水戸ホーリーホック単語

ミトホーリーホック

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水戸ホーリーホックとは、茨城県水戸市ひたちなか市笠間市那珂市小美玉市茨城町大洗町里町、東海村日立市常陸太田市北茨城市常陸大宮市高萩市大子町を本拠地とするプロサッカークラブである。

概要

日本プロサッカーリーグ
水戸ホーリーホック
基本情報
創設 1994年
クラブカラー
所属 J2リーグ
本拠地 ケーズデンキスタジアム水戸[茨城県水戸市]
ホームタウン 茨城県水戸市ひたちなか市笠間市那珂市小美玉市茨城町大洗町里町、東海村日立市常陸太田市北茨城市常陸大宮市高萩市大子町
前身クラブ FC水戸
プロサッカークラブテンプレート

クラブの前身は1994年に創立したFC水戸1997年にプリマハムFCと合併し、現在チームとなった。2000年よりJリーグに加盟。

チーム名の「ホーリーホック (HollyHock)」由来は水戸家紋」を英語にしたもの。エンブレムの御紋にをかたどったものとなっている。世界で一番カッコいいエンブレム自称)。クラブマスコットは「」をモチーフとした「ホーリーくん」。

ホームタウンは当初は水戸市のみだったが、2017年11月2022年9月ホームタウンを拡大し、現在茨城県内の105町ホームタウンとしている。

ホームスタジアムは運動公園陸上競技場(那珂市)を長年ホームスタジアムとして使用していたが、2009年よりケーズデンキスタジアム水戸略称ksスタ)を使用。

予算面においてJ2、ひいてはJリーグを通じても長年下位クラス。同じ茨城県を本拠地とする鹿島アントラーズは営業収入ベースで予算規模が水戸の10倍をえている。活躍した選手は大体引き抜かれるかレンタルの場合はレンタルバックとなってしまい、毎年シーズンオフには「先発11人中8人がいなくなった」「年間得点3点以上取った選手がもいなくなった」などという事態も発生している。一方でその状況でも歴代監督によってレンタルの若い選手を中心にチームを作り上げ一定の成績をキープしており、育成には一定の評価を受けている。

歴史

前身は1994年に創部された市民クラブの「FC水戸」。1996年には茨城県2部リーグで準優勝

1996年地域リーグ決勝大会で準優勝し旧JFL昇格が内定しながらも直後にプリマハム支援打ち切り廃部となることが決定していた「プリマハムFC」と合併することによって現在の「水戸ホーリーホック」が誕生。1997年より旧JFLに参加となる。[1]

年間予算が1億円強と言われ、プロ契約選手でもガソリンスタンド産加工所でのアルバイトをしないと生活出来ない状況のため旧JFLでの2年間は成績は低迷。
1999年Jリーグが二部制に移行することからJ2リーグへの加盟を申請するも経営基盤の不安定さなどから加盟は見送られる。

1999年、引き続き参加した新JFLでは年間3位となるが、当時JFL準会員の横浜FC優勝)を除くと2位であったため2000年よりJリーグ2部(J2リーグ)への参加が認められる。

・戦の欠乏を理由に専門誌などでは先行きを危ぶまれたが、J2リーグ昇格初年度の2000年は元ブラジル代表のジョンパウロの活躍もあって最終順位は9位、しかも6位の鳥栖までは勝ち点5差という善戦を見せる。しかし、2001年2002年は成績が低迷。資の少なさからクラブ経営は苦しく、観客動員においてもJ2ワーストを記録するなど苦戦が続き、一時はクラブ存続も危ぶまれていた。

2003年前田秀樹監督に就任。底した堅守速攻チーム作りが功を奏し、成績が向上。特に広島からレンタルで移籍したトゥーリオ10月帰化して田中マルクス闘莉王名)はDFリーダーとしてだけでなくチーム最多の10得点記録する大車輪の活躍を見せる。これにより、前半戦は一時首位に立つなど躍進し、最終的にはチーム高順位の7位でシーズンを終える。この頃より、極端なまでの守備的なスタイルが定着するようになり、サポーターからは「水戸ナチ」と呼ばれるようになる。

2004年闘莉王をはじめのほとんどが退団し、メンバーが大幅に入れ替わったことがして年間わずか6勝しか挙げられなかったが、負けない戦い方は健在のため引き分けが多いことが幸いし9位となる。
この年、サポーターによる納涼漢祭りおこなわれ、以後水戸サポーターによる様々な祭りがある種の名物となる。また、天皇杯4回戦で初めて鹿島との「茨城ダービー」が実現。しかも11月13日の「茨城県民の日」の開催という偶然が重なった。

2005年2006年はデルリス、アンデルソンといった外国人選手の活躍が立ったものの順位はいずれも10位となる。前田監督はこれまでの守備的な戦術からアクションサッカーへの転換を図るが、「内容はいいが勝ちに繋がらない」ことが増え、2007年は12位と低迷。この年を最後に前田は退任する。

2008年よりクラブOBの木山行が監督に就任。韓国代表のパク・チュホや荒田智之、遠藤ら若手の活躍するも1年は12位と低迷。2009年は荒田、遠藤に加え高崎寛之、吉原太といった攻撃が軒並み好調を維持したことで一時はサポーターから「昇格しか見えない」というゲーフラが登場するほどの好調ぶりを発揮し、2003年に次ぐ8位という成績でシーズンを終える。1シーズンで3人のFW(荒田智之、遠藤高崎寛之)がハットトリックを達成するなど、総得点でも70点台に到達した。
しかし、2010年は荒田、高崎が抜けたことで得点不足に苦しみ、16位と低迷。シーズン終了後、木山監督は退任する。

2010年には元日本代表将の柱哲二が監督に就任。しかし3月11日に起きた東日本大震災によって大きく被災し、チームは活動休止、スタジアムも大きく被害を受けるなどし、リーグ戦も中断となる。しかも収益の大幅な減少から再びクラブは経営危機に立たされることになる。しかし、他チームから支援の動きが広がり、Jリーグ公式試合安定開催基より借入した3000万円を事期日前に返済する。6月には元日本代表の鈴木隆行が被災クラブの援助を理由に報酬契約で加入するという男気を見せる。
さらに、長年クラブと確執のあった水戸市からの出資が決定。こうしてクラブ危機は回避された。

2012年にはJリーグクラブライセンス申請においてJ2ライセンスの対となり、J1への自動昇格もしくはプレーオフ参加の対とならないことがJリーグから発表される。これによりJ1規格のスタジアムが問題となる。

監督就任以降は前半は好調なものの、後半戦に失速して低迷し二桁順位で終えるというパターンを繰り返していた。就任5年となった2015年は開幕から大きく低迷。6月に降格圏の21位にまで転落したことで柱は解任し、ヘッドコーチの西ヶ之が監督に昇格。その後もチームは苦戦が続き、J3リーグ降格という最悪の事態は回避できたものの、過去最低の19位でシーズンを終える。

その後も順位的に下半分で長らく推移していたが、2018年長谷部滋利監督を新たに迎えると開幕4戦負けなしで首位に。2003年以来実に15年ぶりの事であった。結局この年は守備がほぼ全員一巡負傷する不幸もあり失速したものの最終的に過去最高、そして22チーム制になって以降初めて上半分での10位でフィニッシュ。

2019年は戦の出入りも多かった中で開幕から快進撃。なんと3月から4月敗、11試合僅か4失点で首位で駆け抜ける。平成最後の首位、そして令和最初の首位と時代をまたいでJ2J2の王者として君臨した間であった。最終的に7位となったが6位とは同勝ち点同得失点差であり、後1ゴールあればプレーオフ出場権を得られるところまで薄した。

チームを躍進させた長谷部監督が引き抜かれ、2020年秋葉監督に就任。就任1年では山口一真中山が二桁得点を挙げるなどリーグ最多の68得点記録。一方で失点数がリーグワースト4位だったこともあって9位に終わる。

2021年は前年よりも順位を1つ落とし10位、2022年は好不調の波がしく13位に終わる。シーズン終了後、秋葉監督は退任。

ヘッドコーチだった濱崎芳己が監督に就任した2023年5月13日栃木SC戦でJ2通算1000試合という立。順位は17位と前年よりも4つダウン

2023年シーズン終了時点で、J2在籍24年連続24年2024年シーズンも在籍決定)となった。2023年末でのJ2通算1027試合(2位モンテディオ山形の896試合)、J2通算敗戦数430敗(同ザスパクサツ群馬349敗)、J2通算失点1325点(同ザスパクサツ群馬1055点)はいずれもJ2最多記録JFLJ3への降格制度ができた後も一度も下部リーグに降格せずにJ2で戦い続ける、水戸戦奮闘のである。

クラブの抱える問題

J1ライセンスとスタジアム問題

現在ホームスタジアムであるケーズデンキスタジアムは収容人数でJ1基準に達しておらず、長らくJ1ライセンスが交付されず昇格のは閉ざされた状態にあった。

サガン鳥栖2012年シーズンJ1に参入したことで、J1参入経験のない最古参チームとなってしまった。
2019年シーズンにはJ2での20年を迎え、名実ともにJ2となっている。

ターニングポイントとなったのは2018年里町の校を利用した新クラブハウスであるアツマーレの工でクラブハウスに関する条件がクリアできたことに加え、J1ライセンスの条件緩和により「入場可人数条件を満たす運動公園陸上競技場に追加で修工事を行う」という条件付ではあるが初めてJ1ライセンスが交付され、ついにJ1昇格へのが開けたのである。

加えて2019年には2024年標(その後2028年標に修正)にJ1ライセンス条件を満たす専用スタジアムの建設を行うことが発表される。

観客動員数

県内にビッグクラブ鹿島アントラーズを抱えるという事情、また予算面、選手流出などもあり、
観客動員はJ2昇格以来、常にJリーグ最少レベルと言われていた。

その観客動員数の少なさはNHKの特番にて紹介されたこともある。
悪意のある取り上げ方ではなく、最下位脱出のための懸命な努紹介していた)

2002年に存続危機を迎えるが、観客の前年8割増に成功し、ひとまず存続問題は落ち着く。

2010年FC岐阜を抑えて観客動員最下位を脱出する。しかし、これはFC岐阜が本拠地の修により収容人数わずか3,600人弱のスタジアムをに使用していたためだった。

その後は地な努が実を結びつつあり、2013年には初めて均観客動員数が4000人台に乗り(4630人)、下に7つのクラブを従えるなど、不名誉な称号を返上しつつある。

2019年には揮を執った長谷部監督希望もあり「#1万人でGOJ1」のキャッチフレーズの元大幅な増員プロジェクトを実施。1万人をターゲットとした2試合はいずれもわずかに届かなかったものの初めて均観客動員数が6000人台(6087人)に到達した。

水戸ちゃんさん

2003年以降前田秀樹監督を迎え、水戸ナチオと呼ばれる堅固な守備を敷くことで
ある意味キャラクターが立ち、(2003年には後に日本代表となる田中マルクス闘莉王も在籍)
内外のサッカーフリークから「水戸ちゃん」と呼ばれされることになる。
2007年には将来を見据えた攻撃的戦術へと転換、2008年になって前田体制を刷新するが
いまだに「水戸水戸ナチオ」というイメージは浸透している。
2011年からはDFWの第一人者?で「師匠」とも呼ばれる鈴木隆行日立市出身)が加入し、
ますますされキャラ度合いが加速している。
師匠の名誉のために記すが、2013シーズンは年間12得点というキャリアハイ数字を残している)

先述したとおり他チームサポに特にされており(これはくれぐれも「お得意さん」という意味ではない)
かつて関東アウェーで有志が勝手に開催していた「納涼漢祭り」には多くの他チームサポも集っていた。

後述する関連動画にもあるが、マミさんのテーマホーム終戦BGMに使われたり、
サポーターが戯れに作ったフィギュアexitがきっかけで「ガールズ&パンツァー」とのコラボイベントexitを開いたり、
(※「○○の日」「○○町の日」と題してイベントをすることは他のクラブでもままあることだが)
果てはそれが縁でバンダイビジュアルがスポンサーになったりexitと、近年は別方面でもおいしいネタを振りまきつつある(バンダイビジュアルだが名義はガールズ&パンツァー製作委員会
近年FC岐阜東京Vとはガルパンが縁でアニメ×サッカーコンセプトにした「アニ×サカ!!」を共に開催していた。
ちなみに作品の舞台である大洗町2017年ホームタウンに追加されている。

また、「水戸ちゃん」は水戸より順位が上のチームが使い、水戸より下位のチームは「水戸さん」を使うのが通例と言われているが実際は水戸ちゃんの称が全に定着している。余談だが、意外にも?シーズン最下位を経験したことがない。また、ザスパクサツ群馬栃木SCの昇格でスタートした「北関東ダービー」に滅法強く、2009年以降5年間で4度も優勝している。

水戸立葵警察

知名度の問題なのかなんなのか、伝統的に良く名前を間違えられる。かつてチアのお姉さんたちの掲げたプラカードが「水戸ホーリーホクッ」になっていたあたりがネタの発端なのだがその後も各種媒体で日常的にホーリーホークだのホーリンホックだの誤植され、あげくは「三戸ホーリーホック」などと書かれる始末。もう(茨城ですら)ないじゃん…。

ネット上でチーム名を間違えると水戸警察が来るぞ!気をつけろ!

現在の所属選手

背番号 Pos. 選手名 生年 加入年 前所属 備考
- 監督 濱崎芳己 1974.5.16 2023 水戸ホーリーホック コーチ
1 GK 本間 1977.4.27 1999 浦和レッズ
2 DF 後藤田 1999.5.15 2022 青山学院大学
3 DF 大崎 1998.6.30 2021 大阪体育大学
4 DF 山田奈央 2002.11.18 2021 浦和レッズユー
5 DF 楠本(C) 1995.12.10 2022 レノファ山口FC
6 MF 1999.6.29 2022 中央大学
7 MF 新井 1998.4.12 2024 セレッソ大阪
8 MF 落合 1999.5.13 2024 柏レイソル 【レ】
9 FW 安藤瑞希 1999.7.19 2021 FC町田ゼルビア
10 MF 前田椋介 1998.3.2 2022 テゲバジャーロ宮崎
11 FW 草野侑己 1996.7.21 2023 FC琉球
13 MF 野瀬 2000.2.8 2024 ギラヴァンツ北九州
14 MF 杉浦文哉 1999.9.23 2022 明治大学
15 MF 長尾優斗 2001.8.31 2024 関西学院大学 【卒】
16 DF 起也 2001.5.10 2024 いわてグルージャ盛岡 【卒】
18 DF 尾野優日 2005.11.26 2024 日本大学藤沢高校 【卒】
19 FW 村田航一 1996.9.6 2019 明治大学
20 FW 梅田魅人 1997.5.15 2022 テゲバジャーロ宮崎
21 GK 松原修平 1992.8.11 2024 北海道コンサドーレ札幌
22 FW 久保征一郎 2001.6.22 2024 法政大学 【卒】
23 MF 甲田英 2003.10.2 2024 東京ヴェルディ 【レ】
24 MF 希一 2001.10.2 2024 中央大学 【卒】
27 DF 沖田 2002.9.5 2024 筑波大学(在学中) 【特】
30 FW 2001.11.7 2023 仙台大学 【卒】
32 MF 明日 2005.7.27 2024 大津高校 【卒】
33 DF 澤健 2001.4.11 2024 中央大学 【卒】
35 DF 飯泉 1995.12.28 2024 ガイナーレ鳥取
38 MF 斎藤俊輔 2005.4.26 2024 学園高校 【卒】
41 GK 中山開帆 1993.1.11 2020 ギラヴァンツ北九州
42 DF 石井 2001.7.6 2024 中央大学 【卒】
45 FW 寺沼 2001.3.8 2022 横浜大学
49 FW 内田優晟 2004.11.19 2023 水戸ホーリーホックユー 【H】
55 GK 春名 2004.5.1 2023 セレッソ大阪U-18
77 MF 井上 2001.1.18 2023 東洋大学
88 DF 長井一真 1998.11.2 2023 京都サンガF.C.

※備考欄は【】=全移籍での加入、【レ】=レンタル移籍での加入、【復】=レンタル先からの復帰、【新】=新任の監督、【昇】=トップチーム昇格、【卒】=新卒での加入、【特】=特別定選手、【2】=2種登録、【H】=ホームグロウン選手

過去に所属したおもな選手

歴代監督

監督 在任期間 備考
中野雄二 1997年 プリマハムFC時代から在任
三浦俊也 1998年
二宮 1999年 ・新JFL参入(1999年)
J2昇格(1999年)
バビチ・ブランコ 2000年
小林 2001年2001年7月
菅野 2001年7月2002年
前田秀樹 2003年2007年
木山 2008年2010年
哲二 2011年2015年6月
西ヶ 2015年6月2017年
長谷部茂利 2018年2019年
秋葉 2020年2022年
濱崎芳己 2023年

関連動画

関連コミュニティ・チャンネル

関連リンク

関連項目

脚注

  1. *クラブJリーグ公式ではFC水戸が直系の体となっているが、プリマハムFCの持っていた旧JFLの参加資格を承継するために、形式的にFC水戸が吸収された形を取っており、クラブ組織としての前身がFC水戸であるのに対し、その下であるトップチームの前身はプリマハムFCと解釈されている。
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最終更新:2024/03/28(木) 17:00

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最終更新:2024/03/28(木) 17:00

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