牛田成樹(うしだ しげき、1981年12月6日-)とは、徳島県出身の元プロ野球選手(投手)である。
OB | |
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牛田成樹 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 徳島県小松島市 |
生年月日 | 1981年12月6日 |
身長 体重 |
188cm 89kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2003年ドラフト4巡目 |
引退 | 2013年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
2003年のドラフト4巡目で明治大学から横浜ベイスターズに入団した。背番号は35。
2004年7月28日のヤクルトスワローズ戦でデビューした。この年は2試合に登板した。
2006年は一軍に呼ばれると先発で7試合、中継ぎで21試合に登板。7月11日の読売ジャイアンツ戦にて8回2失点でプロ初勝利を挙げるなど、適正を模索しながら防御率2.98の好成績を残した。
2007年は急性大腸炎で入院し戦線離脱。9試合の登板に留まった。
2008年は右足首骨折で出遅れたが、8月に復帰。23試合に登板し、3ホールドを挙げた。
2009年は4試合の登板に留まった。オフに教育リーグで新型インフルエンザに感染と、数年間スペ体質を発症してなかなか結果を残せない年が続いた。
2010年、開幕一軍を掴むと開幕から9試合連続無失点など好投を続け、山口俊へ繋ぐセットアッパーとして奮闘。江尻慎太郎、真田裕貴、山口俊と4人で「クワトロS」と命名される。しかし好調ゆえに酷使状態に陥り、6月に右肩痛であえなく戦線離脱。9月にようやく戦線復帰し、復帰後も10試合でわずか1失点。最終的に41試合で2勝1敗23ホールド、防御率1.21という自己最高の成績を残した。
2011年は腰痛で開幕を二軍で迎えた。5月に一軍復帰するとセットアッパーとして好投するが、8月に入って打ち込まれる場面が増え二軍落ち。10月に復帰してからは安定した投球を見せ、最終的に前年を上回る45試合に登板し2勝1敗19ホールドを挙げたが、防御率は3.69と悪化した。
2012年はインフルエンザに罹り2年連続で開幕を二軍で迎えた。6月16日に一軍昇格、6月18日の北海道日本ハムファイターズ戦で6回から登板するがいきなり中田翔にホームランを浴び、同月27日の東京ヤクルトスワローズ戦では2回4失点と炎上し二軍降格。その後の一軍昇格はなくわずか5試合の登板で防御率は6.43に終わった。
2013年は二軍で21試合に登板して1勝2敗、防御率2.33の成績を収めるも一軍に呼ばれることはなく、10月3日に球団から戦力外通告が発表され、現役を引退した。
2015年に徳島インディゴソックスに投手コーチとして入団。2年間コーチを務めた。
2019年、古巣のDeNAでベースボールアカデミーのコーチに就任。
2020年から2021年までDeNAのファーム投手コーチを務めた。
長身から投げ下ろすストレートと、カウント用と空振りを取る用の2種類のフォークが武器のフォークピッチャー。2種類のフォークといってもNG川ではない。
愛称は「牛くん」。大学時代から練習熱心で、夜に寮を抜け出して坂道ダッシュをするのを日課にしていたが、その坂が女子高に面していたため何度も警察に職務質問される羽目になったとかなんとか。
趣味と特技は阿波踊りで、踊るために毎年帰省している。お立ち台で披露したことも。
通算:9年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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NPB | 159 | 7 | 0 | 0 | 9 | 7 | 0 | 46 | .563 | 233.0 | 86 | 277 | 91 | 84 | 3.24 |
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最終更新:2024/03/30(土) 06:00
最終更新:2024/03/30(土) 06:00
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