浪岡具運(なみおか・ともかず 1532~1562)とは、陸奥国の国人領主、戦国大名である。「北畠具運」とも。
南北朝時代初期の南朝の若きスーパーチート・北畠顕家の子孫である「浪岡御所」こと浪岡北畠家8代当主。浪岡氏のルーツについては浪岡顕義の項を参照の事。
祖父の代から続く文化事業に力を注ぐも、叔父と対立し殺害される。これを機に、浪岡氏は一気に衰退の道を辿ることになる。
祖父・浪岡具永は浪岡氏の全盛時代を築いた文化人であった。そんな祖父・父の下で生まれ育った具運もまた、文化を好む都会系ボーイとして育っていた。具永の働きかけで、1552年に従五位下・式部大輔に任官される。
が、度重なる任官要請や寺社修復などで浪岡氏の財政状況は逼迫しつつあった。そんな中で1552年に父が、1555年に祖父が死去する。こうして具永の嫡孫である具運が名実ともに当主となるが、暗雲はもうすぐそこまで迫っていた。
この状況に不満を持っていたのが、叔父である「川原御所」こと川原具信だった。彼は祖父・浪岡具永の次男であるが、具永の勢力拡大策の一環として、浪岡城から浪岡川を越えた南方に館を構え(当時断絶していた分家)川原御所の名を復興させていた人物である。
だが、父が亡くなり未だ24歳と若年の甥が跡を継ぐと、独自の動きを見せ始め、本家と領地争いを起こしている。浪岡氏の家督継承も狙いだったといわれる。なにしろ兄は先に亡くなっているので、父の死去時に残った息子である自分が後継者となれる可能性もワンチャンあったのだ。が、そうはいかなかった。
1562年、遂に川原具信によって浪岡具運は暗殺されてしまう。世に言う「川原御所の乱」である。享年31。
この直後、具運の補佐役を務めていた弟・浪岡顕範が即座に反撃して、川原具信もまた目的を達することなく殺された。浪岡北畠家の家督は具運の遺児である浪岡顕村が継いだが、この時わずか8歳。顕範が後見人となって支えるのだが、最早この戦国乱世の中で、浪岡氏の衰退は避けようのない状況になってしまった。
祖父>父>具運。父も二流内政官といった感じの能力だが、それを更に下回る。暗殺された事もあって戦闘能力は壊滅的である。幸いな事に(?)マイナーゆえ川原御所の乱が再現されたことは無く、殺されずに生存する。叔父さんとも仲良くやっていきたい(裏切りやすい能力値だが)。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||
覇王伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | 野望 | - | ||||
天翔記 | 戦才 | - | 智才 | - | 政才 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||
将星録 | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||||
烈風伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||
嵐世記 | 采配 | 15 | 智謀 | 49 | 政治 | 35 | 野望 | 59 | ||||||
蒼天録 | 統率 | 17 | 知略 | 40 | 政治 | 42 | ||||||||
天下創世 | 統率 | - | 知略 | - | 政治 | - | 教養 | - | ||||||
革新 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||
天道 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||
創造 | 統率 | 35 | 武勇 | 31 | 知略 | 47 | 政治 | 44 |
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最終更新:2024/04/25(木) 16:00
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