「田単」(でん・たん ? ~ ?)とは、中国戦国時代末期の斉の武将。燕国の名将「楽毅」によって滅亡寸前まで追いこまれた斉国を、絶体絶命の窮地より救い出した元祖「火牛計」の名将。
はじめは処女の如く弱々しげに見えて、敵が油断して防備もせず、後には脱兎のごとくすさまじくて、敵が防備しようとしてもその暇がないとは、田単のごときをいったものであろうか。
※「史記」には単独の列伝「田単列伝」が立てられている。
太公望呂尚が建てた斉国の人で、斉の田氏の遠縁にあたるが、才能を認める者がおらず、斉の湣王の時代に斉の都・臨淄の市場で下役をしていた。
当時の斉の国王・湣王は傲慢となっており、多くの国に攻め込んでいた。
国内の騒乱を斉につけこまれて一時期は滅亡していた燕では、昭王が斉軍を撤退させて復興させ、名将「楽毅」を迎い入れて逆に斉を滅ぼさんとしていた。そこで、
の五カ国と同盟を組み、その連合軍を楽毅に率いさせた。同盟軍は斉との決戦に大勝利を収め、楽毅率いる燕軍はそのまま斉国内の攻略にかかった。
燕軍の侵攻を聞いた田単は、周囲や一族に馬車の車軸の補強を薦めるも、人々は
と楽観視していたが、田単は一族をけしかけて車軸の補強を行わせた。
田単の読み通り、楽毅の名采配によって70余城は次々と攻略される。「楽毅来る」との報だけで降伏した城すらあった。
斉の湣王は首都の臨淄を捨てて逃亡して莒に立てこもる。多くの者がそれに従ったが、逃走の途中で馬車の車軸が折れるものが続出。その尽く燕の虜囚となったが、車軸の補強を行わせていた田単の一族は無事脱出し、即墨へと逃れた。
一度滅亡まで追い込まれた燕を復興させた昭王は、臨淄を占領した楽毅より贈られた斉伝来の宝器を前に、大いに喜んだ。
残る城が莒と即墨のみと言う絶対絶命の事態に陥った斉は、湣王が援軍として送られてきた楚軍の淖歯に暗殺されると言う緊急事態に陥る。淖歯は怒った住民により抹殺されたものの、さらに混迷を極めてしまう。
即墨では城主が戦死した為、次の将軍を決めることとなった。そこで車軸の件で田単の先見の明を知った役人により、田単は将軍に抜擢されて即墨を守備することになった。
大抜擢ゆえに周囲の信望がまだ高くない事を気にした田単は、まずは家の庭先で祖先を祀るように命じた。供物に鳥が集まる光景の不気味さを目にした兵たちを前に、「これを神の導きによるもの」と言い、「いずれ神の化身が現れて私を導くだろう」と言った。
その中で、
兵の中に神が降りてくる夢を見た
と言って神が降臨したとする兵士を祭り上げて、双方のオカルト効果により、
これよりの軍令は神の言葉である
として指揮系統の強化に成功した。
莒と即墨の二城の防衛に斉軍が集中して数年が経過すると、楽毅を信頼していた燕の昭王が病死し、楽毅と仲の悪い恵王が後を継いだ。
「俺のターン!」と見た田単は、恵王に対して
莒と即墨はすぐにでも落とすことが出来る。
楽毅がそれをしないのは斉の人民を手なずけて自ら斉王になる望みがあるからだ。
と言う反間計の罠カードを発動させて燕の宮廷内に流布させ、信じ込んだ恵王は、楽毅を解任して騎劫を将軍とした。
燕に帰国すれば抹殺されて自らを信頼した昭王の名に泥を塗ると思った楽毅は、燕に戻らずに趙国に亡命。さらに多大な功績を誇る将軍への仕打ちに兵士の士気は下がっていく。
こうして田単は、戦わずして最大の敵を駆逐することに成功し、田単の知略はますます冴え渡る事になるのだった。
楽毅の代わりに将軍となった騎劫は、功績を得ようとあせっていると読んだ田単は、
といった偽情報を燕軍に流した。騎劫が斉兵に精神的ダメージをあたえようと、捕らえた斉兵の鼻を削いで前線に立たせたり、墓を掘り起こす先祖の屍を焼くといった行為を行うと、田単の「計画通り」とばかりに、斉兵や斉の人々は、降伏してもひどい目にあう上に先祖を侮辱された怒りに震えて燕軍に対する敵愾心を露にし、戦意は高揚した。
さらに田単は、
即墨が降伏した折りには、私の妻妾に手を出さないで欲しい。
との偽情報とあわせて即墨の富豪を使って燕軍に賄賂を贈り、長期間の遠征で気が緩みかけている燕軍に対して、
もはや矢尽きたので降伏するが、徹底抗戦を唱える者達の説得に数日を頂きたい。
と言う使者を送って燕軍の油断を引き出し、決戦の為の準備を着々と進めていた。
所謂「火牛計」を発動した。
怒りくるって突進してくる牛が陣で暴れまわり、大音声を鳴らして大軍を装った斉軍によって、
かぎゅううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう
な大混乱状態に陥った燕軍は敗走し、勢いに乗じた田単は、奪われていた70余城を取り返した。
こうして田単は、
と言う孫武にかわって「孫子の兵法」を戦場で実践してみせたのだった。
湣王の後を継いでいた襄王を莒の地にて迎い入れた田単は、首都の臨淄に帰還させて即位させると、襄王は田単の功績を認めて安平君に封じた。
斉を退けた後、田単は狄を攻撃することになった。魯仲連という人物に出会い、
魯<負けるよ
田<え?
魯<その心構えじゃ負ける
と言われたが、気にせず戦い始めた。
ところが、三ヶ月たってもまるで勝てない。
恥を偲んでもう一度魯仲連のところに行き、教えを乞うと、「お前、出世して戦い方が守りに入ってんだよ」と言われた。
心を入れ替えて自ら前線に立って必死で戦うと、田単は見事狄を撃破することができたという。
さらに数年して、今度は趙の宰相になったと記録されているので、軍事だけでなく政治分野においても優れた人物だったのだろう。
※その他「田単」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照の事。
▼田単のことが良く解る歴戦文化祭動画「楽毅と田単」
(※前編には登場しませんが視聴しておくと後編のラストがより感動的になります)
▼楽毅との夢の田楽コンビを組んで衛懿公(ツルマル)をサポートする「春秋戦国三国志」
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15 ななしのよっしん
2023/02/25(土) 09:35:06 ID: 5Eswe7sE9Q
16 ななしのよっしん
2023/07/15(土) 23:15:48 ID: jvfRcD4k2e
>>15
それぞれに立場があるからね、しかたないね。
>>14
1話割かれてる。旧版では、「昭王と楽毅」「田単」「孟嘗君」のエピソードで同じ巻にまとまっていて分かりやすい。当然どの話でも殺される湣王が、自業自得とはいえ、ちょっとカワイソス。
17 ななしのよっしん
2024/01/16(火) 20:38:10 ID: Zv+9EYKv/M
>>15
楽毅はあのまま斉を攻略していたら単なる超絶有能天才軍略家で終わっていた
離間計を喰らって亡命した結果、出師の表にも匹敵する伝説的お気持ち文を後世に伝える事ができた
言わば田単の存在が楽毅を伝説にしたんだよ
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最終更新:2025/04/08(火) 23:00
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