池沼(ちしょう、いけぬま)とは、
池沼は主に2ちゃんねる界隈で使われている、知的障害(者/児)を意味する単語であり、発祥もそのあたりとされている。
知的障害(者)(ちてきしょうがい(しゃ)) → 知障(ちしょう) → 池沼(ちしょう、いけぬま)
元々「知的障害者」の略語である、「知障(ちしょう)」という単語はインターネット普及以前から使われていたが、通常のパソコンで「ちしょう」で文字変換しても蔑称は変換候補に出てこずに、「池沼(ちしょう)」の文字が一番上に出てきた。そのため、2ちゃんねるでは「池沼」という漢字で「知的障害者」を意味して使われていた。
確認できるだけでも2003年の2ちゃんねるでは当たり前のように使われている。
とはいえ、この池沼という言葉は単に知的障害(者/児)を指すのではなく、知障という非公式な略称から派生している関係で甚だ侮蔑的な意味合いを含んでいる。また、人によっては特に周囲に迷惑をかけるタチの悪い知的障害者を指す言葉として用いる向きもある。つまり、池沼=タチの悪い知的障害者(児)、知障=そうでない知的障害者といった具合である(ただし知障の方も俗悪な意味合いが幾分(あるいは多分に)含まれている)。
だが、語としての成熟(社会的合意による語義成立)を俟たずして流行的に広まるネット用語の常として、決してこうした使い分けが一般的なわけではなく、また含まれる侮蔑の度合いや語に対する意識も個人によって千差万別である点には留意しておきたい。まあ卑語である以上、いずれも現実では大っぴらに口にするべきではないが。
また、転じて主にネット上で一般的な社会常識・倫理から著しく外れたことを行う者や、話が全く噛み合わない議論の相手を指して侮蔑的に投げ掛けられる呼称でもある。
その定義は知的障害者そのものを指すケースよりも、「コミュニケーション障害(主に精神面を原因とするもの)」や、対人関係に問題は起きていない者であっても特定の行動様式が一般常識から見て相当逸脱していると見受けられる者(天然ボケ、極めて強いクセのある者、話し方がたどたどしい等)を指す言葉として使われるケースの方がより多く、本来の意味の「知的障害」とはかけ離れた意味合いかつ侮蔑の念が強い言葉となっている。
馬鹿や阿呆などよりは明確に軽侮・逸脱の度合いが強く、人口に膾炙して印象の薄れた基地外に代わって近年頻繁に用いられるようになった。ただし、この意味で使う場合には、話者が(本義である)知的障害者(児)に対し俗悪な偏見を抱いていたり、社会に溶け込みにくい(行動様式的に)マイノリティな者を排除する思想を持つ人物であるかのように捉えられてしまう可能性が多分にあるため、やはり口外(ネット上で書き込みすることを含む)することは好ましくない。
「池沼」という言葉が現在においても、(差別を以て)頻繁に使われる背景には、「適切な教育を得ずに育った知的障害者による傍若無人な振る舞い、他者への加害行為」「障害者である事を理由に、加害行為をうやむやにし、無責任な対処を取る保護者/社会」「自立支援を怠り、保護・監督をせず放置する親/社会」「知的障害に対する社会的理解の乏しさ、それに起因する社会福祉の薄さ」が存在している事が考えられる。
実際、知的障害者(児)の加害行為をテーマとしたスレでは、そのような報告例が膨大な数存在し、またそのような場では「池沼」という言葉が当たり前のように使われている。
何も知らない厨房が、差別感情を以て池沼と呼んで馬鹿にする、というのは想像しやすいケースだが、これらの事から実際には知的障害者(児)の傍若無人な振る舞いによって、怪我や心のキズを負ったり、場合によってはトラウマを抱えた事で差別感情が芽生え、池沼と呼んで嫌悪する、という場合もかなりの数存在している事が分かる。だが例え加害者が健常者だったとしても、健常者全体を責められることはない。一個人の加害行為と障害者全体を同一視する行動は「森を見て木を見ない」愚行であると言える。
また、「知的障害者(児)は責任能力がない為、罪を犯しても殆どが無罪になる」という認識や、それに対する憤りなども随所で見られ、こういった事も背景として存在すると考えられる。(※当然、有罪になるケースは存在する)
ただし、知的障害者(児)は原則的に脳機能の一部に損傷が起きていることが原因と考えられることから、その傍若無人な振る舞いが不適切な教育に起因するとは言い切れず(そもそもミラーニューロンの働きが弱いと、その傍若無人な振る舞いが他者に与える影響を理解すること自体が難しく、知的障害者であるほどそうである可能性が高い)、生まれつきかつ治らない症状である可能性も多分に含まれている。
それらの行動の全てを「甘やかしが原因」と決め付けるのもまた健常者側から見た「偏見」であると言え、その線引きは難しいが、甘やかしや躾云々に関しては親/社会の態度を見ればある程度わかることなので、そういった親/社会の態度に悪いイメージを抱いていることも原因のひとつであると言えるだろう。
同義語として「てんす」がある。これは、知的障害者(児)の親が我が子可愛さのあまり「天使」という表現を用いた為。知的障害者(児)の口調を揶揄したものと思われる。
泥沼とは別のものであるが、池沼の印象に幾らか影響を与えている可能性もある。
1049 : ななしのよっしん :2015/08/28(金) 08:45:01 ID: 2jgxElXEWC
中学の時隣のクラスの障害者の子が暴力系のいじめを受けてて
親は差別、区別とかそういう次元じゃなく、子供の安全のために
そういうクラスとか学校に入れてあげたほうがいいと思うあと正月に初詣行った時に前を歩いてる障害者の子を親らしきおばさんが
何が気に入らないのかこっちがドン引きするくらいバシバシ叩いてて本当に可哀想だと思った
数年前の出来事だけど正月が来るたびに思い出すよ…
だけどこれは「もし自分の子供が障害者だったらどうするか」について真剣に考えるきっかけになった1053 : ななしのよっしん :2016/02/19(金) 15:48:09 ID: XanqzF+AaE
>1049
知的障害者の子供を「天使ちゃん」なんて呼んだりするように障害児を持つ親は大抵現実逃避が激しく精神的に不安定であることが多い。
介護疲れなんかと同じで障害児の面倒を見るのがストレス溜まるっていうのはどうにもならんからそれこそ施設に預けるでもしない限りは人間必ずどこかしらで限界が来てそうなる。
高齢者の介護疲れと全く同様、障害児の補助がストレスになるというのはどうしようも無いことだし、そして人間誰しもストレスに耐えられる量には限りがあるためそれが長期的に続けばいずれかならず限界がやってくる。
障害者虐待とは一部のおかしな人だけが行うわけではなく誰しも当たり前にそうなり得るのである。
なお「補助疲れ」と「差別」は別問題である。例え「介護疲れしていた」としても、それが「差別して良い理由」にはならない。上記引用はネット上における極一部の意見を切り取ったものだと、留意されたい。
知的障害は個人差があり、障害者個々で状況が異なる。特別支援学校か普通学校(インクルーシブ教育)かの進学選択は、当事者個々の状況で異なることも明記しておく。
上記のようにそもそもこの言葉自体あまり好ましくないものだが、もしどうしても使いたい場合には、あくまで匿名性の高いネット上だからこそ普及している言葉であることを忘れてはいけない。
万が一真面目なフォーラムや現実で「うはwwあいつマジ池沼www」などと口走ったりすれば、常識や倫理を疑われるのはあなた自身ということになるだろう。
ちなみにWikipediaでは「差別的な用語であり、2ちゃんねるでしか通用しない言葉である」として削除されている経緯がある。(現在は「池」にリダイレクトされている)1
掲示板
1118 ななしのよっしん
2023/04/27(木) 10:29:30 ID: EPZYF9u++O
最近「沼る」は差別用語だから使うな
みたいなのツイッターで見たんだけど、もしかしてこの池沼って言葉と由来が同じだと勘違いされてそう言われてるんか…?
沼るって普通に底なし沼とかから来てるワードだよな?
1119 ななしのよっしん
2024/03/09(土) 14:24:22 ID: iRTWM5542k
1120 ななしのよっしん
2024/04/22(月) 22:51:40 ID: +b3va/d1hG
”カメラ沼”とか”フィギュア沼”とか
「一度ハマったらどんどんハマっていって抜け出せない趣味」
という意味の”沼”は”池沼(知的障碍者)”とは無関係に昔からあったネットスラングで、
それが動詞化したのが”沼る”だよね
急上昇ワード改
最終更新:2025/01/19(日) 16:00
最終更新:2025/01/19(日) 16:00
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