池沼 単語

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チショウ

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池沼(ちしょう、いけぬま)とは、

  1. のこと。本項では特に言及しない。本来の意味はこれ。
  2. 知的障害(者/児)を意味するネット上の卑に個別の知的障害者(児)をし嫌悪や軽蔑を交えて用いられる。
  3. 2 から転じて、常識倫理論理等のい者をして言うネット上の卑称。やはり個別の嫌悪や軽蔑を含む。

概要

池沼は2ちゃんねるで使われている、知的障害(者/児)を意味する単であり、発祥もそのあたりとされている。

 知的障害(者)(ちてきしょうがい(しゃ)) → 知障(ちしょう) → 池沼(ちしょう、いけぬま)

元々「知的障害者」の略語である、「知障(ちしょう)」という単インターネット普及以前から使われていたが、通常のパソコンで「ちしょう」で文字変換しても蔑称は変換補に出てこずに、「池沼(ちしょう)」の文字が一番上に出てきた。そのため、2ちゃんねるでは「池沼」という漢字で「知的障害者」を意味して使われていた。
確認できるだけでも2003年2ちゃんねるでは当たり前のように使われている。

とはいえ、この池沼という言葉は単に知的障害(者/児)すのではなく、知障という非公式略称から生している関係で甚だ侮蔑的な意味合いを含んでいる。また、人によっては特に周囲に迷惑をかけるタチの悪い知的障害者をす言葉として用いる向きもある。つまり、池沼=タチの悪い知的障害者(児)、知障=そうでない知的障害者といった具合である(ただし知障の方も俗悪な意味合いが幾分(あるいは多分に)含まれている)。

だが、としての成熟(社会的合意による義成立)を俟たずして流行的に広まるネットの常として、決してこうした使い分けが一般的なわけではなく、また含まれる侮蔑の度合いやに対する意識も個人によって千差万別である点には留意しておきたい。まあ卑である以上、いずれも現実では大っぴらに口にするべきではないが。

また、転じてネット上で一般的な社会常識倫理から著しく外れたことを行う者や、話が全く噛み合わない議論の相手をして侮蔑的に投げ掛けられる呼称でもある。
その定義は知的障害者そのものをケースよりも、「コミュニケーション障害に精面を原因とするもの)」や、対人関係に問題は起きていない者であっても特定行動様式が一般常識から見て相当逸脱していると見受けられる者(天然ボケ、極めて強いクセのある者、話し方がたどたどしい等)をす言葉として使われるケースの方がより多く、本来の意味の「知的障害」とはかけ離れた意味合いかつ侮蔑の念が強い言葉となっている。

馬鹿阿呆などよりは明確に軽侮・逸脱の度合いが強く、人口に膾して印の薄れた基地外に代わって近年頻繁に用いられるようになった。ただし、この意味で使う場合には、話者が(本義である)知的障害者(児)に対し俗悪な偏見を抱いていたり、社会に溶け込みにくい(行動様式的に)マイノリティな者を排除する思想を持つ人物であるかのように捉えられてしまう可性が多分にあるため、やはり口外(ネット上で書き込みすることを含む)することは好ましくない。

実用の背景

「池沼」という言葉が現在においても、(差別を以て)頻繁に使われる背景には、「適切な教育を得ずに育った知的障害者による傍若人な振る舞い、他者への加行為」「障害者である事を理由に、加行為をうやむやにし、責任な対処を取る保護者社会」「自立支援を怠り、保護・監督をせず放置する社会」「知的障害に対する社会的理解の乏しさ、それに起因する社会の薄さ」が存在している事が考えられる。

実際、知的障害者(児)の加行為をテーマとしたスレでは、そのような報告例が膨大な数存在し、またそのような場では「池沼」という言葉が当たり前のように使われている。

何も知らない厨房が、差別感情を以て池沼と呼んで馬鹿にする、というのは想像しやすいケースだが、これらの事から実際には知的障害者(児)の傍若人な振る舞いによって、怪や心のキズを負ったり、場合によってはトラウマを抱えた事で差別感情が芽生え、池沼と呼んで嫌悪する、という場合もかなりの数存在している事が分かる。だが例え加害者が健常者だったとしても、健常者全体を責められることはない。一個人の加行為と障害者全体を同一視する行動は「を見て木を見ない」愚行であると言える。

また、「知的障害者(児)は責任がない為、罪を犯してもどが無罪になる」という認識や、それに対する憤りなども随所で見られ、こういった事も背景として存在すると考えられる。(※当然、有罪になるケースは存在する)

ただし、知的障害者(児)は原則的にの一部に損傷が起きていることが原因と考えられることから、その傍若人な振る舞いが不適切な教育に起因するとは言い切れず(そもそもミラーニューロンの働きが弱いと、その傍若人な振る舞いが他者に与えるを理解すること自体が難しく、知的障害者であるほどそうである可性が高い)、生まれつきかつ治らない症状である可性も多分に含まれている。
それらの行動の全てを「甘やかしが原因」と決め付けるのもまた健常者側から見た「偏見」であると言え、その線引きは難しいが、甘やかしや躾々に関しては社会の態度を見ればある程度わかることなので、そういった社会の態度に悪いイメージを抱いていることも原因のひとつであると言えるだろう。

同義として「てんす」がある。これは、知的障害者(児)のが子可さのあまり「天使」という表現を用いた為。知的障害者(児)の口調を揶揄したものと思われる。

泥沼とは別のものであるが、池沼の印に幾らかを与えている可性もある。

補助疲れの問題

1049 : ななしのよっしん2015/08/28() 08:45:01 ID: 2jgxElXEWC

中学の時隣のクラス障害者の子が暴力のいじめを受けてて
差別、区別とかそういう次元じゃなく、子供の安全のために
そういうクラスとか学校に入れてあげたほうがいいと思う

あと正月初詣行った時に前を歩いてる障害者の子をらしきおばさん
何が気に入らないのかこっちがドン引きするくらいバシバいてて本当に可哀想だと思った
数年前の出来事だけど正月が来るたびに思い出すよ…
だけどこれは「もし自分の子供障害者だったらどうするか」について真剣に考えるきっかけになった

1053 : ななしのよっしん2016/02/19() 15:48:09 ID: XanqzF+AaE
>1049
知的障害者の子供を「天使ちゃん」なんて呼んだりするように障害児を持つは大抵現実逃避しく精的に不安定であることが多い。
介護疲れなんかと同じで障害児の面倒を見るのがストレス溜まるっていうのはどうにもならんからそれこそ施設に預けるでもしない限りは人間必ずどこかしらで限界が来てそうなる。

高齢者の介護疲れと全く同様、障害児の補助がストレスになるというのはどうしようもいことだし、そして人間しもストレスに耐えられる量には限りがあるためそれが長期的に続けばいずれかならず限界がやってくる。

障害虐待とは一部のおかしな人だけが行うわけではなくしも当たり前にそうなり得るのである。

なお「補助疲れ」と「差別」は別問題である。例え「介護疲れしていた」としても、それが「差別して良い理由」にはならない。上記引用ネット上における極一部の意見を切り取ったものだと、留意されたい。

知的障害は個人差があり、障害者個々で状況が異なる。特別支援学校普通学校インクルーシブ教育)かの進学選択は、当事者個々の状況で異なることも明記しておく。

使用に際しての注意

上記のようにそもそもこの言葉自体あまり好ましくないものだが、もしどうしても使いたい場合には、あくまで匿名性の高いネット上だからこそ普及している言葉であることを忘れてはいけない。

万が一真フォーラム現実で「うはwwあいつマジ池沼www」などと口走ったりすれば、常識倫理を疑われるのはあなた自身ということになるだろう。

ちなみにWikipediaでは「差別的な用であり、2ちゃんねるでしか通用しない言葉である」として削除されている経緯がある。(現在は「池」にリダイレクトされている)1

関連項目

脚注

  1. ^ Wikipedia:削除依頼/池沼exit
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