 | 1987年 |
経歴 | |
選手歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
延岡商業高等学校に進学。2年時にチームは夏の甲子園大会に出場しているが、ベンチ入り出来なかった。3年時にはエースとして活躍したが県予選で敗退している。
初年度から登板機会を得て3勝6敗、防御率4.43という成績を残す。
5年目の1974年、先発・リリーフ双方で起用され、41試合に登板し6勝7敗2セーブ、防御率3.99という成績を残す。同年シーズンオフ、近鉄バファローズへ移籍。対阪急ブレーブス戦で好投が多かった点を西本幸雄監督から評価されての移籍であった。
近鉄移籍後は先発・中継ぎ・抑えなどでフル回転し鈴木啓示、井本隆、村田辰美らとともに近鉄投手陣を支える存在となる。初年度は8勝11敗3セーブ、防御率3.19という成績を残す。
1978年、自身初の二桁勝利となる13勝を挙げ、初めてオールスターゲームに出場。
1979年、11勝を挙げチームの初優勝の貢献。翌1980年には13勝を挙げチームの2連覇に貢献。同年の日本シリーズでは勝利投手にもなっている。
1981年には10勝を挙げたが、同シーズン限りで恩師である西本監督が退任。
1982年からは先発に固定されたが同年は2勝8敗、翌1983年はパ・リーグ最多敗戦となる14敗(6勝)を喫するなど成績低迷。それでも1984年には10勝を挙げて復活を遂げている。
1987年、チームの若返り方針もあり登板数が激減し、同年限りで現役を引退。
引退後は藤井寺市内で飲食店を経営していたが、現在は地元に戻り漁師として生活しているという。
抜群のスタミナに加え、速球とカーブとの緩急を生かした投球で打者を翻弄した変則右腕。一方でコースを突くタイプと言うよりはアバウトに投げ込むタイプであり、被本塁打や与死球は多かった。
投球後にピョンと跳ねるユニークな投球動作や、赤塚不二夫の漫画のキャラクターに似た風貌、そして顔を歪めてサイドから投げる様から「ニャロメ投法」と呼ばれた。この投法はプロ入り後、左膝の靭帯を痛めた際に痛めた部分に負担がかからないよう編み出したものである。
阪急のブーマー・ウェルズが特に苦手とした投手としても知られ、柳田登板時に本来の右打ちではなく左打席に立ったこともある。
通算:18年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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NPB | 531 | 93 | 19 | 110 | 140 | 30 | --- | .440 | 2357.2 | 588 | 1201 | 1128 | 1040 | 3.97 |
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最終更新:2025/03/15(土) 20:00
最終更新:2025/03/15(土) 19:00
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