牧野アンナとは、ダウン症児者のためのエンターテイメントスクール「LOVE JUNX」の代表であり、AKB48・SKE48・SDN48などのアイドルグループの振付師であり、VISION FACTORY所属タレントのダンスコーチとして活動している人物である。
かつては、「Love Song 探して」を歌っていたアイドル歌手であったり、ドラゴンクエストⅡに登場するペルポイの歌姫であったり、SUPER MONKEY'Sのメンバー(初代リーダー)でもあったり、沖縄アクターズスクールのチーフインストラクターでもあったりもした。
1971年12月4日生まれ。本名は松川アンナ(旧姓は牧野)。東京生まれであるが、1歳のときに沖縄に移住した沖縄育ち。血液型はB型。
父は沖縄アクターズスクールの開設者・マキノ正幸、祖母は女優・轟夕起子、祖父は時代劇や任侠映画など260本もの映画を撮った有名な映画監督・マキノ雅弘、曾祖父は日本映画の父・マキノ省三という、いわゆる芸能一家・マキノ家[1]の一人として生まれた芸能サラブレッドである。ちなみに、俳優の長門裕之・津川雅彦兄弟は、牧野アンナの父親のいとこである。
11歳の時、父親が沖縄アクターズスクールを開校。そのとき、母親の勧めによって同校の一期生生徒として入学する。最初は、人見知りを直すためという名目で嫌々ダンスをやらされていたものの、徐々にダンスの楽しさに目覚めていくようになり、芸能人デビューへの夢を膨らませていく。しかし父親からは、才能がないから無理だと言われ、反対されてしまう。
14歳の時、アクターズスクールの仲間がデビューしたことで芸能界への想いはいっそう大きくなり、父親に無理を言って単身上京し、デビューを目指していくつかオーディションを受け始める。上京中は、父親のいとこである俳優・津川雅彦の家に居候させてもらい、ジャズダンス、日本舞踊、タップなどのレッスンにも通わせてもらっていた。
それからおよそ1年後の15歳の時、ついに渡辺プロダクションからアイドルとしてのデビューを果たす。デビュー曲である「Love Song 探して」は、ファミコンのゲーム「ドラゴンクエストII 悪霊の神々」の復活の呪文入力時のBGMに使われており、そこそこの売り上げを見せ、このゲームのタイアップ効果はドラクエシリーズが人気になるとともに高まり、今も知名度が高く人気の楽曲となっている。
けれども、2作目としてリリースしたレコードはほとんど売れず、結局アイドルとしてブレイクすることなく、活動期間わずか2年ほどでアイドル活動を終了。父親が引き取る形で沖縄アクターズスクールに戻り、スクールのインストラクターをすることになる。しかし、この挫折を経ても、アイドルへの未練を断ち切ることはできずにいた。
そして20歳の時、自分が指導してきた当時のアクターズスクールの後輩である安室奈美恵、沢詩奈々子(後のMAXのメンバー・Nana)、天久美奈子(後のMAXのメンバー・Mina)、新垣寿子(現在AKB48の振付師の一人)とともにアイドルグループ「SUPER MONKEY'S」を結成し、再度アイドルとしてデビューをする。このグループでは最年長だったこともあって、グループのリーダーも務めた。
しかし、才能を見いだされ授業料無料の特待生としてスカウトされたという安室奈美恵の圧倒的なカリスマを間近で見て、自分自身と比較していくうちに、アイドルとしての活動に限界を感じるようになり、わずか半年でSUPER MONKEY'Sから脱退。同時にアイドルからも引退した。
アイドル引退後は、沖縄アクターズスクールで本格的に指導者としての活動を始める。チーフインストラクターに就任し、校長である父・マキノ正幸とは親子と言うよりも師匠と弟子のような関係になり、次第に指導に関する全てを任されるようになる。
ここで、牧野アンナの才能は本格的に開花し始める。多くのタレントを育て、SPEEDやDA PUMPなどの大人気のトップスターを輩出。沖縄アクターズスクールブームとも呼ばれる一つの黄金時代を築き上げる原動力となった。そして、スクールが注目される中、裏方であった牧野アンナも「あのトップスター達を育てた指導者」として注目されるようになっていく。
しかし、注目されたことで徐々に意識も変化していき、日々プレッシャーも大きくなる中で、だんだんと厳しく怖い顔をした指導者になっていき、その様子は生徒たちも委縮してしまう程にまでなっていく。
30歳の頃、過剰に厳しいレッスンを続けていた最中のスクール内発表会で、その内容を見たマキノ正幸から厳しい叱責を受け、同時に不満がたまっていた生徒からも怒りの矛先を向けられてしまう。この時、それが間違った指導であったことを認めて生徒たち全員に謝罪し、失意の中で横浜のアクターズスクールに左遷されることになる。
一時は芸能の世界から身を引くことまで考えたが、横浜校で再び自分を見つめ直しつつ指導を再開していた頃、日本ダウン症協会からダンスライブのためのレッスンを依頼される。その時、ダウン症児者にダンス指導を行ない、そこでのダウン症児者のあまりの楽しそうな反応に新鮮さを覚え、ダンス指導に今までにない楽しみを感じたという。
これがきっかけとなり、沖縄アクターズスクールを辞職し、ダウン症児者のためのエンターテイメントスクール「LOVE JUNX」を立ち上げる。これ以降、LOVE JUNXの代表としてイベント・社会貢献活動なども行ないながら、チーフインストラクターとしてダウン症児者にダンス指導を行なうようになった。
2008年からは、LOVE JUNXの活動も行ないながら、VISION FACTORY所属のタレントを中心に、スター育成の活動も再開する。そしてこの頃、振付師としての活動も開始する。
2008年春夏期のNHKの連続テレビ小説「瞳」のダンス指導・振付を担当し、それが終わるとアイドルグループ・AKB48の劇場公演・楽曲の振付に関わり始める。さらに、そのAKB48の姉妹プロジェクトであるSKE48・SDN48に関しては、立ち上げの段階からダンス指導に深くかかわり、同様に劇場公演・楽曲の振り付けを担当することとなる。
2010年、LOVE JUNXでの活動が縁で知り合ったダンスチーム「琉球の風なの?」のぱお氏と結婚した。
2012年1月、第一子を妊娠したことを発表し、それに伴って振付師としての活動を休止することを発表した。LOVE JUNXの活動やタレント育成の仕事は今後もできるかぎり続けていく予定である。
概要でも少しだけ触れたように、デビュー曲「Love Song 探して」は、ファミコンのゲーム「ドラゴンクエストII」の復活の呪文入力時のBGMに使用されているのだが、牧野アンナはこのドラゴンクエストIIにおいて、なんとゲーム内のキャラクターとしても登場するのである。
ゲーム内のペルポイという街の中に、ペルポイの歌姫・アンナというキャラクターがおり、このキャラクターに話しかけると、
ようこそ ペルポイのまちに。
わたしは まちのうたひめアンナです。
あなたにうたをきかせましょう。
と語り出し、BGMが「Love Song 探して」に変わるという演出があった。
これは、アポロン音楽工業から発売されたこのゲームのサウンドトラック「ドラゴンクエストの世界 ドラゴンクエストⅡ ‐悪霊の神々‐」との連動企画として開催されていた「アンナを探せ!キャンペーン」によるものであり、付属の応募券とゲーム中のアンナの画面写真を送ると豪華景品[2]がもらえるという企画であった。
残念ながら、このアンナがペルポイの街に登場するのはファミコン版だけであり、その後の全てのリメイク版では登場しない。これは、アンナがキャンペーンのためのキャラクターであることが影響していると思われる。
ちなみに、全てのドラゴンクエストシリーズの世界の中で、現実世界の人物が登場したのは、これが唯一のケースである。
▼ファミコン版DQ2のペルポイの街の様子。 下の動画の5:38あたり以降を参照。 |
▼キャンペーンが行なわれたサウンドトラックCD。 もちろん、現在はキャンペーンは行なわれていない。 |
一度目のアイドル活動時にリリースされたシングル曲は、以下の2作品である(アルバムは一枚もリリースされていない)。
No. | 発売日 | シングルA面 | シングルB面 | オリコン |
---|---|---|---|---|
1st | 1987年1月21日 | Love Song 探して | Heart |
最高位33位 |
2nd | 1987年4月21日 | 瞳は元気なブルースカイ | 夏の日のAfter Scool |
最高位43位 |
これらのシングル曲は、レコードとカセットテープで発売されており、現在はかなり入手困難なものとなっている。下に貼ってある「フラワー・ポップス・シリーズ」などでCD音源として再販されており、こちらも廃盤となっているが、比較的入手しやすいかもしれない。
ところが2015年9月、歌唱している牧野アンナ自身の知らないうちに「コンプリート・シングルス LOVE SONG 探して」と題して上記シングル2曲が入ったCDが発売された。
レコード・カセットの時代のシングルリリースだったので当時の音源は所有していても再生機器が手元にない人も多かったであろうが、これでいつでも気軽に彼女の明るく元気な歌声を聴くことができるようになった。
ちなみに、二度目のアイドル活動となったSUPER MONKEY'Sでは、デビュー曲「恋のキュート・ビート」「ミスターU.S.A.」(両A面シングル)の1作品のみに関わっており、それ以降のSUPER MONKEY'Sのシングルは牧野アンナ脱退以降の作品となっている。
LOVE JUNXは、牧野アンナが代表を務めるダウン症の人達のためのダンススクールである。2002年10月開校。NPO法人「TOYBOX」が運営を行なっている。開校当初は東京・横浜の2都市を拠点に活動していたが、2005年3月から大阪での活動も始めている。
LOVE JUNX以前にはダウン症の人達のためのダンススクールというものは世界のどこにも存在しておらず、この学校が世界初の事例である。というのも、ダウン症の症状には知的障害や筋力がつきにくいなどというものがあり、ダウン症の専門家も複雑で激しいダンスをするのは無理という見解を持つ人が多かった。
しかしながら専門家の見解に反し、LOVE JUNXの生徒達はヒップホップやブレイクダンスなどを上手に踊ることができるようになり、このことには世界中の専門家も驚き、LOVE JUNXの指導法も注目されることになった。
スクールの活動目的は主に二つの柱があり、一つはダウン症の人達にエンターテイメントを通しての自己表現の場を提供し自立支援をすること、もう一つは一般の人達へダウン症に対する認知度を広め理解を深めてもらうことがある。
ちなみにLOVE JUNXという名前は、JUNX一文字ずつで「JEWEL(大切な人々)」「UNITED(一つになる)」「NO FEAR(恐れるものはない)」「X(未知なるもの)」を表し、全体でLOVE JUNCTION(愛の交差する場所。「X」は交差している様子を表現)と言う意味を持たせて名付けられた。
AKB48発足以降の2年間の振付担当であった夏まゆみが担当を降板したことにより、総合プロデューサー・秋元康からAKB48の振付師をしてほしいという打診があり、2008年からAKB48の振付に関わることになる。
実は、AKB48の運営幹部の一人には、牧野アンナの実兄である牧野彰宏氏がおり、振付師の打診が来た背景にはそのことも関係しているが、秋元康もまた沖縄アクターズスクールとの関わりが深く、沖縄アクターズスクールがまだ無名であった開校したての頃に、オキナワクラブハートキャッチTV[3]や、HeBeEプロジェクト[4]などのプロデュースを通じて関わっており、秋元康と牧野兄妹とはその頃からの知り合いである。
AKB48の振付に関して、最初は劇場公演の振付のみを担当する予定だったが、AKB48の10枚目のシングル「大声ダイヤモンド」の振付を担当して以降、シングル曲の振付を主に担当するようになった。
初めに秋元康からは、今までのAKB48のイメージとは全く違う激しいダンスをつけてほしいという注文があり、牧野アンナが振付担当になってからは以前と比べるとかなりハードな振付が作られている。そのため最初の頃は、AKB48のメンバーもダンスのスピードについていけないこともあった。
指導者としての牧野アンナは、AKBファンからは恐ろしい鬼軍曹のようなイメージを持たれているが、AKB48公式モバイル[5]内の連載企画「AKB48振り付け解説 - ダンスで見るAKB48」においては、振付制作秘話とともに、前田敦子や大島優子などの選抜メンバーのアイドルとしての魅力やレッスンを通じての成長などについて熱く語っており、彼女たちのアイドルとしての実力を認め、その長所を生かせるような振付を制作しようとしていることがわかる。
ちょっとした余談ではあるが、牧野兄妹つながりでLOVE JUNXとAKB48も少し関わりがあり、AKB48がパーソナリティを務めた2010年の24時間テレビ「愛は地球を救う」では、AKB48のメンバーとLOVE JUNXの子供達が一緒に踊るという企画が催された。
また、さらにちょっとした余談ではあるが、AKB48の楽曲「Beginner」のPV冒頭で、英語歌詞の歌を歌っているのは牧野アンナである。
AKB48とは上記のような関わりがある牧野アンナであるが、それ以上に牧野アンナの思想や技術などの教えを受け継いでいると言われているのがSKE48である。
牧野アンナは、SKE48に対しては、オーディションの振付や審査など立ち上げ段階から関わり始め、発足直後のダンス指導も行なっているのであるが、その指導は厳しく過酷なものであり、たとえば休憩時間に休憩していると怒鳴られたり、過呼吸になるメンバーが続出したりするほどであった[6]。そのような厳しいレッスンの中、「AKBにどうやったら勝てるか考えろ」「アイドルなのに汗だくになる姿がSKEが勝てる道じゃないか」と話しかけ、AKB48をライバル視してAKB48に勝てる努力をするような意識を徹底的に叩きこんだそうである。
そのレッスンの成果があってか、SKEといえばダンスと言われるほどダンスのキレに関しての評判がよく、空き時間があれば自主練習をすることで知られているほど練習熱心であり、その姿は「評判がいい」を通り越して「狂気の集団」とか「戦闘集団」などと呼ばれる程である。
ちなみにレッスンを振り返って牧野アンナは、「アクターズスクールのように何年間もかけてじっくり育て上げることができる状況と違い、素人に近い段階からきわめて短期間で仕上げないといけなかったので、力技でいくしかなかった」「今考えるとホントにかわいそうな、ひどいしごきだった」と後に述べている。
AKB48のシングル曲
AKB48のカップリング曲 |
SKE48の楽曲
SDN48の楽曲AKB48プロジェクトの劇場公演AKBと関係ない振付 |
掲示板
18 ななしのよっしん
2018/01/23(火) 22:45:29 ID: +tsYb7A1im
ニコニコだと厳しすぎたレッスンに父親からも生徒達からも見放された感じだけど、この記事だと父親がおかしくなってハメられた感じだな。父親の評判良くないとも聞くし…
https://
>'98年には「沖縄アクターズスクール全国オーディション」がスタート。さらに正幸さんはインターナショナルスクール開校に向けて動きだし、アクターズは、アンナさんに任せきりになっていた。
>そんなある日、インストラクターとして人望を集めるアンナさんがスクールを乗っ取ろうとしているという疑念が、正幸さんのなかで湧き上がる。正幸さんは、生徒たちの前で何時間もアンナさんを罵倒した。アンナさんが根も葉もない疑惑で、チーフ・インストラクターを解任されると、翌日から、彼女に挨拶する生徒は誰もいなくなった。
>「15年間、私が沖縄で積み上げてきたものが、たった1日で失われてしまうのか、と」
(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
19 ななしのよっしん
2019/09/29(日) 09:21:59 ID: 1Hx/wYTrWw
20 ななしのよっしん
2020/04/26(日) 15:53:39 ID: 1Hx/wYTrWw
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最終更新:2025/03/27(木) 12:00
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