泉和良(いずみかずよし) 1976年 9月 9日生まれ。香川県出身。東京在住。
小説家。ゲーム作家。ボカロP。
2007年 講談社BOX新人賞・流水大賞優秀賞を受賞し、小説家デビュー。
小説家としてデビューする前は、フリーゲームサークル「アンディーメンテ」を立ち上げ、ネット上で自作ゲームを公開していた。小説家になった2007年の暮れに、ジェバンニP名義でボカロPとしての活動も始める。
国立高等専門学校・高松高専情報制御工学科を3年次に中退。
帝京大学アメリカ・コロラド州ロレットハイツ校国際文化学科を1年次に中退。
大阪芸術大学音楽部音楽学科、卒業。
昔この記事が初めて書かれた際、泉和良本人によって、『不正確で面白いものにして欲しい』という要望があり、ファンの手によって、本当に不正確なネタ記事が作成され、それが長い間掲載され続けてきたが、さすがに何も知らない人に混乱を招き兼ねないという配慮から、改めて記事を書き直すことになったことを、ここに記す。ちなみに、当時の記事は以下に残しておく。
※この記事は本人によって不正確で面白いものにすることが推奨されています※
泉和良(Izumi Kazuyoshi、B.C.E.7721 - C.E.1976年 - C.E.2007 - 年)
観測可能な宇宙乙女座超銀河団局部銀河群天の川銀河オリオン腕太陽系第3惑星地球日本国長野県長野市在住のフリーゲーム作家、小説家。故人。本人は語らないが異星の民である事実はバレバレである。 パーマのかかったような特徴的な髪の毛をしている。泉和良の髪の毛は宇宙的意思の存在を感じ取り、それが正の方向に傾くほどストレートに、負の方向に傾けばアフロに近くなる。参照「izumi’s diary」1984:emamanah) 現在の髪型からすると今、宇宙のバランスは中庸であるらしい。しかし日によっては正、負の方向に大きく傾くこともあり、なお予断を許さない状況といえるだろう。
大出版社メガドード書房から出版されている「銀河ヒッチハイク・ガイド」最新版によれば彼の本当の出自は地球より8000万光年に位置する、惑星ルシファーこと通称魔王星であり、実の両親により地球に送り込まれ、現在の両親に拾われたとされる。彼の宇宙船の形状は四角柱で、各辺の比は1 : 4 : 9という最初の3つの整数の二乗ということから彼の出現がスーパーコンピュータ、ディープ・ソートによる750万年の計算の末に出した答え「>42」にたどり着く最後のピースとなったのは語るまでもあるまい。だが一方である学者達はこう唱える「彼は転生したのではない。彼はルシファーの小高い丘の坂道で、彼は彼のポケットからじぶんをおとしてしまったのだ」とも。
2007年、幼少の頃からの自らの師であり恋人でもあった神田さんの思いを受け継いぎ、泉・ダンカダンカ・知良という絶対的な存在へと生まれかわった。その瞬間、泉の気の放出量があまりにも膨大になったためにエネルギーが転移を起こし、地球より約100万光年離れた惑星「小粒星」はそこに生まれるはずであった幾億の知的生命とともに爆発四散してしまった。 その後、書かれたものがデビュー作となるエレGYである。
秋葉原のファミレスにおいて遊戯王というカードゲームをしていた際に体中に鎖を付けた怪人「ザ・クサリ」二人組みと出会うも、泉はデュエリストとしての才能をいかんなく発揮しこれを撃退することに成功する。 その後、このファミレスでは深夜まで「僕のターン!」と叫ぶ泉の声が響き続けていた。
同じフリーゲーム作家であるポーンさんとはいわゆるライバルという関係であり、互いに力を認め合っている。一時は自分の敵はポーンであると発言する、ニコ生のNGワードにポーンという単語を指定する、などポーン氏に対するツン的な行動が目立ったが、 後の放送ではポーン氏との仲睦まじげな様子を自慢げに語りポーン氏のファン(通称ポーン派)の怒りを買った。更にはポーン氏との合宿を計画しているとのことでポーン氏の貞操が危ぶまれている。
作家による合宿を試みるが、金銭面の問題により断念する。 現在プリモというしゃべる人形と同棲中。生放送中に背後から突然 プリモの声が聞こえることがある。 黒柳哲子と風雲たけし城が好き。過去の対戦結果は3勝2敗。
反スカイプ主義者であり、スカイプによるテレビ電話の際には断固として声を放たず、会話は原稿用紙に文字を書くことで成立させようとする。画面上では慌てるようなそぶりを見せているが、これは攻撃の矛先を自分に向けさせないための策であり、反スカイプ主義者用のコーランにもそのように記されている(113ページ)。この状態は、反スカイプ主義者でない文筆家から「難しい子だよ」と評されている。
今の世紀に移り変わる前後、映画「スタンドバイミー」のワンシーンである大地との性交渉を見事現実に成し遂げる。このことがきっかけで、一時止まっていた自転がふたたび動き出し、我々の心に愛という感情が生まれた。
2009年残暑、レインボーラインという一週間の苦行を自分で勝手に始め、自分で勝手に疲れきり、自分で勝手に成功を収める。その行為は誠に勝手ながら多くの人々を感動させた。勝手な人間である。
とてもファンが少ないです。
「カフカ―その物語構造における直線展開」
「良くわかる洗脳講座 妹を洗脳してあんなことやこんなことも」:出版差し止め
「チャHとはなにか?」
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ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
・カフカ直線
カフカに代表されるような純文学作品における物語展開の起伏の少ない構造を、シンデレラ曲線とは相反するという意味で、カフカ直線と表現し、その魅力を語っていた。
・なろう小説は、文学の死ではなく、ある種、古来の日本文学・芸能の回帰である
小説家になろうで起こった2010年代のいわゆるテンプレ型ストーリーについて、これは日本文学の死であるようにも見えるが、現代文学に有用視されるいわゆるシンデレラ曲線やハリウッドストーリーテイリング等の起承転結展開に限っては、実はこの数百年の欧米からの文学技法であり、それに影響を受け過ぎて、それが日本文学的だと思われている節があるが、そもそも日本の古来の竹取物語や源氏物語、あるいは和歌、あるいは能や浄瑠璃、歌舞伎などにいたっても、物語構造は非常に多様で、決してシンデレラ曲線のような一律のものに終始せず、また、古来より日本人は物語展開の構造よりも、キャラクターや設定・世界観を楽しむことの出来る嗜みを持っており、そういう意味では、なろうにおける物語構造を極限にシンプルにし、世界観や設定などを楽しむ姿勢はむしろ古典的とも言えるかもしれず、またテンプレという視点においても、これまた落語や歌舞伎などに代表されるように、同じ話・同じ構造の作品を、わずかに趣向を変えて表現し、その違いや趣向を楽しむことのできる感性を、大昔より日本人は持っていたはずなので、そういう意味においても、古くの日本文学的となろう小説をいうこともでき、それらの意味において、むしろなろう小説の現象は、古来の日本文学や古来の日本的芸能に回帰している、ということもでき、なにば日本文学が死んだのではなく、日本らしい進化・復活と言うこともできるだろう、と語っていた。
レツゴーはすべての始まり、そして、すべての終わり
「女の子は好きじゃないが、女の子の描くドリームは大好き」
「世の中には無償の愛なんてほとんどない。あるとすれば唯一、マッサージだけ」
「エッフェル塔はエロくない」
泉和良とは、まゆみ様です。
泉和良とは、じすさんです。
泉和良とは、痔です。
泉和良とは、イズミミズです。
泉和良とは、難しい子だよ。
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最終更新:2024/03/29(金) 09:00
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