桃太郎 海の神兵とは、大東亜戦争末期に製作・公開された国策映画である。
1943年3月に公開された長編漫画映画「桃太郎の海鷲」の姉妹作で、1945年4月12日に公開された国策漫画映画。直接的な繋がりは無いが、作風は引き継がれている。声優は全員小学生くらいの子供で、時折聞き取りづらい部分がある。
前作「桃太郎の海鷲」が記録的大ヒットとなった事で、軍は漫画映画の有用性を認識。今度は1942年1月11日に行われたセレベス島メナドへの空挺降下を題材にしたアニメ映画の製作に取り掛かった。1944年、海軍省は松竹動画研究所に動画製作を依頼。監督は前作で演出を担当した瀬尾光世が担当。日本政府と海軍省から27万円という破格の予算が与えられ、人員も100名近くが投入されるなど前作より規模を拡大。本作でもリアリティ追求が行われ、スタッフが一週間の体験入隊をしている。ところが7月7日にサイパン島が失陥した事で、B-29による本土爆撃が始まる。空襲警報が鳴るたびにスタッフは機材や動画を持って地下に避難しなければならなかった。更に戦況の悪化はスタッフの徴兵を招き、物資不足も手伝って一時は公開すら危ぶまれた。それでも不断の努力で、1944年12月に完成。上映時間74分という「桃太郎の海鷲」の2倍の尺となって誕生。まさに日本のアニメ技術の基盤を作り上げた記念碑的作品となった。しかし海軍省から不適切だと指摘されたシーンの削除などで手間取り、上映可能になったのは1945年春の事だった。
この映画が公開されたのは、1945年4月12日。既に連合艦隊は壊滅し、本土爆撃を受け、沖縄がアメリカ軍の攻撃を受けている戦況だった。メインターゲット層の子供は既に地方へ疎開していたため殆ど話題にならず、興行収入も前作ほど無かったものと思われる。だが、この映画を若かりし頃の手塚治虫が見にきていた。休みの日を利用して封切り日に大阪松竹座へ赴いたのである。上映後、涙が出るほど感動した治虫は「一生に一本でもいい。どんなに苦労したって、俺の映画漫画を作って、この感激を子供たちに伝えてやる」と決意。漫画家を志す動機となった。つまり本作が無ければ、漫画の神様は誕生しなかった事になる。そういった意味でも非常に重要な作品である。
終戦後は、戦意喪失目的でGHQが没収。長らく幻の作品とされてきた。ところが1982年に松竹の倉庫からフィルムが発見され、再び陽の目を見る事になった。2016年5月の第69回カンヌ映画国際映画祭クラシック部門で放映され、反響を呼んだ。
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最終更新:2024/04/20(土) 06:00
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