桂歌丸とは、落語家である。生ミイラ、理科室のガイコツ、はげちゃびんではない。
1936年横浜市生まれ。本名は椎名巌(しいな いわお)。落語芸術協会所属で、落語芸術協会5代目会長を務めていた。怪鳥ではない。5代目古今亭今輔、4代目桂米丸に師事。当初は新作落語を中心としていたが、晩年は古典落語を主としており、廃れてしまった落語の演目の発掘などを積極的に行っていた。古典落語以外にも「化粧術」の芸は当初から遊女を見てきた(後、化粧品のセールスマンを務めた)歌丸の十八番芸である。
「笑点」(日本テレビ)の出演者としても有名。病気が理由で一時期療養していたことはあっても、1969年に7ヶ月ほど降板していた時期を除いて放送開始(1966年)から2016年まで足掛け50年間出演し続けた。
また、「笑点」の前身番組である「金曜夜席」(1965年~1966年)にも番組開始当初から大喜利メンバーとして出演しており、まさに「ミスター笑点」「笑点の生き字引」と言うべき存在であった。
番組開始当初から大喜利メンバーであったが、5代目三遊亭圓楽の降板を受けて2006年より司会者に昇格。着物の色は1970年より長年にわたって黄緑色だったが、2007年に深い緑色に変わった。
「ハゲ」「死去」「冨士子(歌丸夫人)」ネタでいじられることが多い。ちなみにハゲについては放送初期からだいぶ危ない状況であった(だいたいは小圓遊と6代目圓楽の仕業)。
また、アニメ作品『落語天女おゆい』にも本人役で声優として出演。やけに増毛されている。
2018年7月2日、81歳にして天国の高座にのぼっていった。
回答者時代は風刺を効かせた答えが多く、司会者やメンバーにケンカを売るキャラクターだった。落語の人物で言うと「がらっ八の八五郎(うるさくておっちょこちょい)」
笑点と言えば罵倒合戦であるが、特に酷かったのは三遊亭小圓遊との罵倒合戦だった。小圓遊を知らない人のために簡単に述べると
罵倒合戦から延長して、ただのケンカということもあり、歌丸曰く「笑点だか成田(闘争)だかわかんなくなった」と言うほど酷い状況であった。ある時に視聴者から文句言われて、小圓遊と和解するもすぐに手を洗ったという逸話もある。しかし、若いころは一杯のかけそばをすするほどの仲であり、時同じくして落語芸術協会の理事になるほど、戦友でもあり、親友でもあった。しかし、1980年に小圓遊は急死してしまうのである。
その後は三遊亭楽太郎(後の六代目三遊亭圓楽)との罵倒合戦に発展していく。きっかけは歌丸に今後の笑点でのキャラクターについて相談したところ「俺のことでもいいから」と答えたためである。なお、楽太郎が六代目圓楽に襲名した時に歌丸に感謝の言葉を述べているほど、歌丸を尊敬している。
そして、回答者から司会者になって以降は早いうちから三波伸介の手法をベースに司会進行していく。
ジジイなどと言われながらも、まだまだ元気に司会をしてほしいと視聴者・メンバー共に思っていたが、「体力の限界」を理由に、「笑点」放送開始から満50年を突破した2016年5月22日放送回をもって惜しまれつつも司会を勇退。春風亭昇太に司会の座を譲った。
なお、勇退後は「終身名誉死体司会」という位置付けになり、前座番組である「もう笑点」には引き続き出演した他、オープニングアニメーションにも一コマだけ登場していた。
歌丸の逝去直後の笑点放送回となった第2620回(2018年7月8日放送)では急遽歌丸を追悼する内容に変更され、司会の春風亭昇太をはじめとした笑点メンバーが過去の映像を振り返りつつ歌丸を送る放送となった。
番組後半の追悼大喜利では感極まった圓楽が「ジジィ!早すぎるんだよ!!」と涙ながらに圓楽流の言葉でその死を惜しむ回答を行い、視聴者に深い印象を残した。
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最終更新:2025/03/29(土) 22:00
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