栗原健太(くりはら けんた、1982年1月8日-)とは、山形県出身の元プロ野球選手(内野手)である。現在は千葉ロッテマリーンズのコーチを務める。
中日ドラゴンズ #77 二軍打撃コーチ |
|
---|---|
栗原健太 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 山形県 |
生年月日 | 1982年1月8日 |
身長 体重 |
183cm 95kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 一塁手、三塁手 |
プロ入り | 1999年ドラフト3位 |
引退 | 2016年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
WBC | 2009年 |
プロ野球選手テンプレート |
日本大学山形高等学校では甲子園出場はなかった。通算39本塁打。
1999年ドラフト3位で広島東洋カープに入団した。背番号50。
入団直後は怪我の影響で一軍には上がれなかったが、二軍で打率3割をマーク。
そして2002年にやっと一軍に昇格。プロ初ヒットはホームランになった。
2004年には90試合に出場し一塁手のレギュラーを掴むかと思われたが、2006年後半に椎間板ヘルニアになり、そのままずっと二軍だった。
2008年は新井貴浩の移籍で開幕から4番に座る事になったが、創建ホームの呪い4番の重圧か春先はあまり調子は出なかったが、後半に復活した。新井と共に一塁手でゴールデングラブを獲得。(受賞者が2人なのは1993年の今中慎二と桑田真澄以来、15年ぶり)。オフにひじの手術を行った。
2009年、第2回WBCに惜しくも落選したが、村田修一の負傷で準決勝前に緊急招集され渡米した。しかし、シーズンでは腰の故障に悩まされ、成績を大きく落とした。シーズン後、新監督の野村謙二郎の意向でサードにコンバートされた。
2010年は4番サードで開幕を迎えたが、ファーストヒューバーの不振からファーストでの出場が多くなった。交流戦で右手首に死球を受け骨折し約2カ月戦線離脱。復帰後は岩本の台頭もありサードでの出場が増えた。滑り込みで規定打席に到達し、3割近い打率を残したがホームランは15本と5年ぶりに20本に届かなかった。
2011年は統一球に苦しんだが、後半戦で慣れて、新井と打点王を競った。打点王にはなれなかったが、ゴールデングラブ賞とベストナインを受賞。
2012年は東日本大震災復興支援ベースボールマッチでホームランを放つ活躍を見せるが、レギュラーシーズンでは右肘を手術し、21試合の出場、ホームランも初めての0本に終わった。
2013年も故障を抱え、打撃不振に陥り24試合の出場に終わった。
2014年は一軍昇格がないまま、一軍出場なしに終わった。オフに右肘の手術を受けた。
2015年オフに自由契約となり、東北楽天ゴールデンイーグルスの入団テストを受け合格した。背番号0。なお楽天は2011年度シーズン終了後にも、栗原の獲得を検討していた。
2016年は二軍で47試合に出場するも一軍へは昇格できず、楽天では一年勝負と決めていたため9月に引退を決意し、9月29日に正式に引退を表明した。
2017年から東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍打撃コーチを務める。2018年も二軍打撃コーチを務めていたが、4月30日に高須洋介と入れ替えで一軍に配置転換された。2019年は再び二軍打撃コーチに戻り、同年限りで楽天を退団。
2020年からは中日ドラゴンズの一軍打撃コーチを務め、2021年で退任した。
2023年からは千葉ロッテマリーンズの二軍打撃コーチを務める。
顔が元チームメイトの喜田剛(2007年~2010年)そっくりなので、よく間違えられる。
広島時代はチーム内に何故か『健太』という名前の選手が多かった。
球団 | レス | No | プレイヤー |
---|---|---|---|
広島 | 応援歌のピコカキコ一覧#231 | 8917 | |
楽天 | 応援歌のピコカキコ一覧#1381 | 14111 |
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
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2002年 | 広島 | 10 | 23 | 22 | 2 | 4 | 2 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 7 | 0 | .182 | .217 |
2003年 | 26 | 77 | 76 | 7 | 21 | 1 | 0 | 3 | 6 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 15 | 1 | .276 | .286 | |
2004年 | 90 | 282 | 270 | 26 | 72 | 7 | 1 | 11 | 32 | 2 | 1 | 1 | 8 | 2 | 60 | 5 | .267 | .292 | |
2005年 | 77 | 274 | 254 | 31 | 82 | 16 | 0 | 15 | 43 | 0 | 1 | 1 | 17 | 1 | 63 | 12 | .323 | .366 | |
2006年 | 101 | 397 | 373 | 44 | 110 | 19 | 0 | 20 | 69 | 2 | 0 | 3 | 21 | 0 | 90 | 7 | .295 | .330 | |
2007年 | 144 | 622 | 565 | 77 | 175 | 37 | 1 | 25 | 92 | 3 | 0 | 6 | 46 | 3 | 94 | 13 | .310 | .361 | |
2008年 | 144 | 616 | 557 | 69 | 185 | 31 | 1 | 23 | 103 | 5 | 0 | 4 | 42 | 12 | 68 | 18 | .332 | .389 | |
2009年 | 140 | 582 | 521 | 68 | 134 | 21 | 0 | 23 | 79 | 1 | 0 | 2 | 48 | 7 | 82 | 11 | .257 | .327 | |
2010年 | 105 | 450 | 386 | 62 | 114 | 22 | 0 | 15 | 65 | 3 | 0 | 6 | 51 | 7 | 70 | 10 | .295 | .382 | |
2011年 | 144 | 596 | 536 | 56 | 157 | 29 | 0 | 17 | 87 | 0 | 0 | 7 | 40 | 12 | 84 | 11 | .293 | .351 | |
2012年 | 21 | 84 | 76 | 5 | 16 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 15 | 1 | .211 | .262 | |
2013年 | 24 | 69 | 59 | 3 | 12 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0 | 12 | 3 | .203 | .319 | |
NPB:11年 | 1026 | 4072 | 3695 | 450 | 1082 | 186 | 3 | 153 | 582 | 17 | 2 | 32 | 290 | 45 | 660 | 92 | .293 | .349 |
機構 | 守備位置 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 一塁手 | 870 | 7768 | 520 | 51 | 613 | .994 |
三塁手 | 140 | 77 | 187 | 23 | 12 | .920 |
表彰 | ||
---|---|---|
月間MVP | 3回 | 2006年7月、2011年8月・9月 |
ゴールデングラブ賞 | 3回 | 2008年、2009年、2011年 |
ベストナイン | 1回 | 2011年 |
その他 | ||
オールスターゲーム出場 | 3回 | 2007年、2009年、2011年 |
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最終更新:2024/04/24(水) 02:00
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