泣いて馬謖を斬るとは、故事成語の一つである。「涙をふるって馬謖を斬る」とも。
西暦228年の「街亭の戦い」において、馬謖が犯した失態により蜀軍は大敗。この責任を取るため、馬謖は処刑されることとなるが、蜀の軍師てあり馬謖の師である諸葛亮は規律のためとはいえ、愛弟子である馬謖を処断してしまうことを嘆き、涙を流した。
このことから現代の日本では「どんなに優秀な者であっても、法や規律を曲げて責任を不問にすることがあってはいけない」という意味で使用されることが多い。
この出来事の詳細は馬謖の記事に詳しいだろう。彼の兄・馬良も「白眉」の逸話で知られており、兄弟揃って故事成語に名を残すこととなった。
『正史』の三国志と『三国志演義』では諸葛亮が涙を流した理由が違っており、正史は上記通りなのだが、演義では、かつての君主である劉備に「馬謖を重用してはならない」と遺言を遺されており、その言葉を守れなかった自身の不明を嘆いた。とされている。
なお、小説や漫画など多くの作品では、三国志演義をベースにする内容が多い中、この逸話は前者の正史の解釈をされることが多い。
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最終更新:2024/04/24(水) 21:00
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