田中靖美(たなかやすみ、1953年12月5日生-)とは、P-MODELの前身であるバンドのマンドレイクから平沢進、田井中貞利と共に活動してきたP-MODEL初代キーボーディストで、現在は恵比寿にて「OUIJA」という輸入雑貨店を営んでいる。
1973年に平沢進、安部文泰のメンバー募集に、田中靖美、田井中貞利が応募。マンドレイクが結成される(1978年に解散)
P-MODEL結成以前の1978年に平沢進と田中靖美がバンドの構想を具体的な形にするべく「配線上のアリア」を製作
1979年1月1日にマンドレイクのファンだった秋山勝彦を加えてP-MODELを結成
アイデアやコンセプト等、初期P-MODELは彼無しでは成立しなかった部分が大きいと思われる。また平沢の良き理解者でもあり、平沢と共にセックスピストルズにも共鳴した(P-MODEL MEMBERS HISTORYから引用)
「IN A MODEL ROOM」、「ランドセル」、「Potpourri」、「Perspective」の四つのアルバムに参加したが、音楽的なアイディアが出てこなくなったことを理由に後任の三浦俊一の高校卒業に合わせるように引退、機材を全て譲って音楽界から身を引く
ライブ・パフォーマンスは飛ぶ、跳ねるという派手なアクションが売り物だった。キーボードのスタンドがビールのプラスチック・ケースの頃、演奏が始まるときや終わるとき、演奏しているとき、ベースの秋山勝彦とコーラスを歌い終わった後によく跳ねていた、しかも開脚で。ライブの最後にはキーボードを跳び箱のように手をついて飛び越えるなんてこともあったが、「Perspective」以降は一転して直立不動となり、反復するフレーズをミス・タッチなく弾きこなすようになった(「キーボードマガジン」2010年370号より引用)
音楽界から身を引いた田中だが、平沢進のソロユニットとなった核P-MODELの2枚目のアルバム「гипноза」にゲストで参加した。「それ行け! Halycon」のキーボードソロで聴く事が出来る。
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最終更新:2025/03/24(月) 18:00
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