直死の魔眼単語

チョクシノマガン

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直死の魔眼

直死の魔眼とは、TYPE-MOONの作品である「月姫」や「空の境界」、及びその関連商品にでてくる異のことである。

概要

直死の魔眼とは、遠野志貴両儀式の持つ『モノの死』を形ある視覚情報として視て、捉える異。死を視覚する眼球と、死を理解するセットで初めて機する

通常の眼球の機のようにの刺から見ているわけではなく、本来人間運営するのに含まれない機(回線)で視覚しているため、失明状態でも死を『視る』ことは出来ることもある。

直死の魔眼は魔術再現できるようなものでなく、会得できるものは先的な素質があるものに限られる。
外界に魔術行使を行う「魔眼」と似た性質を持つが、正しくは超能力に分類され、「魔眼」とありえざるモノを視る「浄眼」の両方の性質を持ったハイブリッドである。

そのため魔が抜けた「直死の眼」とも呼ばれるが、通常の魔眼同様に「魔眼殺し」と呼ばれる具を使ってを抑えることはできる。

モノの死

「モノの死」とは言うものの、厳密には死というより物質の寿命、発生した間に定められた存在限界のこと。

つまり「モノの死」とはあらゆるモノが持つ「存在の寿命」という概念で、直死の魔眼はそれを形のある「死の線」あるいは「死の点」として視認・捉えることが出来る。
「モノの死」は存在の表面に浮き彫りにされるが、概念でしかないためモノの死そのものに強度はい。これを断ち切られたり突かれると、寿命を切られたことで、存在的な消去が行われ、存在の意味そのものが停止し、死に至る。

「死の線」はモノの死に易い部分。これが断ち切られると、切られた部分は停止=死亡し、結果的に材質・性質・強度を問わず線がはしっていた部分は切断される。
「死の点」はモノの死=寿命そのもの。これが突かれると、その「死の点」が現していたモノの意味が停止し、死亡する。

基本的にはこうなるが、劇中では死の線を断つことでモノを殺しているようなシーンもあり、所持者によっては死の線で死の点の代用をできるらしき描写とも取れるが詳細は不明。

寿命を断つことで殺すので、基本的にその死に方は自然的な死に方と変わらない。
直死の魔眼でモノの死を断つことの特異な点は、死へと至る通常の過程を無視できることにある。
まず意味を殺すので、モノそのものが死んだり壊れていなくても関係なく、死という結果に後からモノが追いつく形で死亡する。
そのため死を断てば、「死に難い」「消え難い」「壊れ難い」といった、死に至るのを妨げる過程の一切を無視して殺す事ができる。

視える死

直死の魔眼はと眼球がセットであるためで、視認できる・する「死」は、所持者の認識・限界に大きく左右される。先的な素質によるスペックの違いによっても差異が生まれる。

両儀式の直死の魔眼は、生まれつき『両儀式』という体が持つ機の一端であった「モノの死」を視る直死の眼が、事故睡状態の際に式が「 」に触れたことで覚醒してしまったもの。「 」に触れたことで事の視覚化に特化している。

遠野志貴の直死の魔眼は、彼の血族である七夜の一族が色濃く継承する異である「ありえざるモノを視る」超能力が、幼い頃の2度の臨死体験の際に「根」と繋がりが死を理解してしまった事で、「モノの死」を視る直死の眼となったもの。死に沈んでいたことで生物殺しに特化している。

どちらも「モノの死を視る直死の魔眼」という点は変わらないが、直死の魔眼に覚めた要因や、どのような死を理解しやすいかなどに差がある。
なお、眼は眼がくなるという特徴があり、元が浄眼である志は意図的に見えにくい死を見ようとするなど魔眼フル稼働させた時は眼がくなり、式の場合も直死の眼はハイブリッドであるため同様に変化する。

使用者が「死」を理解出来ないものは線も点も視えない。生きても死んでもいないモノにも死は見えない。また、本人が「既に死んでいる」と認識していてこれ以上殺せないと思っているモノの死も見えない。
人間である使用者の基準はその時代の人間限界例するため、現代の世界において「殺す」「壊す」ことができないもの、地球ルール上の「死」に該当する死がないモノにも死を視ることは出来ない。

また、単純に死の点・死の線を見ているといっても、意味の死を見ているため、所持者の認識により同じ存在に視えるモノの死でも、何の寿命であるか、死を断つとどのような死に至るかなどは違ってくる。
劇中ではネロカオスの死の点を突いて殺したものの生物としての死であったため、死体となって残りその後混沌として復活したもいれば、死の点を突かれた後に混沌としての形も失って消滅、へと戻ったもいる。これらへ所持者の死への認識の違いから来るものである。

 

デメリットとメリット

前提としていくら死の線や点が見えようが、それを捉えて干渉できるのは魔眼保持者自身に限るというものがある。

『死』を捉えることが重要なので『死』は死を視ている(捉えている)者が貫かねばならない(飛び道具に関しては投げナイフで物を殺している場面はあるがどこまで保持者自身の干渉として認識されるかは詳細不明)。
視える死の線・死の点の場所も使用者には定できないため、調度良いところに視える死の線に干渉しないとあまり意味がい。
死の点・死の線に干渉するには魔眼保持者自身が何らかの手段を講じなければならず、『死』が見えたからといってそれをどうにかできるかすら状況や本人次第なのである。

例えば、死の点が遠くに見えたなら適切な具や技術がないならそこまで移動して突かなければならないし、戦闘においては相手が魔眼保持者が触れることすら出来ない格闘技術を持ってたらそれだけでお手上げである。
式や志魔眼戦闘において有用なのは、どちらも直死の魔眼以前に人間単体としては非常に高いレベルの体術を使用できるからである。

また、直死の眼はに負担がかかるという点もある。特にスペックで劣る志の場合はそれが顕著。
式は限界まで視ようとしてもが加熱する程度で済むが、志の場合は意識的に死を視ようとするだけでも、死を理解しようとするにかかる過負荷が頭痛というという形で現れ、見え難い・理解しにくい「死」を視ようとすればするほど負荷は大きくなり、理をすれば血管が切れたり神経が焼き付いて麻痺する。
作中のとあるシーンでは、志が他人の体内に入った異物を殺そうと理をした結果、殺すことは出来たものの直後に倒れて病院送りになり、体力の著しい低下に加えて一時的に失明している。

 

しかし、この眼で視た「モノの死」を断つことで殺すことは、物理に関係なく意味を殺しているということであるため、生物に限らず、物質や概念間やなどの非生物物理的に壊せない・壊しにくい事すら死に至らせることが可であるという点は大きな利点である。

意味を殺すことができるということは、モノを潰さずに殺すコトもできるということでもあり、体内に入った異物を、体の外から異物の死を視て殺し、体には傷をつけないといった芸当も状況によっては可とする。

生物である使用者にとって物質や概念などの死は『想像』するしかないため、を普段より稼働させる必要はあるが、これにより普段は概念の死を視ることが出来ない志概念の死を見たりなど、殺せる範囲を広げることが出来る。

空の境界の劇中では異である浅上藤乃曲を殺して効化し、概念である荒耶宗蓮結界を殺して消滅させる、
果ては視た未来を確定させる未来測定者が確定させた「未来」すらの要である眼ごと殺し、月姫では単純に殺しても全には死なないネロ・カオスの混沌のを、意味を殺すことで元のにまで戻し、体が死んでも他者に転移・同化することで、通常ののように消滅しないロアを、の意味を殺すことで消滅させることすら可とした。
そのアルクェイドをして「化け物」と言わしめるほど、人の領分を越えている。

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最終更新:2024/03/19(火) 17:00

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最終更新:2024/03/19(火) 17:00

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