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梁七星(ヤンチルスン/りょうしちせい) 日本名⋯梁川七星(やながわしちせい) インドネシア名⋯KOMARUDIN(コマルディン) とは、朝鮮半島出身の日本軍の元軍属である。
戦後、他の日本人とともにインドネシアに残留してインドネシア独立戦争に命を捧げた。
1912年5月29日に日本統治下の朝鮮半島の全羅完道の完走に生まれる。
太平洋戦争が始まると、1942年に軍属としてインドネシアのジャワ島西部に設立されていたチマヒ捕虜収容所の監視員の仕事に就いた。
1945年8月、ポツダム宣言を受諾することで日本は敗戦した。
当然故郷に帰れるのだが、他の日本兵とともに独立を宣言したインドネシア共和国軍に義勇兵として加入してインドネシア独立を認めず再進駐してきたオランダ軍と戦った。
彼はその際にコマルディンという名前を名乗っている。
奮闘の末にオランダ軍によって青木政四郎(インドネシア名⋯アブカバル)、長谷川勝雄(インドネシア名⋯ウスマン)とともに捕えられ、1949年8月10日に処刑される。
彼らが墓地に運ばれる道中、沿道の人々は「ムルデカ(独立)」と叫んで彼らを見送ったと言われている。
オランダ軍兵士がその場にいるのにもかかわらずである。
彼らの死後の約4カ月後である1949年12月27日、インドネシアはオランダから独立を勝ち取った。
1975年に遺骨がカリバタ英雄墓地に移される。
青木政四郎、長谷川勝雄とともに独立戦争の3人の英雄とされ、墓碑銘は梁川七星として記載されていた。
社会学者の内海愛子と村井吉敬夫妻がインドネシアを訪れた際に、英雄である3人のうち梁川七星のみ遺族が不明であった事、名前が日本人としては珍しかった事等から調査を行ったとされる。
その結果朝鮮半島出身者と判明した為に、1978年に韓国へ紹介し、韓国でも知られることとなった。
墓碑銘が[JAPAN YANAGAWA SICHISEI]と記載されている事を問題として、
韓国で記載変更をインドネシア政府に要求する運動が起こり、市民集会まで開かれた。
1995年3月11日に日本でもこの運動が産経新聞によって報道される。
そして1995年8月19日に変更が認められ、遺族や市民団体関係者が韓国から墓碑を持ち込み入れ替えを行った。
その為現在では[KOMARUDIN YANG CHIL SUNG、KOREA]の記載となっている。
韓国では当たり前だが、梁七星は日本軍によりインドネシアへ強制連行されていたとされ、いつの間にか梁七星が他の朝鮮人捕虜監視員とともに秘密結社を作って日帝と敗戦前から戦っていた事になっている。
掲示板
2 ななしのよっしん
2014/08/05(火) 12:31:34 ID: g2jUo6fz1t
真に同胞思いの人だったのかもしれないね、普通祖国が独立してるのに帰らず他国のために戦うことなんて出来ないだろうし
3 ななしのよっしん
2016/03/23(水) 16:09:48 ID: sgI8kaDhaW
八紘一宇の心で戦ったか、はたまたなにかしらやらかして帰るに帰れない組だったのか、どっちにしろアジアの為に戦ったのだけは事実さ
4 ななしのよっしん
2016/12/17(土) 23:10:05 ID: 8ta38ehasJ
最後の一文に呆れ果てたわ。調べりゃすぐバレる事だろうに。
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最終更新:2024/04/25(木) 03:00
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