百年戦争(英語: Hundred Years' War、フランス語: Guerre de Cent Ans)とは、プランタジネット朝イングランド王国とヴァロア朝フランス王国がフランス王国の継承権を巡って争った戦争である。期間は1337年11月1日から1453年10月19日までの116年と言われる。
なお、17世紀末から19世紀初頭(1689年から1815年)にかけての、イギリス・フランス両国間の一連の戦争を指して、第2次百年戦争(英語:Second Hundred Years' War、フランス語Seconde guerre de Cent Ans)とも呼ばれることがある。ニコニコ大百科の関係する記事としては、七年戦争やナポレオンが挙げられる。
ジョン王(ジョン欠地王)の時代に行われた広大な領土の没収や、ギュイエンヌ、フランス王位継承、フランドル、スコットランドの問題が積み重なった両家は対立が深刻化していた。百年戦争は、エドワード3世がフィリップ6世に対して宣戦布告することで勃発した。
両家の戦争は、ペストなどの影響もあって、幾度かの休戦と再開を経る。その中で、フランス王国は王が捕縛され、カスティーリャ継承戦争では両家の対立が外国にまで影響を及ぼすこととなる。乱の休戦中に両国ともそれぞれで内紛が発生し、イングランドは王朝が交替、フランスは国内を二分するに至る。イングランドはフランスの内紛に乗じて、パリを含めた北フランスを占領し、ついにフランス王位を名乗るに至る。
しかし、ジャンヌ・ダルクの活躍も有り、フランスはオルレアンを解放し、続いてランスへ到達。王位を奪還。ジャンヌ・ダルクは火刑に処されるが、その後もフランスは占領地域を奪還していき、ボルドーを攻防の後に落としてここに百年戦争は終結した。
尤も、カレーの港町は1558年までイングランド領として残り、チャンネル諸島は未だにイングランド領である。また、イングランド王はその後も、1801年にジョージ3世がグレートブリテン及びアイルランド連合王国の王を名乗るまで、フランス王の称号を名乗り続けた。加えて、イギリスの標語はフランス語である。
この戦争の結果、両国にまたがって領地を持っていた貴族は両国のいずれかに付くことを余儀なくされる。また、戦争中に、イングランドの王は英語を使うようになっていた。両国とも王権の強化と国家意識が高まった。イングランドは薔薇戦争、フランスはユグノー戦争を経て、貴族の没落と更なる王権の強化がなされ、テューダー朝やブルボン朝における絶対君主制への道を開いた。
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最終更新:2025/02/09(日) 05:00
最終更新:2025/02/09(日) 04:00
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