浪岡具永(なみおか・ともなが 1487?~1555?)とは、陸奥国の国人領主である。「北畠具永」とも
南北朝時代初期の南朝のエース・北畠顕家の直系の子孫である「浪岡御所」浪岡北畠家6代当主。浪岡氏のルーツについては浪岡顕義の項を参照の事。
彼の時代は浪岡氏の最盛期だった。既に津軽の半分は南部氏(とその配下についていた大浦氏)によって制圧されていたが、優れた内政・外交手腕を持って一定の勢力を維持した。次男の川原具信には断絶していた川原御所(本来は北畠顕家の弟・顕信の家系だった)を継がせるなどの拡大策も行っている。本拠・浪岡城は大永年間(1521~1527)に拡張工事が行われているが、これもまた彼の統治によるものと思われる(具体的に家督を譲った時期は不明)。
特に先祖の血が騒いだのか(※北畠氏は本来公家である)、積極的に上洛して朝廷と交渉を重ね、多くの官位を得ている。
ピンとこないかもしれないが、足利将軍が征夷大将軍に任じられる時点での官位が(大抵)左近衛中将である。当時の奥州の僻地でこれほど高い官職についている人物は浪岡氏以外に存在しない。威光に関しては桁違いだったのだ。そこら辺の自称○○守とは天と地の差である。
同時に子・具統や孫・具運も官位を授かっており、山科言継の日記「言継卿記」にも、浪岡氏の使者が任官の要請に来たことや、返礼を献上しに来た事が何度か記されている。
こうして津軽に一勢力を築き上げた浪岡具永であるが、そのための出費も当然凄まじいものであり、彼の没後、浪岡氏の凋落が始まっていく。
なお生没年に関しては諸説ある。生年に関しては1467年・1487年・1489年説が、没年に関しては1555年説・1562年説がある。
戦闘系はさすがに難があるが政治系はそこそこ。……だが戦闘能力も含めて浪岡歴代最強の男はこの人である。なんという絶望感。結構長生きするので寿命の限り頑張りたい。
生没年設定はコロコロ変わる。嵐世記は(1487-1541)、蒼天録は(1467-1541)、蒼天録PKは(1467-1562)、創造は(1487-1562)である。全部違うじゃねえか!!
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||
覇王伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | 野望 | - | ||||
天翔記 | 戦才 | - | 智才 | - | 政才 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||
将星録 | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||||
烈風伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||
嵐世記 | 采配 | 32 | 智謀 | 65 | 政治 | 77 | 野望 | 65 | ||||||
蒼天録 | 統率 | 38 | 知略 | 53 | 政治 | 67 | ||||||||
天下創世 | 統率 | - | 知略 | - | 政治 | - | 教養 | - | ||||||
革新 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||
天道 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||
創造 | 統率 | 48 | 武勇 | 48 | 知略 | 61 | 政治 | 64 |
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最終更新:2024/04/25(木) 08:00
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