甲陽軍鑑とは、武田信虎・武田信玄・武田勝頼三代の事績をまとめた軍記である。
作者は高坂昌信…と記されているが、いったん小幡景憲が定説になった後、やっぱり高坂昌信も関わっていない?という主張が近年されるようになり、今のところは論争中である。武田流軍学が江戸幕府に認められたことにより、近世に広く武士層に読まれ、史料性よりも武士のあるべき姿を描く読み物的性格が強い。
そのため近世以降から現在に至るため武田家のイメージ形成に多大な影響を与えたのだが、近代以降の歴史研究ではあまり用いられることはなかった。しかし近年、日本史学、国文学の双方から史料批判が進み、戦国時代武田家の研究にどのように利用できるか、という方向で脚光を浴びつつあり、甲陽軍鑑を史料として用いる歴史学者も現れつつある(もちろん史料的性格から部分的な利用にも批判を加える人物もいるが)。
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2 ななしのよっしん
2019/05/19(日) 13:24:55 ID: +nA2ayld3N
うむ。ただし戦国時代に作成された元の史料があって、文体と書状形式は当時を忠実に、しかし内容は改変された史料が江戸時代初期に作成された可能性もある
小幡が活躍した江戸時代最初期はまだ戦国時代の生き残りが大勢いたし、当時の書状も伝手を辿って入手できたからね
小幡の次の世代の軍学者たちは現代の調査で明らかに偽書と分かる書状を作っていたりして、1630年代には戦国当時の文体や書状形式を忠実に再現するのが難しくなったようだ
甲陽軍鑑については勿論小幡が作ったとは限らないし、高坂著作を小幡が忠実に複写・再現した可能性も考えられる
が、甲陽軍鑑はやたらと家康の不実を弁明したり称揚する記述が多く、北信担当の高坂がここまで家康のこと気にして庇うのか?という疑問がある
歴代古案などがそうだが、軍学者は一から十まで全て創作するということはなく、真実の中に嘘や誇張を一部混ぜる
甲陽軍鑑も、記された出来事の多くは当時の武田家臣たちが遺した書状から抽出したもので、残りの部分(徳川賛美の記述、跡部たちが佞臣という記述、第四次川中島合戦の詳細など)は小幡の創
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3 ななしのよっしん
2019/07/08(月) 14:55:13 ID: g/j1rFxXJt
最近甲陽軍鑑も見直されはじめたそうですね。
自分も大方の見解としてはコメ2さんの内容通りだろうと思います。
出自が農民で、字を書けなかった高坂昌信の口述筆記ということですから彼の独断と偏見の部分もかなりあると念頭において見ると面白い史書だと思いますね。
4 ななしのよっしん
2020/02/29(土) 17:45:27 ID: 3SeDE1IErv
なんちゃって歴史学 第四次川中島の合戦
>>sm36435017
ふむ。
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最終更新:2024/03/28(木) 22:00
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