浦上村宗 単語

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浦上村宗(うらがみ・むらむね ? ~ 1531)とは、備前の武将、戦国大名である。

概要

戦国時代初期における下克上武将のひとり

元々は赤松氏に仕える守護代であったが、君・赤松義村閉・暗殺して中の実権を握ったギリワン。ただ、斎藤道三織田信長のように本来の守護大名を追放することはなく、あくまで傀儡の君と守護代の地位を利用した「事実上の乗っ取り」にとどまった。その結果、傀儡だったはずの赤松晴政(当時は政)の逆襲の前に散る。

浦上政宗浦上宗景兄弟

生涯

村宗の登場まで

備前守護代・上氏の生まれ。上宗助。

この頃の上氏の系図や相続状況が混乱していて、よく分からない部分が多い。「嘉吉の乱」で一時滅亡状態だった君・赤松氏のおに活躍した上則宗1429-1502)が、宗以前は守護代を務めていた。一方で則宗の上則永は、嘉吉の乱の直後に一人で信濃に逃亡・行方不明になってしまった。その則永が備前に置き去りにした子供が宗助で、宗は孫にあたる。

まあ要はじいさん蒸発したせいで微妙な立場の宗だったが、則宗の系統が断絶したらしく、守護代の地位に就く。い手段を使ったのではあるまいな。

君の赤松氏はというと、おに成功した中の祖・赤松政則が1496年に亡くなり、婿養子の赤松義村が幼年(当時7歳?)で跡を継いでいた。実際の政治は政則の未亡人細川政元姉妹にあたる洞松院(とうしょういん)が後見している。この女性いろんな意味でかなりのツワモノなのだが…ここでは省略。「」の一字をもらっている点から見ても、宗が表舞台に立ちはじめたのはこの時期以降なのだろう。

この時代から宇喜多能家宇喜多直家の祖)が上氏の重臣として活躍している。

下克上

赤松義村を宿老二人(浦上村宗・小寺則職)&洞松院が支える、という形は20年ほど続くが、成人した義は自立した政治を執りたいと考え始める。そこで1518年、側近を重役に抜して宗たちの力を弱めようとしたが、あまりにもあからさまな方針に怒った宗は居・三石に引き籠ってストライキの構えをとった。

これを「粛清チャンス!」と見た義は三石を攻めるが、固い山の守備と宇喜多能家率いる反撃の前に手も足も出ない有様だった。1520年、逆に美作人・松田元陸と手を結んだ宗は、すっかり疲弊した赤松軍に対して一転攻勢ライバル小寺則職はこの時討死。そのままの勢いで播磨にまで進軍して、すっかりざめていた義脅迫、強制隠居に追い込んだ。こうして当時2歳の赤松晴政(義の子。政→政政。以後政で統一)を傀儡の当として擁立して、赤松の実権を一手に握ることに成功する。一連の行動には洞松院の支持もあったようだ。

諦めきれない義は翌1521年、護していた前将軍足利義澄の遺児(のちの12代将軍・足利義晴)を旗頭に掲げて反撃に出るも、宗の前にあっさり撃沈。このまま放置しておくのは危険と判断した宗は、義閉して義の身を確保した。そして遂にはを暗殺する。なおこの年、幕府管領・細川高国の要請により、義は上して征夷大将軍に就任している。

野望散る

とはいえ強引な手法には反発も多く、上一族の中にも上村のように赤松氏を支持する人間もいた。宗が赤松中最大の勢力を持っていたのは事実だが、かといって対抗勢力を全に駆逐できるほどの力があった訳でもなく、結果的に中途半端な状態になってしまった感は否めない。そのため、あくまで赤松晴政君に立てつつ実権を確保(そしていずれは…)という形式をとり続けるのだが、それが命取りになってしまった。

1527年ごろには畿内の情勢が変わって、細川高国が失脚の危機に立たされていた。高から救援要請を受けた宗は、播磨・摂津へ出兵する。もしこれで高が復権に成功すれば、今後は強力な後ろを得ることが出来る、と宗は考えていたのだろう。ただ敵方はなかなか手強く、宗は赤松からも援軍を出すように要請する。

これに政は快く応じて自ら兵を率いてやってくるが、全てはだった。良いように人形にされてきた政は、宗を排除する機会を狙い続けていたのだ。既に敵方とも内通していたのだが、宗はそれに全く気付かなかった。相当政の事を侮っていたようだ。

そして1531年、後詰としてやって来た赤松軍が裏切った事により、挟み撃ちにされた上軍は壊滅。宗は乱戦の中で討死した。高もまもなく自害する。(大物崩れ)

跡を継いだ浦上政宗はまだ幼く、一族重臣たちの後見を受けることになった。宗の死から3年後の1534年、忠臣・宇喜多能家島村盛実によって殺され、後々の上氏落の原因が生まれることになる。

を討った赤松晴政も、その後の尼子氏侵略の前に有効な対策をうてず、結局は奪われた権力を回復することは出来なかった。

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補足

信長の野望」(PCシリーズにおける浦上村宗の力一覧。

信長誕生(1534)以前に戦死している為、蒼天録のみ登場。それ以外の作品では政宗・宗兄弟父親として名前だけの登場にとどまっている。蒼天録では貫録のギリワン

軍事 内政
戦国群雄伝(S1) 戦闘 政治 魅力 野望
武将風雲録(S1) 戦闘 政治 魅力 野望 教養
覇王 采配 戦闘 智謀 政治 野望
天翔記 戦才 智才 政才 魅力 野望
将星 戦闘 智謀 政治
烈風 采配 戦闘 智謀 政治
世記 采配 智謀 政治 野望
蒼天録 統率 73 知略 77 政治 71
下創世 統率 知略 政治 教養
革新 統率 武勇 知略 政治
統率 武勇 知略 政治
創造 統率 武勇 知略 政治

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  • 1 ななしのよっしん

    2017/08/05(土) 23:47:49 ID: DmUh3dOLYe

    細川高国と組んだ際には、播磨をおおよそ制圧することに成功しているので、けっこう惜しいところまで行っている
    首尾よく上まで成功していれば、大内義興のように政権中枢に座ることもではなかった…といっても摂津着してしまう時点で、安定した政権を作るのは理があったかな
    とはいえ上氏が最もいていた時期であったのは間違いない

    上から一気に駆け上がり、因果応報ともいうべき寝返りで滅ぶという野心らしい生涯はもっと知られてもいい

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  • 2  

    2019/11/24(日) 08:29:16 ID: S4ZkR7RpXh

    嘉吉の乱以降、麗な復帰をしてその後も一蓮托生だった赤松も終わるときは残よなぁ

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