漢文廃止論とは、主に教育において漢文を教える必要性があるか?という議論である。
漢字廃止論とは異なるが、明治期の論争では漢字廃止の一環として漢文教育の廃止が唱えられたこともあるため、完全に別物とは言えない。
この記事では古文については扱わず、漢文の廃止論のみについて扱う。古文も含む古典の不要論については「古典不要論」の記事参照。
日本史の一大転換期となった明治維新とその後の近代化の流れの中で、西洋知識の導入とともに旧弊とされたものは次々と姿を消していった。漢字並びに漢文も廃止すべき旧弊の一つとして挙げられ、漢字廃止論と漢文廃止論が盛んに議論された。明治期に出版された雑誌などでもその痕跡が確認できる。
この議論の結果として、日本語と漢字の研究の必要性が認識され、漢字の統廃合などが行われた。
とはいえ、これらの議論を経て、さらに戦後のGHQによる教育改革を経ても、2025年現在の日本では漢文の教育は続けられている。歴史的な漢文廃止論は様々な改革を教育界にもたらしてはいるが、その目標である漢文の廃止が完全に達せられることはなく、逆に自らが消え去ることになった。
毎年大学受験の季節になると、古典不要論が取りざたされるのが風物詩となっており、漢文も古典の一部としてその対象となる。しかし、この古典不要論は古文漢文両方が教育の場には不要であるという論であり、漢文のみを廃止しろという論は立ちにくい。
現代での漢文に限定した不要論としては、百田尚樹が以下のような意見を述べて教育からの漢文の廃止を訴えたことがある。
中国の尖閣諸島への“侵略”は日に日にエスカレートしています。ただし、意外かもしれませんが、尖閣周辺の東シナ海や南シナ海で暴れ回る中国に対峙しようという時に、もっとも弊害になっているのが日本人の「中国への漠然とした憧れ」です。
(略)
そもそも、なぜ学校で「漢文」の授業があるのか。英語と違って使う機会なんてないし、あれは趣味の世界だと思うんです。子供の頃から誰でも知っている「中国4000年」という言葉も、あの国への無意味な憧れを生んでいます。
(略)
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最終更新:2025/12/09(火) 10:00
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