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森泰斗(もり たいと)とは、船橋競馬場(千葉県騎手会)所属の騎手である。

足利競馬場所属でデビューした後、北関東競馬止を経て南関東に移籍。内田博幸戸崎圭太らが中央移籍後、南関東競馬リーディングを8回(2023年終了時点)獲得している、名実ともに南関のトップジョッキーの1人である。

勝負服の柄は胴ダイヤモンド・袖(北関東での最初の引退までは胴ダイヤモンド・袖)。

概要

千葉県市川市出身。幼少期に競馬好きの友人と近所にあった中山競馬場競馬観戦に行ったことで騎手を志す。両の反対を押し切りJRA競馬学校地方競馬教養センターの両方を受験するも、競馬学校の方はあえなく不合格。合格した地方競馬教養センターに67期生として入学する。同期には後にに先立って南関のトップジョッキーとなり、JRA移籍後もリーディングを獲得する戸崎圭太がいた。

1998年栃木足利競馬場所属でデビュー。翌1999年には北関東期待の若手として全日本新人王争覇戦にも出場し、着々と北関東でステップアップしていた…はずだったが、その更に翌2000年、自ら騎手免許を返納し引退してしまった。本人く、遊びにハマって気づいたら調教サボるような生活になり、気づいたら厩舎に顔を出しづらくなった結果とのこと。返納後はパチンコ店の店員バイトなどをし、母親から生活の援助を受けて食いつなぐ生活になった。

しかし、その生活をする中で『やはり自分には競馬しかない』ということを再確認、再び足利競馬場に舞い戻り厩務員となり、2001年に改めて騎手免許を再取得して再デビューを果たした。

だが、当時北関東三場(宇都宮足利高崎)は常に止の話が浮かび上がる状態であり、2003年には足利競馬場止で宇都宮競馬場へ移籍、2004年の末には高崎競馬場止、そして宇都宮競馬場2005年に遂に止されることとなり、北関東三場はすべて止された。止後、はじめは佐賀への移籍を検討したが遠い慣れない地での現役続行に両の猛反対を受け、栃木在籍時の調教師の縁もあって地元にほど近い船橋競馬場へ移籍することとなった。

船橋競馬場移籍後はレベルの高い環境ということもあり、しばらくの間は中堅レベルジョッキーとして過ごし、既にフリオーソなどの戦を務め南関のトップジョッキーとなっていた同期戸崎圭太とは差がついていたが、2010年荒尾競馬場で開催の霧島賞に共に遠征したテイエムヨカドーで初重賞制覇・初年間100勝を達成、翌2011年の末の東京2歳優駿牝馬ではエンジェルツイートに騎乗し初のS1制覇をすると、そこからは一気に南関のトップジョッキーへと駆け抜けていった。

戸崎が2013年に移籍すると、翌2014年には年間246勝で初の南関リーディングを獲得、2017年にはヒガシウィルウィン東京ダービーを制覇した。通算8回の南関リーディング、さらに5回の地方競馬リーディングを獲得(いずれも2023年末時点)して、名実ともに南関・地方競馬の顔として活動している。

人物

同期戸崎圭太く、教養センター入所時点では『ってて、かなりやんちゃだった』とのこと。栃木時代の写真金髪でキメていて、何となくその様子はうかがえる。大人しくな戸崎とやんちゃでったは対照的だが、センターの頃は仲が良く、ケンカもしたことはなかったようだ。

2018年5月25日大井競馬12Rでは競走中に騎乗(リゼコーフィー号)が故障し落負傷。その時に受けた診断が以下の通りで

と、再起不能レベルの負傷をしたのだが生存……どころかなんと2週間後の2018年6月7日レース騎乗再開、翌8日の12Rで復帰後初勝利を上げたこの人本当に人間なんですかね……

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