なお読みは同じなのだが、牧方、牧ノ方などと表記にぶれが多く、あくまでも一般的な牧の方表記で立項する。
牧宗親の娘で北条時政の妻。なお、同時代に近い『愚管抄』によると牧宗親の娘なのだが、後世の『吾妻鏡』には牧宗親の兄弟と記録されたために、彼の妹とされることも多い。また、学会の西と東の対立が若干ありはするのだが、基本的には藤原道隆の子孫で平忠盛の後妻・池禅尼が叔母、平頼盛がいとことされる。
北条時政の後妻で、京都の貴族の出であることから、彼の京都とのパイプになった存在。少なくとも北条政範、北条時綱、平賀朝雅妻、宇都宮頼綱妻等が、彼女の子供である。
その最初の出番が、かの有名な源頼朝の浮気騒動・亀の前事件である。つまり、源頼朝が伏見広綱の家で亀の前と浮気していることを、牧の方が北条政子にチクったのである(なお、公家はともかく武家に側室という制度はまだこの頃はあまりないことは忘れてはいけない)。北条政子は彼女の父(『吾妻鏡』作中では兄弟)の牧宗親に命じて伏見広綱の家を破壊し、この報復に源頼朝が牧宗親の髪を切って辱めた、というのがこの事件のあらすじである。
なお、当然ながら、この事件をそのまま史実とみなす立場と、なんらかの文学的表現とみなす立場の2つあることは断っておく。特に、『吾妻鏡』と違って牧宗親が東国にいた同時代記録がないため別の人物と間違われたのではないか、などとも言われており、地味に謎の多い事件である。
その後、北条時政とともに娘婿の源頼朝との儀礼や、京都の公家とのネットワーク形成などが描かれるが、次の大きな出番は娘婿・平賀朝雅の訴えてきた、畠山重忠父子の謀反を北条時政に讒言し、彼らを滅ぼさせた畠山重忠の乱である。ところが、これが平賀朝雅と北条政範を擁立しようとした陰謀であることが露見し、源実朝、北条政子、北条義時らが北条時政・牧の方らから離反。北条時政と共に幕府から追い落とされた。
その後は安貞元年(1227年)に北条時政の十三年忌供養を行ったことくらいしかよくわからない。
掲示板
8 ななしのよっしん
2022/09/17(土) 13:12:31 ID: UFCJZuc4Fr
『鎌倉殿の13人』だと後妻打ちの頃はまだ半分ギャグだったとはいえ
「その後も思い付いた事が想定以上にやばくなる」うえに
「自分が直接手を下すわけじゃないから残酷な事も言える」事が
「りく>それ以外の全て」な時政と最悪の組み合わせになってるなあ。
9 ななしのよっしん
2022/10/03(月) 00:01:42 ID: BZxW+KcXjP
>>7
見事な悪女演技だったよな ある意味鎌倉殿の13人の女性陣で一番輝いてた
あれだけ好き放題やって一応息子の死や夫婦共々追放という報いは受けたけどなんだかんだ念願の京に戻って贅沢に暮らしたってのがこの悪女らしいというかなんというか
10 ななしのよっしん
2022/10/09(日) 12:47:02 ID: UFCJZuc4Fr
鎌倉殿では最後まで当代屈指の悪女をやりきったなあ。
そして、他のキャラ同様「人は一面だけではない」事を
「政子たちとのやりとり」や「のえへのアドバイス」で見せることで
強欲さだけでなく北条家への思いや誇りも本物だったというのも良い塩梅だった。
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最終更新:2025/04/21(月) 13:00
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