田辺裕信(たなべ ひろのぶ)とは、JRAの騎手。一部ファンからの愛称(?)は「ベータナ」。
なお、戸籍上の苗字表記は「田邊」が正しいが、JRAの漢字表記ルールに基づき「田辺」表記が用いられている。そのルールが無い地方競馬に遠征した場合は田邊で表記されることもあったりする。
1984年2月12日、福島県二本松市で生まれる。父はJA職員、母は主婦の非競馬サークル家庭出身で、妹と弟がいる3人兄弟の長男。
競馬好きだった父親に福島競馬場に連れられて遊びに行き、自身も競馬に興味を持っていく。とはいえ乗馬どころか馬に触れることすらなく、一般高校への進学を漠然と考えていたところ、中学2年時の進路選択授業の際に競馬学校の生徒募集のお知らせを見たことで受験を決意。一次試験を突破したことで「これで高校受験をしなくて済む」と考え、そのまま騎手の道を志した。
1999年に競馬学校騎手課程の第18期生として入学し、2002年に卒業。同期には現在障害競走を中心に活躍する五十嵐雄祐や黒岩悠らがいる。
騎手免許取得後は美浦の小西一男厩舎に所属。2016年にフリーへ転向。ちなみに田辺のバレットは小西調教師の娘である小西由紀が担当している。
2002年3月2日、中山2R(3歳未勝利戦)で初騎乗(16頭中8着)。61戦目の同年8月3日新潟12R(3歳上500万下)で初勝利を掴んだ。この年は8勝。
翌2003年には年間20勝と成績を伸ばすも、その後数年間は年間10~15勝と伸び悩んだ。2009年に自己最多の33勝を挙げると、2010年末にエージェントと契約する。
2011年のアンタレスステークス(GⅢ)をゴルトブリッツで制し、重賞初勝利を挙げる。この年は重賞2勝、年間88勝を挙げ、全国リーディング7位、関東リーディング3位、中央競馬騎手年間ホープ賞を受賞。中堅ジョッキーとして躍進する。
2014年にはフェブラリーステークス(G1)を最低人気のコパノリッキーで勝利し、念願のGⅠ初制覇を達成。更に同年のかしわ記念とJBCクラシックもリッキーと制し、GⅠ級3勝を挙げる。夏のサマージョッキーズシリーズでは七夕賞(メイショウナルト)、関屋記念(クラレント)、京成杯オータムハンデキャップ(クラレント)を制する大活躍の年だった。関東のフェアプレー賞も初受賞(その後2018年・2020年・2021年にも受賞)。
2020年・2021年はアルクトスでマイルチャンピオンシップ南部杯を連覇。2021年8月1日の新潟8RでJRA通算1000勝を達成。
2022年、アスクビクターモアで菊花賞を勝利し、初のクラシック競走勝利を達成。
4コーナー手前付近からインコースを突いての直線勝負を得意としている。年間30勝かつ制裁点10点以下で与えられるフェアプレー賞を複数回受賞するなど、クリーンな騎乗にも定評がある。
内田博幸曰く「勝てるときは勝るし勝てないときは負ける。『どうせ開けば勝てるんだから』と割り切った大胆な競馬」。
同業者からは「飄々とした性格」と評される。実際にメディア露出している場面では笑顔かつ軽妙な振る舞いが多い。美浦のイベントでは松岡正海と司会を担当することもしばしば。
一方で、後輩(第20期生)の藤岡祐介や吉田隼人からは「飄々としていて人には見せないけどストイック」「なんにもしてねえよといいながらひとりで黙々とトレーニングをしている」「考えていないように見えてしっかり考えている」などと評されている。
ただでさえ乗馬経験がないというのに、実は潔癖症な面があり、動物も苦手だった裕信少年は、大変苦労しながら競馬学校を卒業している。元々「騎手になりたい」という強い決意があったわけでもなく、馬も学科も嫌いな裕信少年は、日々のルーチンワークをこなす中でよく言えば図太い平常心を保ち、悪く言えば無気力状態となっていった。
部屋も汚く頭髪も長く、学科中は上を向いて居眠り(うつ伏せだと苦しくなるから)し、授業態度を含めた数々の評価で「不可」を付けられる。小西厩舎へ研修に出た時には毎度のように小西師が運転する車の助手席で眠り、遂にはいつの間にか後部座席に枕が置かれていたという。
卒業が近づき小西厩舎への所属が決まった時には校長室に呼び出され、校長から「辞めるって小西先生に連絡をするから、今すぐ荷物をまとめろ」と宣告される。にもかかわらず「は?」とボーっとしていたので担当教官から「お前は辞めたいんかぁー!」と更に怒鳴られたという。ただ、デビュー後に小西師にそのことを確認すると、結局校長からの連絡はなかったとの事。
第18期生は田辺を含め10人が騎手デビューしたが、僅か2年でその内の2人が亡くなっている。
田辺の1歳年上で、よく実習の問題を写させてもらったという井西泰政は2002年10月に交通事故で急逝。田辺の2歳年上で、数々の不幸を乗り越えて騎手の夢を叶えた竹本貴志は2003年3月28日に落馬し、5日後に還らぬ人となった。竹本の最後のレース前には、田辺も言葉を交わしていたという。
家族の皆も、息子が志半ばで逝ってしまったことは残念に思っているはずです。僕は本当の息子ではないけど、2人の分まで少しでも頑張って残された家族にその姿を見て応援してもらいたい。そんな気持ちで乗っています。だからちょっとしたことで騎手を辞めようとは考えないようにしています。
やりたくてもできずに終わってしまった人がいるのに、自分が途中で投げ出すわけにはいきません。彼らの分まで乗り続けますよ!!
田辺本人は中舘英二にいろいろと影響を受けたと語る。その他、犬を飼っている共通点繋がりで柴田善臣と家族ぐるみの付き合いをしている。
年が同じ吉田隼人(隼人の競馬学校入学が遅かったため)からは「憧れの騎手」と呼ばれる一方、プライベートでも仲が良い。何故か隼人は裕信のことを「田辺氏」と呼ぶ。
津村明秀とも仲が良く、記念撮影では津村をよく弄る姿が見られる。
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最終更新:2024/12/05(木) 10:00
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